デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

【旅行記】都電荒川線>香港、シンガポール

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 ぼくは乗り物に乗るのが大好きで、鉄道に限れば乗り鉄です。前職ではシンガポールを訪れる機会がまあまああり、鉄道(MRT)に乗って降りて散策してを繰り返してました。そうすると都市がどうやってできていて、鉄道がそのなかでどんな役割をしているのかが、まあまあわかります。そしてシンガポールはすべてが人工的だと改めて実感することになりました。

 これシンガポールのライトレール(LRT)です。電車(MRT)路線がカバーしきれないところを通ってます。専門家ではないんで何とも言えませんが、バス以上電車未満の乗客が見込める所につくって交通網に接続させる役割です。

 ぼくはジャカルタ貧困層を取材する過程で、立ち退きを迫られる貧しい人たちが、「ここから立ち退いたら、交通の便が悪くなり生活環境にアクセスできなくなる」と訴えていたのに出会い、交通インフラの重要性を痛感しました。2700万規模の都市圏であるジャカルタでは、バイクを持っていないと話にならないほど公共交通が貧弱だったんです。

 つまり交通インフラってのは人の生き死に関わるほどの重要なもの。商人にとって砂漠でのラクダってものすごく大事であるように、生活必需品と言っても間違いないと実感することになりました。

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 ライトレールは上の写真のようなマンションたちへのアクセスになっている。シンガポールは中心地が商業・オフィス機能がぎゅっと詰まっていまして、その周辺がマンション開発地になっています。マンションから歩道を歩いて、ライトレール、電車と乗り継いで都心の職場に出る導線が簡単にイメージできます。周辺は本当にマンションのためだけにあるような土地で、シーリングファンが回っているフードコート、スーパーマーケットのような構成でできています。衣食住を満たすには十分です。

 ただし、ちょっと行き過ぎ感はいなめないかもしれません。機能的すぎて、システムに人間が飼われているような感覚です。

 ちょっと映画の話。システムなどに人間が管理されるというモチーフは映画でもたびたび使われてきました。ジョージ・ルーカスの隠れた名作「電子的迷宮/THX 1138 4EB」は正直スターウォーズより愉しい作品です。システムに飼われた人間が自分の境遇に気づいてある日、自分を管理している、陰鬱な世界から逃げ出します。それから言わずもがなの「マトリックス」。監督のウォシャウスキー姉弟(兄貴が性転換していた)は最近「ジュピター」という新作を公開。彼らの時元のシカゴから壮大な宇宙へと話が拡大していくようで、日本に帰ったら見てやろうと思います。


Electronic Labyrint: THX 1138 4EB_George Lucas ...

 これと対置する世界観を持つのが「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」なんだと思います。これらは都市化した日本の人たちの心をくすぐって仕方ありません。宮崎駿のアニメって「人間/自然」という対立が描かれていて、人間は自然とともに暮らしていくんだ、というメッセージが明確ですね。おそらく宮崎アニメには自分が経験していない、昔会った自然を懐かしませる作用があります。知りもしないものへの喪失感を浮き上がらせるところがある。

 すべてがキラキラの高層ビルの街に暮らしたくないし、何もかもがマクドナルド的でセブンイレブン的でH&M的なソフィスティケイトされた世界に暮らしたくない。何かしら粗雑で薄汚れた部分を含んでいたいと思います。

 とにかくこの、都市での都市環境拒絶状況を、パフュームの「コンピュターシティ」状態と名づけたくなりました。歌詞を見てください。

完璧な計算で造られたこの街を
逃げ出し(たい)壊したい
真実はあるのかな
完璧な計算で造られた楽園で
ひとつだけ うそじゃない 愛してる 

 素晴らしいですね。中田ヤスタカさんってこうやって現代を批評したり、ティーンエイジャーの女の子目線で消費社会のムードを描写するのが得意なんですよね。


[MV] Perfume「コンピューターシティ」 - YouTube

 シンガポール人は日本の北海道とか地方を観光するのが好きです。北海道でも札幌とか函館はすぐに制覇して東の方まで探検していると聞きます。つまり、彼らが飽き飽きしている都市ではなく、農村に入っていっているわけです。

 もう気分はコンピュターシティ状態なんでしょう。「われわれはどこから来たのか?そうだ、自然からきたのだ」とか感じていまして、自然に触れたくてたまらないんじゃないでしょうか。シンガポールでは緑地も極めて戦略的に整備されていて、公園とか街路樹とかみるとその整然とした並び方に驚かされ、少しだけ嫌悪感を感じます。保水能力を保つために一定の林を残すように土地利用計画を定めていますので、わざとらしく残された林を見ることができます。だから、彼/彼女たちは家で液晶テレビでこっそり宮崎アニメ見て涙しているかもしれないですね。

 ただし、あんまり自然と人間を対立させて考えてもいけないかもしれません。人間の活動は破壊的なイノベーションが起きない限りは、常に環境に負荷をかけるものです。むしろ、人間が都市にぎゅっと人が集まっていた方が効率的でエコロジーだという主張があります。下の本では「自然を求めてスプロールして人々が暮らすようになると、そこにインフラを持っていったり乗用車の利用が必要になることなどでむしろエネルギーを消費する。自然は人間の手つかずのままにして、人間は都市にあつまるほうがいい。高層化された都市こそ効率的で素晴らしく、しかも近接性がイノベーションを生むなどの利点に恵まれる。都市は勝利した」と解説してます(ちょっとがさつな要約ですが)。

都市は人類最高の発明である

都市は人類最高の発明である

 

 それで、乗り鉄に話を戻しますと、同じ都市国家の香港でも似たようなライトレールを発見して興奮しました。路線も入り組んでたくさんある。こっちは路面電車でして町中を抜けていきますが、もちろん下町情緒あふれる景色ではなく、マンションの群れを抜けていきます。電車、バスだけでなく、こういう細部までシンガポールと似てくるのは面白い。都市計画の考え方で共通しているんでしょう。

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 この路面電車に乗っているうちに、大学生時代に乗ったライトレール、都電荒川線を思い出しました。ぼくは本当にどうしようもないテンプラ学生だったんですが、大学のキャンパスの東側に麻雀荘の集積地があり、まあよくそこでさぼっていた。そこからもう少し東に行くと、都電荒川線の始発駅がありまして、麻雀の相手がいない場合は、特に行き先があるわけでもないのに電車に乗っていました(乗り鉄ですから)。途中民家すれすれを通る場所とかがあり、一般道と重なる所では乗用車の渋滞に巻き込まれて全然進まなくなったり、利用者がどうも自分以外だいたい高齢者だったりするのが愛嬌です。

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 終点の三ノ輪橋の駅前には商店街があって総菜とかが安い値段で売っているので重宝しました。周辺は昔遊郭の吉原、浮浪者が集まる山谷が近くて、町歩きするとかなり興味深いモノゴトを見ることができました。

 結論としては都電荒川線はまったくコンピュータシティ状態に陥らなくて住むライトレール(軽電車)であり、その点において、シンガポールと香港のライトレールに勝っているということです。

都電荒川線>香港、シンガポール