デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

【旅行記】ムンバイで仏教団体に世話になっちゃった件について

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*大友克彦の団地、インドの団地

 ぼくはインド・ムンバイのいろんな集落を回ってみることにした。

 ムンバイ中心部のヴァダラロード駅周辺には政府の建てた団地があり、団地好きのぼくはしげしげとそれをみていた。なんで団地が好きかと言うとぼくも埼玉県浦和市(現さいたま市)の団地で育ったからだ。ただし、ぼくの住んでいた所は、昔気質の人が「団地」と呼んだだけで、15階建てと10階建てのマンション2棟だ。

 それから「AKIRA」で有名な大漫画家・大友克洋がSF漫画「童夢」で埼玉県川口市の芝園団地をモデルにした。団地でサイキックに目覚めた子どもが戦うストーリーで、傑作AKIRAへのジャンプ台になった作品の一つと個人的にみている。AKIRAでも鉄男の回想シーンで公園で団地の少年グループにいじめられたところを、主人公の金田から励まされるシーンがある。大友の作品には団地は欠かせない要素でもある。
 

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童夢 (アクションコミックス)

童夢 (アクションコミックス)

 

 大友氏は駆け出し時代を川口のちょい北の南浦和で過ごしていた。ぼくが居酒屋でアルバイトしたり、駅前のパチンコ屋にいったりしていた街である(パチンコか、ダサいな)。浦和という街からは団地、あるいは雑木林のようなマンション群は欠かせない要素だ。これらの建設で人口が爆発的に増え、浦和レッズのファンはどんどん荒くれ者の集まりになっていった(笑)。

 川口市の芝園団地はいま中国人居住者が3割を超えたことで知られるチャイナ団地。となりの蕨市は中国人が多く住む街として有名だ。台湾のユースホステルで出会った川口の女性によれば、蕨市での中国人の増加が一服して川口市での増加が著しいらしい。

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 荒川を越えて東京都板橋区に入ると不動産価格がかなり違うからだ。だから、赤羽をダサいぜとか言うヤツらはいるかもしれないが、不動産価格の観点からすると全然ダサくない。世界中を回ってみるといい、東京は不動産が断トツに高いクニの一つなんだ。

*新仏教運動との対面

 はいはいはい。それでインド・ムンバイの団地ですが、設備の劣化具合は悲惨だけど、広場に千人オーバーの子どもたちが遊んでいて、住んでいる人はそれなりエンジョイしているようだ。 

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 野っ原の上に上等なディスコ設備があって、子どもや大人ががんがん踊っている。インド人の踊りは細やかに揺れて激しい。陽気だよな〜、インド人(笑)。団地や他のコンプレックスを歩道橋が結んでそれが駅につながるなど、なんか近代的なものを目指した形跡も見てとれる。

 だが、やがてサイケデリックな他の音楽の調べに導かれてその集落に向かった。集落には大きな看板が飾ってある。有名な博士の画がどんと出ている。何も知らないで飛び込んだ。

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「あなたは日本人、仏教徒ですね」

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 またたくまに人に囲まれてしまった。仏像のある間に椅子を用意されて座った。子どもたちに大歓迎されて、どうも宣材写真に使う感じの写真を撮られまくってしまった。まあ、いいか。タイに仏教の勉強に行き帰ってきた、宗教リーダーの青年から祝福の言葉を頂くと、人々がそれに習って祝福してくれる。コーラとケーキと水を頂いた。

 仏壇に花びらをそえる。

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  そしてアーンベードカル博士の銅像を拝む。拝むか。

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 ううむ写真、大丈夫かな。

 彼らは新仏教運動の信奉者だ。新仏教運動はアーンベードカル博士が立ち上げた。カースト社会で搾取をうける最下層の人々を仏教徒に変えていく運動だ。

新仏教運動 - Wikipedia

 この活動の中心人物の1人が、佐々井秀麗(surai sasai)という日本出身でインド国籍を所得した坊さんだ。佐々井らはインドの仏教徒はすでに1億人に達していると主張している。   

佐々井秀嶺 - Wikipedia

必生 闘う仏教 (集英社新書)

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 子どもたちはヒンドゥーの最下層カーストから仏教徒に変わったのだ。非差別民でいるよりは、改宗してその外に出るのは、当たり前の行動だ。アーンベードカル博士はその改宗を正当化する、アカデミックな論理をつくりあげた。彼の銅像は仏像の下に据えられていることが多く、ちょっと偶像化のやりすぎじゃないかとも思われる。

 子どもたちのうち何人かは上手に英語を話せる。英語教室で学んでいるそうだ。元最下層カーストの人々が、インド社会でいい職を得る必須条件の英語を話せる、というのはとても素敵だ。頑張ってほしい。

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 子どもたちは「大菩薩寺はどこにあるか知っている?」と聞いてくる。仏教徒ヒンドゥー教徒に対して返還を求める仏陀生誕の寺だ。ネパールの近くにある。子どもたちのうちいくらかもネパールや国境周辺の出身者のようだ。

