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デジタルエコノミー研究所

デジタルが生み出す新しい経済を知りたいビジネスパーソンのためのブログ

行動データは打出の小槌じゃない、人間だもの

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私たちは人間の行動からどれほどのことを知れるのだろうか。

様々なデータは人間の行動を露わにするが、しかし、その意図をどう評価すればいいのか。人間のマインドはあまりにも流動的な面がある。

というか、行動すらも、不合理だ。 

さらにわれわれは起こったことしか知らない。起こらなかったことを知る術がないのだ。この世界はあまりに複雑だ。

つまり、名探偵風に一連の行動から、ふむふむこやつ、こういうインテントを持っている、こーんな性格なヤツだなー、と類推はできる。しかし、その都度現れた行動は、たまたま、なんだ。

自分がその日した行動の理由、目的、つまりインテントをあなたはちゃんと説明できるだろうか。

ある男が突発的に殺人をおかしてしまったとする。そいつの朝飯がパンじゃなくて、うどんだったら、どうだろう。天候が雨じゃなくて、秋晴れの紅葉が美しい日だったらどうだろう?

そいつの殺人は「太陽が眩しかったから」と説明するしかないだろう。ミステリーが必要とする事後的な理由付けなどというものは信じるに足らない。

ぼくらはそういう「説明」に囲まれて生活しており、この説明の分厚い壁と無縁で暮らしていくのは、まあまあムズい。大切なのはどれだけ説明を茶化して利用し、受け止める態度だ。役の立たないものは時にとても役に立つ。

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行動とはどれだけ信じるに足る要因なのか。類推することは間違っているのか。

問題は感情だろう。感情を客観的に評価することはとても難しい。感情に合理的な要因を常に見出すことはいまのところ、できない。

人間のこころを捕捉して、導くことができるとは思わない。

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ただし感情、あるいは心のようなもの、そして行動をコントロールする術は存在する。服を買いに行って店員に勧められたから、買ってしまうのは誰にでも経験があることだ。他人を自分の都合の良いように動かす人は、だいたい会社でできる人と呼ばれている気がする。

コントロールが行くとこまで行ったのが、この映画だ。ぼくはこの世界には反対している。

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