デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

スリ財務相復帰はインドネシア興隆の狼煙

スリ・ムルヤニ(写真=linked in)が先月末、世界銀行COO(世銀ナンバー2)からインドネシア財務相に帰り咲いた。インドネシア史上最高の財務相であるムリヤニ氏は早速仕事をしまくっている。

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スリはインドネシアの経済学のメインストリームであるインドネシア大学(東大みたいなもの)の教授から、2005〜2010年に財務相を務め、08〜10年は日本の経産相と同じ経済調整相も兼任してインドネシア経済の舵取りをしていた。(日本では起こり得ないことだ)。インドネシアは1998年にアジア通貨危機で死にかける最中に民主化し、98〜2004年は政治は混乱し、経済状況はかなり悪かった。

経済界や関係国が「望んだ」SBY(スシロ・バンバン・ユドヨノ)政権が2005年に発足し、彼女が辣腕を振るい始めた。もちろんすべてが彼女の功績というのは乱暴だが、新興国経済では政府の舵取りが大きな要因になりうることを考慮すれば、彼女の仕事は経済浮上に大きく寄与したと言えるかもしれない。インドネシアの税収はみるみる伸び、歳出の効率性が高まり、財政は健全化した。アジア通貨危機以降、かなりインドネシアを疑問視していたグローバルマーケットの態度が、彼女のせいでかなり変わってきた(この記事はそのムードを伝えている)。

 

汚職が当たり前のなかで、反汚職を実現した

スマトラ島の南のランプンという気性の強い民族グループの出である彼女は、幾多の政治的圧力に屈せず汚職に厳しかった。どんどん不品行を摘発していった。

これはインドネシア社会で超難解なことだった。

まず、財務省の高級官僚のなかには海外留学経験者が少なくない。彼らの親も官僚・学者などのケースが多いが、額面上の給与では留学なんて絶対無理だ。つまりインフォーマルな金で留学している。彼らの子息も大概留学する(留学は高位職へのゲートウェイだからだ)。その金もインフォーマルに得られたものだ。つまり彼女を囲む高級官僚の多くが汚職と無縁じゃなく、他の省庁、国家機関も同様の状況だ。

さらにインドネシアの三権は国会にかなり強い権限をもたせている。この国会議員の99%は汚職をしたことがあるとインドネシア人は考えている。この人達は国会の隣にある超バブリーなホテルに集まって、国家予算をどう分けるかで一晩飲み明かせる人たちなのだ。この人達と闘いながら予算規模を拡大し、効率を上げていった。

彼女がもっとも脚光を、浴びたのは08〜09年の世界金融危機のときだ。富裕国が世界金融のメルトダウンから回復しようと苦しむなか、インドネシアは前年とまったく変わらぬ6%オーバーの成長を遂げていた(上図)。

彼女の税収を拡大する力はすごかったが、資源ブームでめきめきと力をつけた、政界の巨人、アブリザル・バクリー氏が納税を不得意にしている部分にも徴税の手を伸ばしたところ、彼や彼のような国家と密接な関係をもってビジネスをしているグループを怒らせてしまい、彼女はインドネシアを去り、世銀ナンバー2に収まった。

 現地記者に聞いてみた

知り合いの現地記者に状況を説明してもらった。

6月に国会で削減方針で可決した中央省庁予算をまた削減するし、事業の選択と集中を徹底するし、タックスアムネスティ租税特赦)を訴えてシンガポール出張する。やることが大胆で行動が早い。国会で一切手をつけなかった地方交付金の削減に踏み切ったのが本気度を感じる。与党入りしたゴルカル党は反発する感じじゃない

これを「解読」してみよう。

――6月に国会で削減方針で可決した中央省庁予算をまた削減するし

インドネシアの法規では国会で可決した予算を政府が微修正を加えられるようになっている(国会が上手く機能しないことを見越した仕組みだ……)。スリ氏はそれを活用し要らない中央省庁予算(イ固有の呼び方:省庁が使いみちを決めれる予算)、地方交付金をカットした(Tempo)。32年のスハルト独裁の反動で、地方分権インドネシアの「建前」だが、この交付金は典型的なバラマキ。この利権でどろどろの交付金を普通は「怖くて怖くてカットできない」のだが、彼女はあっさりやる。

――事業の選択と集中を徹底する

インドネシアは「あれもやる、これもやる」が多くてさまざまなプロジェクトに複数年の予算をつけるが、一貫性がなく実現しないし、途中で事業が終わったあかつきには「あれ、あの予算どこ行ったの?」になるのだ。

ーータックスアムネスティ租税特赦)を訴えて

タックスアムネスティは秘匿資産などの情報を開示すれば、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度だ。

