【旅行記】ムンバイは甘くない
香港の重慶大厦(チョンキンマンション)のインド人両替商でドルをルピーに両替。素晴らしいレートで驚いた。香港からはエアインディア。機内がすでにインドムード。3座席に横になって寝ているおっさんが続出。乗務員のインドな英語に困惑し、機内食もインド風味だ。
デリーで乗り換えて12日未明ムンバイについた。その夜は空港近くのホテルにお世話になった。なんか殺人事件でも起きそうな物騒なホテル。トイレの内装の仕上げがひどく蛇口がななめっている。12日夜は郊外のナビ・ムンバイ(ニュームンバイの意)のユースホステル・ナビムンバイに移動した。
このユースホステルは、名ばかりホステルだった。男性のパンカジさん(年齢不詳、写真上)は4階建ての家を保有し、2、3階を友人に貸し、1階の二段ベッドの部屋をユースホステルと銘打っている。2、3階にはがん治療のためムンバイに出張ってきた男性とその家族らが住んでいる。
がんの男性は抗がん剤の副作用で頭髪が抜けている。ジャーナリストだと自己紹介したぼくに、少し疑念を覚えているようだ。男性の父親は欧米的な顔立ちで柔和な人だが、母親と娘はかなり体が大きく、英語を話さないので、ディスコミュニュケーション状態だ。
これは実質的にホームステイである。パンカジさんはIT企業で空港会社向けのサービス作成を担っているサラリーマンだ。たぶん彼が外人と交流するような楽しみとして、借り手のいない一階をカネにする試みとして、ユースホステルは機能している。パンカジさんは執事のような、カーストが下とみられる壮年男性と同居している。生活にまつわる細かい雑事は壮年男性が実質切り盛りしている。
パンカジさんはシルクファンデーションというNPOの代表でもある。このNPOは「ゴミから富を創る」をテーマにリサイクル運動を展開。NPOの名前は有名財閥を率いるS.L.キロスカル氏から拝命した。キロスカルグループ(Kirloskar Group)は日系自動車メーカーの現地製造現法人に出資する、創業120年オーバーの大財閥。なるほどねえ。
パンカジさんは世界の自然農法の父、福岡正信氏に傾倒しており、自分の庭に野菜ごみなどを置いて「化学肥料を使うことなく土を肥やせる。この土をかいでみなさい。いいにおいだろう」と力説する。福岡氏は日本ではマイナーだが世界ではかなり知名度が高い。
ぼくが貧困地域を訪れたいというと「ムンバイに貧乏人などはいない」と大反論。「みんな貧乏人にあいたがるよなあ」とがんの男性とうなずき合う。
彼は自宅前にいる廃品回収者(スカベンジャー)グループへのインタビューへとぼくを導いた。彼らが数日間で30ドル程度の収入を得たことを、証言として引き出した。「なあ、貧乏人はいないだろう」という。3000万都市のムンバイはごみをひろうのにまったく困らない。地方からこの職を目指して人が集まってくるそうだ。田んぼを耕すよりもカネになると彼らは説明する。
このおじさんはバングラデシュからムンバイに辿り着き廃品回収者になった。1000キロ以上の長旅だ。
ジャカルタでも一部の廃品回収者は月収1200ドルオーバー稼いでいたので、確かにパンカジさんのいうとおりかもしれない。だが、マクロの数字を見れば明らかだし、100人くらいサンプルをとってみればわかる。彼らは楽しそうだし、日本人が考えるほどの苦境にいなかったりするけど、それでも、インド、インドネシアのような発展途上国の貧困層は分厚い存在であり、「やっぱり、貧しい……」のが実情だ。ぼくはそう考えている。
ムンバイではごみは路上に放り投げられている。道に大きなタンクがあり、そこに山のようなごみが積み上げられ、その横に入らなかったものが積み上がっている。川はヤバい色に濁っている。
これは金属専門の廃品回収者がトラックに金属を積んでいるところです。
パンカジさんは日本から来たジャーナリストが、欧米メディア同様、ムンバイ=スラムの図式を描いてほしくないようだ。映画「スラムドック・ミリオネア」なんてくそくらえなんだろう。確かにあのイメージより全然ムンバイは豊かだし、富裕層がいる。
安心してほしい。ぼくはそんな安易なことはしない、と伝えてみるけど、彼はどうも安心できないようだ。
とにかく、朝夕はパンカジさんの講義を受けてまあまあ楽しんだ。彼は古びたスズキに乗っていたり、彼の容姿や持ち物、人柄を見ていればわかるが、無駄遣いを死ぬほど嫌っている。ぼくがペプシコーラの2リットルボトルを買うと「骨を溶かすぞ」と不満を表明するし、ベジタリアンで肉を食うヤツへの怒りを表明する。
そしてぼくがいるのは、ムンバイが余りにカオスに包まれたために数年前にできた、郊外の整然としたニュータウンである。セントラルムンバイまで1時間半くらいかかるので、全然観光客らしくないポジショニングだ。
とにかくこの世にも奇妙なホステルからぼくのインドライフはスタートした。