 歓待されてほだされたわけではなく、子どもたちや周りのおっさんとも波長が合う。タイ在住30年オーヴァーの導師から「ネパールはいいよ」と薦められた。

 そうだ、ネパールに行こう。ブッダ生誕の地も訪れよう。

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 帰りも、ホステル周辺の路上で新仏教運動の活動に会うことになった。トラックにスピーカーを積んでサイケデリックなトランスミュージックをがんがん鳴らしている。この音楽の陶酔感が半端なくて、かなり気持ちいい。

 この運動で採用されている仏教の様式、博士を偶像視している点などには思う所もあるが、ぼくは素人だし、多様性を重んじる立場なんで、考えは保留します。

*おカタい感想と考察(カタいので読まなくとも)

 最初に訪れたスラム、ダラヴィ地区(映画『スラムドックミリオネア』のモデル)はリサイクル、偽物づくりの産業化が進んでいて、地方出身者の出稼ぎの場だった。独特な例のように思われるし、ngoの書いたシナリオにも少し違和感がある。人は自分が見たいように現実を見ると思う。ぼくも人ごとではない。どうせなら考え抜いて美しい偏見に辿り着きたい。

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 スラム居住者は生活環境で苦しさがあっても意外に明るくやっていることがままある。上の写真では、水道のアクセスがないがボトルに水を入れてやりくりしている集落。この子が上に登りたいと思っても、教育で大きなハードルがある。家族の誰かが大病を負ったら家計は崩壊するかもしれない。

 でも、短期的にみれば、子どもは身なりは悪くないし、明るい。下層経済のなかで暮らす分には、そんなに困らないかもしれない。これがインドとインドネシアでの経験ぼくが知ったことだ。

 逆説的だけど、ホームで電車に飛び込む前のサラリーマンの方がお金は持っているが、不幸せなのだ。つまり心の持ちようもあるし、人がつらいって思うことはお金や生活ファシリティに限らないのだ。日本と韓国の膨大な自殺者はそれをカンタンに物語っている。

 さて統計を見よう。昨年に導入されたインド政府の新基準では、人口12.5億人のうち3置7千万人(29.5%)が貧困層にあたる。3人に1人が貧困者にあたる。この数字は長年かけて改善してきている。もっと改善できたら素晴らしい。

timesofindia.indiatimes.com

 世銀によれば、ムンバイの住民54%がスラムに住んでいる。半分以上じゃん!スラムの定義としては、他人や政府の土地に勝手におっ立てたあばら屋があり、水、ガス、電気などの生活環境にアクセスできないなどの困難に直面していることだ。

 ムンバイでは5人に1人が1日1.25ドル以下=貧困状態=で暮らしているが、これでもインドの労働者の7割が働いている農村部に比べれば状況はいいようだ。

 これまで書いてきたように、都市での廃品回収は初期投資なしで一日8ドル程度(レンジは広い)くらい稼げるので、田んぼを耕すよりいい。農村では子どもは生まれすぎているし、跡取りの男の子以外は冷遇される。そのため都市に人が吸着される。

まとめると
・田舎の農村に貧困者がたくさんいる
・この人たちが都会を目指してくる
・ムンバイの半分はスラムになった。
・インドの人口は12億
・スラム居住者予備軍はたくさん

→インドの都市からスラムがなくなるのはだいぶ先のことだ

 一度定着したスラムの解消は難しいものなんです。

 ぼくのインドネシア時代の記事で、地元マフィアにも取材した力作です。占拠住民の団地移転問題をめぐるもので、その難しさについてわかるはずです。ダラヴィ地区でも無料で入居できる団地をつくって移転を促したが失敗しました。占拠地の方が利点がある。

jakartashimbun.com

*インド経済にチャンス、だけどそんな簡単な話か

 さて、最近は「中国経済が減速したいま、モディ政権が誕生したインドのポテンシャルは中国以上やん」という観測が世にあふれているが、この巨大な下層社会もインドの横顔だ。そしてこの下層社会とカーストのミックスパンチは社会に暗い影を落としている(これまでのエントリー読んでみてください)。常に不安含みで政治が前進することをさまたげる可能性がある。「モディで経済が一気に進んでいく」シナリオはどこまで本当なのか……。ぼくは懐疑的だ。インドはトレードマークの像のようにゆっくりと着実に進んでいくほうが、合っているかもしれない。

 それにしても、どこに行ってもカーストにぶち当たる。ラップトップで音楽製作ソフトをドライブしてシンセサイザーのシミュレーターを一日5時間はいぢいぢしていたぼくには、カーストなんてものは完全に信じられない。

 カーストを取り除けば、飛躍的に社会状況が好転するんじゃないか。競争も起きて人的資源が鍛えられるので経済の面でもいいし、社会の無用な軋轢を減らせるかもしれない、と思う。中国といい、インドといい、人口12億オーバーの国はどこか古い時代をそのままひきずっている。

 いや、結論を出すのは早いか。まだインドに来て1週間経っていない。あと、パンカジさん、やっぱムンバイにいるよ、貧困層