デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

世界は情報でできている、だから書き換えられる


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帰りの電車で電車の中を眺めていた。とても興味深い。電車のなかから見えるのは物質だ。情報を意味する記号はあるが、すべて物理的なものだ。

だけどぼくたちの社会では情報が大事だ。ルイヴィトンのバッグを買うとき、買うのは記号だ。ルイヴィトンが与えてくれるベネフィットは他のバッグと比べて大して違わない。恐ろしいことにルイヴィトンを所有しているという事実に、価値が見出されている。

バブルのまっ最中、記号の消費はピークを迎えた。そして「欲しいものが欲しいわ」(糸井重里)となった。でも、私たちの消費する情報の殆どは生存には関わらないどうでもいいこと、なのは確かだ。

情報で生まれた価値の代表例は、お金だ。お金はほとんど情報だけでできている。もし仮にぼくが宇宙人で、世界中の人々から、お金に関する記憶・迷信を消す魔法が使えるとするなら、魔法が唱えられた瞬間にお金は紙くずか、コンピュータに記録された数字になってしまう。

政府の多くの部分も情報でできているだろう。政府という妄想を消す魔法を唱えれるなら、政府はたくさんの人間の詰まった箱になる。

多様性と自由にこだわっていたい

ぼくはテレビ、新聞、ニュースサイトのゴシップ記事というメインストリームの情報をほとんど摂取していない。そこで流通している情報が想定する人間には「多様性」がない気がするからだ。テレビ番組や新聞記事をつくっている人々の世界観はあまり複雑じゃない。だからそこで使われている価値尺度の過度なシンプルさが余りにも理解できない。あれは水槽のなかの熱帯魚をつくろうとするものだ。


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最近、クイズ番組をみて、おかしいと思った。なぜこの国では四角の中に言葉を入れることをもてはやしているんだろう。検索したら出てくるし、クイズ問題作成だって検索を使っているだろう。

あれだと課題解決能力は身につかない。失われた20年の間、エリート層は余り課題を解決できなかった。いまも20年前に起きた変化の実相をうまくつかめないでいる。そろそろ、失われた30年になる。

言いたいことは、簡単。情報が大事な時代になった。情報でできたものは、書き換えられる。 情報はとても 相対的 であり ダイナミック である。情報が情報として認識されるのは 人間が存在することがとても大きな要因になっている。ぼくたちは、ぼくたちのためにならない情報を書き換えることができる。だから積極的に書き換えていこう。それだけ。