新国立競技場2500億円問題とディビッド・ボウイ
新国立競技場の建設費がロンドン五輪の3倍ととても高いことになっています。どうしてこんなに高いのかは「分からへんねん」(安藤忠雄氏)という始末。21世紀のスポーツの祭典というオリンピックですが、むしろ20世紀の「黄泉帰り」と考えた方がいいかもしれません。
*高コストをこじらせた図書館、駅前再開発
国立競技場をめぐる話を仕入れたのは近所の図書館でした。図書館はガラス張りの空間を抜けるエレベーターなどいかにも現代的な造りで調度品のすべてが整っていました。とても高質な空間で快適な限りですが、「なぜここまでレベルを上げるのか」と首をひねってしまいます。
図書館の外には、小さな憩いの場をつくろうとしたベンチと樹木で造られた空間がありますが、計画がうまくはまらないせいか、誰もが通り過ぎる死に場所になっています。
某市の某駅前は数年前から駅前をくりぬいて、高層マンション中心の再開発と、行政が好むバス・乗用車用のロータリーが整備されました。一方、自転車の駐輪に対して厳しい態度をとるようになりました。
つまり駅前の高層マンション周辺の人々と、その他の方々の間に「溝」ができる街造りが推進されてきたようにも思えます。確かに駅前には人々の往来があり、コミュニケーションが起きてはいますが、未だに開発が進む新興住宅地としての潜在性は、その高層マンションとロータリーが虚しくした駅前には見えません。
*よみがえるインフラ神話
何が言いたいのかというと、どうもこういう開発を動かす根本思想には日本特有の「インフラ神話」がべったりとすり込まれているんじゃないかと思いました。つたない記憶によれば、この国では90年代からずっと「箱物行政やめようぜ」って話していたと思います。
森会長は1964年の東京五輪で造った国立競技場について、「半世紀の間、日本のスポーツの聖地だった」と指摘。新競技場について「北海道の皆さんにも喜んで来て裸足になって走って歩けるような競技場を造って、20年東京五輪のレガシーとして残そうというのが我々、スポーツ愛好者の考え方」と語った。(朝日新聞デジタル「森会長「我々スポーツ愛好者の考え 新国立競技場問題」)
「レガシー」という観点は慧眼ですが、投資という観点も好ましいと思います。
箱物に投資するのが好ましいのは、
・人口が右肩上がり
・経済のパイが右肩上がり
・製造業が右肩上がり
の状況だと思います。この2500億円、余りにも20世紀的です。最近、右を向いても左を向いても投資利益率(ROI)という言葉を聞きますが、この競技場のROIはどれほどなんでしょうか。
#新国立競技場クソコラグランプリ 金をめっちゃ食う pic.twitter.com/bw65Zrp4l1
— マーシー ネタバレはWOWOW実況で! (@nari199810031) 2015, 7月 11
2500億円をスタートアップに出資するファンドにしたり、テクノロジー投資にあてたり、子育てを支援する原資に当てたりする方が、将来のためになると思います。特に子育て。私と同世代で結婚をしたり、子育てを始めたりしている人々はこんな感じで大変です。
わたしは独身で気楽ですが、皆さん大変です。
デイビッド・ボウイに歌ってもらってブログ終えます。
"changes"(January 1972)
Ch-ch-ch-ch-Changes
(Turn and face the strain)
Ch-ch-Changes
Don't want to be a richer man
Ch-ch-ch-ch-Changes
(Turn and face the strain)
Ch-ch-Changes
Just gonna have to be a different man
Time may change me
But I can't trace time