日本の国税庁はこう記している。

諸外国においては、タックス・アムネスティを利用し、納税者から自主的に秘匿資産等の情報について開示・申告をさせることで、海外に流出した所得等の回収に成功している例が見受けられるところである。
「タックス・アムネスティ」とは「租税特赦」とも訳され、資産や所得を正しく申告していなかった納税者が自主的に開示・申告を行った場合に、これに本来ならば課される加算税等を減免したり刑事告発を免除したりする制度のことである。なお、先進諸国においては、その表記として「ボランタリー・ディスクロージャー」等を用いており、「タックス・アムネスティ」の表記を避けている。
タックス・アムネスティは、加算税等の減免や刑事告発の免除等をすれば必ずしも成功するというものではなく、その国の情報報告制度や罰則制度等の在り方とのバランスに大きく関わっているものではないかと思慮され、我が国に導入するとすればその効果的な導入のために、現在の制度及び執行にどのような検討が必要かについて十分に考察を行うこととしたい。

キャノングローバル戦略研究所の主任研究員、柏木 恵ポストの一部を抜粋する。米国の例がわかる。

タックスアムネスティとは、滞納者や脱税者に対し、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度をいう。いつ行われるかは分からないため、タックスアムネスティを見越して滞納することはできない。(中略)
米国では各州で「タックスアムネスティ(Tax Amnesty)」と呼ばれる税徴収のキャンペーンを不定期に突然行い成果を挙げている。タックスアムネスティとは、滞納者や脱税者に対し、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度をいう。いつ行われるかは分からないため、タックスアムネスティを見越して滞納することはできない。

さらに日本の国税庁「各国におけるタックス・アムネスティの利用実態」 によると、「個人又は法人の納税者が 2006 年以前の所得税申告書を増額修正し 2008 年 12 月 31 日 までに提出した場合に、延滞税(本税に対して月 2%)を免除する」ということだ。この情報はおそらくインドネシア国税当局から直接取材しているので確度が高い。

タックスアムネスティは「自主性」という言葉で形容されるが、インドネシアの状況を勘案すると、典型的なアメとムチ(Reward and punishment )政策だ。ザルな徴税を引き締めるとともに「もし自主的に税申告しなければ摘発するぞ」というムチがちゃんと効いていないとうまくいかない。

このムチをしならせられるのがスリということだ。

――シンガポール出張する

このタックスアムネスティで極めて重要なのが、シンガポールだ。このマラッカ海峡にあるタックスヘイブンには税務当局が追跡できてない、インドネシア富裕層の資産が眠っている。スリが協力を得られたかは不明だ。この部分こそ、シンガポールの繁栄の大きな要因だからだ。

インドネシアは外国投資に依存している。投資の7割が外国直接投資(FDI)だ。そのなかで一番大きい経由地はシンガポール(34.76%)だ(出典:投資調整庁)

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外国直接投資の内訳は、1位シンガポール、3位香港、6位イギリス領ヴァージン諸島、10位モーリシャス共和国、12位スイス、13位ケイマン諸島、14位ルクセンブルク……。タックスヘイブンからの投資がコモディティなどに流れ込み、利益の部分が海外に抜けてしまうというのがインドネシアの悩みだ。2位の日本も、JVからの配当である程度日本などに利益が抜けていくが、製造業主体で雇用も生んでおり(イは製造業への投資がノドから手が出るほど欲しい)、比較的「お手柔らか」だと考えられる。しかも日本人は比較的、よくも悪くも「いい人」なのだ。いちいち細かくてリスク回避的でアジアでは横柄なのが少しイヤだが、タックスヘイブンから投資する手合いより、全然付き合いやすい。そうインドネシア政府は考えているはずだ(インドのモディと仲良くなったのもこういう理由だし、日本人男性との交際を好む外国人女性の動機もそうだろう笑)

法人税も下げてシンガポール対策

KOMPAS.comによると、法人税を25%から17%に落とすことを検討している。スリ財務相法人税を規定する法律の改正案を国会に提出する予定だ。

NNAは以下の通りだ。

大統領は法人所得税について「シンガポールの税率が17%で、インドネシアが25%のままであれば、競争に負けるのは明らかだ。投資家はすべて海外に逃げてしまう」と語った。政府は現在、17%まで一気に引き下げるのか、あるいは段階的にまずは20%、その後に17%まで下げるのかについて協議していることも明らかにした。

事業自体はインドネシアで行うのに、シンガポールにヘッドクォーターを置く大企業がある。理由はシンガポールとの法人税の差だ。こういう企業のトップは国籍こそインドネシアだが、シンガポールや香港などに住んでおり(ジャカルタの北の海岸沿いにマンションと船舶を所有していたりする)、各種の納税もそこでやる。

このほかタックス・ヘイブンを設置する可能性についても言及。「国内には数多くの島がある。うち1カ所をタックス・ヘイブンにしても問題はない」と発言。政府が現在、検討を進めていることを明らかにした。

どうやら国内にタックスヘイブンをつくる考えらしく、これは面白い。「海外のタックスヘイブンではなく、国内のタックスヘイブンを使えばいいか」を狙っているようだ。インドネシア政府は、国内に投資された資金が海外に引き上げられないで、国内産業に再投資される、コールドマネーがほしい、ということだ。

