デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

【旅行記】新聞をやめて新しいメディアをつくりたい

※2017/1/4 この後、考え方がより進歩したはずです。2016年中頃から2017年の記事をお読みください。

今日からブログを始めます。ぼくは吉田拓史と言います。インドネシアの現地日系新聞で5年間、主に政治経済分野を担当していました。インドネシア語インドネシア社会に深く根ざした生活を送ることで、政治経済を深くカバーしていました。ストレートな記者ではなく、経済学、政治学の見地を利用して付加価値をつけることを常に意識して記事を書いていました。

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大統領選挙では大統領候補に張り付いて取材し、大統領が決まるとその人の生い立ち調べて特集記事を作りました。政権周辺の情報に関しては一時期はかなり詳しい時期もありました。ジャカルタの都市問題に関してずっと現場に足を運びしかし計量的な視座を崩さずに考えてきました。本当に良くしてくれたインドネシアの人たちありがとうございます。

退職して旅行を開始した

とにかく、今年二月に世話になった会社を辞して、旅行を開始しました。インドネシアベトナム→タイ→ラオス→中国・雲南→四川→上海で、台湾まできました。今後、香港、深圳、インドなどを予定していまして、旅行記、雑感という感じてブログを始めます。
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旅行の目的は「海の東南アジア」のインドネシアで深めた知識を、陸の東南アジア(タイとか、ベトナムラオスとか)と重ねて、自分の強みである東南アジアの理解を深くして置くことです。自分のやることがこの地域までスケールすることを考えています。

旅をするうちに、東南アジアを考える上で、中国とインドは欠かせない、と分かりました。21世紀の鍵になる大国の両国もめぐろうと決心しました。人間の想像力は限られています。実際に肌で体験することで、Googleアースに書いてある地球は本物で、そこにはたくさんの人間が住んでいて、さまざまな活動を行っていることがわかります。月面着陸した(はず)の宇宙飛行士は月を見たときに我々とは想像できるレベルが異なります。

想像力を掻き立てための布石を置いておきたいと思っています。

実は4月から日本で働くという話があったんですが、旅行が長期化してしまい、目をつむってしっかり考えた結果、もっとリスクテイクしてやろうと思いました。単なる従業員では賭け金が低すぎて燃えない、と思うようになりました(正直旅行を切り上げて、動き始めたいほどです)。 

それはアメリカですでに起こっているネットメディア(ViceとかBuzzfeedとか)の盛り上がりを日本で、大好きなアジアで起こしたいと考えるようになりました。それは起業という形になるかもしれないし、すでにある動きに参加するという形かもしれない。

最近は日本でも新しい報道を狙っている人たちが活躍するようになりました。先述した通り、ぼくは日本の伝統的なメディア(新聞とかテレビとか)がどういうものかってのは、なんとなく知っています。新しい人が出てくるのは素晴らしいことだと思います。既存のメディアは広告収入や情報源を確かにしておくという観点から、二つの違う利益を抱えています。読者よりも近しいグループを優先することがあります。

インターネットで報道というハイエンド情報のあり方を一気にかえてみたいと思います。さらに蓄積されたデータは大きな可能性を秘めています。ぼくたちはいろんなツールを握っていて、創意工夫していけば、あるいはデザイン思考をめぐらせば、面白いことたくさんできる、と信じています。
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ぼくは政治という敵か味方かの世界のあり方では「ぜんぜんうまくいかないな」と痛感しました。インドネシアっていう人口2億5000万人、島の数がオーヴァー1万3000のクニで政治を担当した結果そうなりました。インドネシア大統領選(2014年)取材を経験して、宗教、慣習、民族が多様なものに対し、敵か味方という二つの単純化された世界を提示すると、人はとんでもないぶつかり合いをはじめます。ぜんぜん良くない。

日本でもそうでしょうか。日本では高年齢層が運営する既存のシステムがお先真っ暗ですが、高年齢層が超多数派だから、システムを変更できません。出てくるのは「根性でなんとかしよう」っていう楽天的なのとか、お得意の「改善」です。バスから電車に乗り換えることが求められているのに、バスの機能を強化しようとしている。日本では改善はすでに行き届いていて伸びしろは少ないんじゃないでしょうか。あとおカミのエリート層が自分たちだけのことを見つめ始めていて、あまり下々の人々のことを考えなくなっています。