スリ体制でされること

ジョコ・ウィドド政権が誕生してから、彼らの方針はずっと明確だ。新興国としてベーシックなこと、確立した方程式通りのことをする。

  • 財政収入を増やす
  • 社会扶助、教育、健康保険で中間層を育てる
  • インフラへの公的投資を増やす

世銀のクォータリーレポートもこう評価している。

「慎重な金融政策、増加するインフラへの公的投資、さらに投資環境の向上させる政策上の改革はインドネシアが5.1%の成長を持続することを助けるだろう」――Rodrigo Chaves、世銀インドネシア担当カントリーダイレクター
インドネシアが製造業や、観光業に代表されるサービス業での競争力を高める改革を実施するための重要な機会になっている。現在実施されている改革に加えて、産業ごとの戦略が重要になるだろう。プロダクトデザイン、エンジニアリング、成長産業の優先的な開発などにおける、技術移転か技術力の向上が重要になる。各産業のアップグレード、技術的なはしごを上るためにもプライベートセクターと強固なパートナーシップが必要になる――Ndiame Diop, 世銀インドネシア担当リードエコノミスト

不安材料:政局リスク低いが、製造業はうまく育っていない

不安材料はゴルカル党だ。しかし、長年足を引っ張ったこの部分が意外にも視界良好だ。

ジョコ・ウィドド政権はスリを加える内閣改造で、ゴルカル党を与党に加えた。ゴルカル党はもともとスハルト独裁政権の翼賛機関を基にしており、魑魅魍魎のすみかである。2010年にスリをインドネシアを去らせた、アブリザル・バクリー氏の党内権力は、自身のビジネスのメルトダウンとともにかなり落ち込んでいるようだ。これが大きい。

スリは現政権の発足時にも財務相のオファーを受けたが、断ったとされる。「政治のバックボーンがつかない限り彼女はやらない」と言われていた。じゃあ今度はアブリザルが去ってバックボーンがしっかりしたということだろう。

アブリザルに代わり党首に就任したストヤ・ノファントは2019年のジョコの大統領選出馬の支持まで確約している。ストヤ氏ははたけばいくらでも埃が出てくるタイプの政治家だ。ジョコ政権下で捜査機関が彼を立件するのは、赤子の手をひねるくらい簡単だ。それが起きないのはストヤ氏がゴルカル党を大人しくしておくための傀儡として役立つからだろうか。「あえて立件されないでいる操り人形」、そう勘ぐるのが普通だ。

ジョコ政権はかなり政治家たちをぎゃふんと言わせている。政局リスクは比較的少ない。

もっとも大きな不安要因はコモディティ市況だ。インドネシアスハルト独裁政権時代から製造業を育てようとしてきた。2.5億人に雇用を渡すには製造業が重要だからだ。しかし、以下の図の通り、98年の通貨危機以降、開発計画と投資が寸断され、製造業の成長が停滞した。

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しかも、08年のリーマンショック以降のコモディティバブルで、この国でされる投資の多くが資源産業に振り向けられるようになってしまった。バブルが終わった後、GDP伸び率5%台という結果として出てしまっている。インドネシアでは毎年山程の若者が労働市場に参入してくる。彼らの働き口をつくらないといけないのだ。ただし、各種の法律、行政プロセデュアのレベルが低く、中小企業は楽しくないし、新しくビジネスをやろうという気概はあんまりそそられない部分がある。下図の通り、インドネシアの製造業のシェアは低いままだ。現政権は2020〜2024年の次期まで製造業の種を巻き続けないといけないだろう。

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最後の不安材料は、ホットマネーだ。ジョコ政権発足から株式市場は上昇を続けている。ただこれらのカネは瞬時に入っては出て行くことを繰り返すためリスクでもある。通貨危機スハルト政権崩壊の98年に大規模な資産逃避が起きており、率直に言えば、暴動の矛先になった華人がそれを行った。インドネシアの資本市場ではチャイニーズのマネーの存在感は強く、中央・地方経済でされるさまざまな投資の原資に華人は少なからず絡んでいる。

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またインドネシア華人以外の在外中華系、それ以外の投資家グループは世界のさまざまな場所と天秤をかけながらホットマネーを動かしている。インドなど競合投資先が躍進したり、アフリカが追いかけてきたりすると彼らはすぐにベット先を変えるのだ。

結論:経済政策に信頼、デジタルに投資してほしい

スリ氏が何をするかとても楽しみだ。ジョコ政権のベーシックな経済浮揚策はとても説得力があり、スリ氏の力は大きく寄与すると思う。ただし、マクロ経済政策ができることは限られてもいる(アベノミクスはその好例だ)。2.5億人に新しい社会を提示できる若い人材を生めるようにしなくてはいけない。

爆発的な速度で進歩するデジタルテクノロジーは、日本が経験したような20世紀的な経済開発とは異なる通り道を構築できると思う。確かに今人々が必要とするのはインフラだが、同時に豊かな情報を得たり、少ない人数でビジネス、行政手続をスケールするなどの実験もどんどんしてほしい。コンピュータサイエンスがあらゆることを変えたのはもう明らかだし、インドネシアのような開発途上の若い国でこそ、その進化を発揮できるはずだ。