90年代初めに冷戦が終わってグローバルワールドが始まったと言われてます(諸説いろいろだけど)。2007年からの世界金融危機の後もユーロ危機が続いていており、最近はアラブの春イスラム国とか、既存の欧米型政治経済システムってそんなに万能じゃあないよな、となっています。これは想像の産物なのですが、まだ魔法は解けてはいないのです。

***自分たちの損になることに賛成するおクニ柄

日本でも民間企業は昨年過去最大のもうけをだしましたが、それは従業員には配分されませんでした。おおむね内部留保や投資という感じになっています。「サラリーマンはお上に従っていたらある程度のモノはもらえてハッピー」という日本型経営の終わりを意味してます。実のところ、ギブ&テイクがおかしくなっており、人々にとっては長期的展望が望めない方向にシステムが静かに変更されてます。ぼくはこの部分に関するある新聞の論調にまったく賛成できません。もっとファクト、データに基づいた話を聞きたいし、ビジョンがある話を聞きたいと思います。

ただ、その新聞がすごい部数を出しているのが面白いと思います。だって、読者のほとんどがその論調でいけば損をしていくサラリーマンたちだからです。新撰組リクルートにはことかかないってことでしょうか。

トマ・ピケティによれば、現在世界は歴史上もっともリッチな状態にあるが、その分配をみれば、階級制そのものを経験しているということです。「マーケット」は最適な配分を達成する最高のマシンのはずだけど、実際にはマーケットのあり方は常にゆがめられているものだし、紙の上で想定されたマーケットが現実にうごくのは、まれなことです。しかも、われわれのニーズは「腹一杯になりたい」から「時間が許す限り将棋をやっていたい」とか「夏には一カ月のバカンスをとって、ダイビングしまくりたい」とか、「わたしは貝になりたい」とか、どんどんさまざまになっています。こういうのをどうやってすくっていか。

***テクノロジーで報道は変わる

一方、この20年以上で、テクノロジーは飛躍的な進歩を遂げてわれわれの生活を変えちゃいました。その結果、報道に限っても、役所発の「上から下」じゃなくて、ネットの中を様々な方向に染み渡る情報が生まれました。ぼくはこの新しいインフラをいかしてもっと楽しく生きていけると思うんで、楽観的です。 

 「テクノロジーやデザインで人々の日々をもっと楽しくしたやろう」、これがたぶんこの数年、ぼくが情報の生成と拡散に携わる根幹になると思います。ロケットの方向をたのしい、面白い方向に向けていきたいと考えています。

***未来ベースで考えたい

いまいったようなビジョンを実現する方向でアクトしていこうってことです。カイシャとかでよくやるのが、現状の問題点をどうしのぐかってこと。一番ヤバいの「飛ばし」ですが、いまの日本で「飛ばし」って連発されていると思います。「とりあえず、おれがいる間しのげればいいや、次のやつらに『飛ばし』ちまえ」。

現状を短期的に乗り越えて、あーなんとかなりやした方式でやると、当たり前だけど、慢性的な泥沼化に陥ることが多いです。ただし、組織のなかに入って忙しくしていると、こういうのが見えなくなりますので、「右から左に受け流す」方式に全員が向いていって、そこに異を唱えると、「出る杭は抜かれる」ことになります。悪循環です。

しかし、未来ベースとは、「こういう未来を実現してはどうかな」ってところから考えて、逆算していくともっと面白いアイデアにあえるんじゃないかっていう考え方です。プロジェクトを立てて実現していこうとか、そういうことで、特に珍しくないんです。子どもの頃は簡単にこういう思考を普通にもっていて「あーしたい、こーしたい」と思っていました。日本社会で育つとそういう柔軟性は失われるでしょう。

簡単に言うと、未来のことを楽しい気分で見つめていないと、つまんないよな、ってことです。なんで未来ベースで書いていきたい。インドネシア政治の現状と泥まみれになったぼくが、違う場所で、違う道具で新しい未来を求めていくってことです。そして未来ってのは不確実性のかたまりなんで、未来ベースの考えは常に変化を遂げていきます。MITメディアラボの伊藤joiさんの「ナウイスト」の考え方です。

未来を見つめながら、瞬間瞬間を本気で過ごす。そういうことです。

***PS旅行記

台北市面白い。何でもかんでもどーんと立っている上海(強大な権力を感じます)より全然親しみを感じます。