デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

そいつが何するか当てるより、ロケットを月に飛ばすほうが楽勝な件について

 
この世のなか、情報の非対称性がごろごろころがっている。情報の非対称性ってのは、あいつは知っているけど、こいつは知らないってことだ。
 
via Digital media academy
 
情報の非対称性は2者間のやりとりを前提にしている。2者の間でみれば、情報優位のほうと、情報劣位のほうにわけることは可能だ。実際には都市居住者たちは多数の人間と常に関わりながら暮らすことになる。
 
情報の優劣をグラフィカルにすると、たぶん、下のように摩天楼の雑木林になる。高いビル=物知りさん、低い雑居ビル=興味なしさん、の間で差はかなりついている。
 
ただし情報のテーマは無数にあり、テーマが変わると、摩天楼たちの高さはそのつど、ぐーんと伸びたり、ずずんと落ちたりする。つまりかなり難しい。

f:id:taxi-yoshida:20160123114331p:plain

 via CC
 
自分だけが知っていることにして、優位性をつくろうという欲求はどこにでもある。
 
あるいは、人間はそれぞれ、意図とともに、あるいは無意識に行動する。この行動のメカニズムに統一されたロジックが存在するとは思えない。だから、とってもとっても複雑だ。
 
ベル・カーブなんて嘘つきだ、と昨日、某所で聞いた。まったくもってそのとおり。そしてあまりにも有名な「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」も、皮肉たっぷりにそう主張する。
ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

 

 分析対象が拡大すればするほど、モデルと、実際の世界の間に差ができていくのだろか。あるいは、使うデータのスケールをビッグにすることで、役に立つ知見を導き出せるのだろうか。少なくとも理論と現実の間に差が生じている。

セイラー教授の行動経済学入門

セイラー教授の行動経済学入門

 

ロケットを宇宙空間に飛ばすほうが、人間の行動を予測するより楽勝、と「セイラー教授の行動経済学入門」の序文で触れられている。そう人間がからむと、とたんにわけがわからなくなる。

 
 
これに拍車をかけるのが、ディストリビューティッドな構造だ(下㊨)。現代の社会は軍事独裁政権の時代ではなく、プロパガンダで人を支配できる時代でもなくディストリビューティッドな構造になっている。この構造はセントライズドな構造とはかなり違う。
 
ダイナミックでインタラクティブで、とんでもなく複雑だ。人間が自律的な行動を行うからだ。コンピューティング、インターネットの根本には、中央集権型という短期的なガバナンスシステムを、ディストリビューティッドな広がりにつくりかえていく思想があるだろう。 
f:id:taxi-yoshida:20160123114729p:plain
 
このシステムを、現実に普及させた決定打がスマートフォンだと思う。スマホはモビリティと、便利さ、ネット接続を提供した。真の意味で「パーソナルコンピューター」。スマートフォンをとてもクールで親しみやすいものにしたスティーブ・ジョブスはやっぱりすごい。
 
2020年には50億人がスマホ保有し、ネット接続すると予測される。
つまりこういうことだ。
 
3
 
じゃあ、こんな複雑な世界で情報がくまなく行き渡ることがあるだろうか。もちろんありえないだろう。人間はどう行動するかというと、断片的な情報で、自分勝手な推測をして、それに基づいて、他人に働きかけたり、行動したりするのだ。これらが掛け算されていくと、もう、頭が痛くなっていくばかりだ。
 
これらの不確実な意思決定のプロセスを踏んで、不完全な情報をもとに、世界を自由気ままに推測し、その場のノリで行動する人たちが60億人程度いる。じゃあその結果、世界はどうなっているのか。もちろんぐちゃぐちゃだ。
 
 
でも、安心してください。
推測を誤っていいんですよ。だってこんな難しいことを的中させるのなんて無理だから。誤りは凡人だけのものじゃない。アメリカのエリートを集めたCIAだって推測には失敗をしていた、ようだった。
CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

 

この「CIA秘録」をアマゾンでレビューの人がとてもクールなので紹介してみたい。

一次情報を収集することができず、根拠のない推測から大量の資金、工作員を投入し、多大な損害を被り何の成果もあげられないにもかかわらず、結果を捻じ曲げ、失敗を隠蔽し、まったく責任をとることなく存続し続け、肥大化していきます。 情報ソースは公開されたアメリカ公文書が主なものであることが巻末の170頁に渡る「著者によるソースノート」から分かります。公文書の中でのCIAのどたばた、無能ぶりはもはやB級コメディ映画の域といえます。しかし、アメリカ公文書の情報公開が進んでいるとはいうものの、肝心な部分になると、非公開に壁に突き当たるといわれていることも研究者のあいだではよく知られていることと聞きます。公文書は歴史の一次情報であり、現在これ以上の緻密で詳細な考察は見当たらないため、これを否定する材料を示すことはでません。しかしながら、これのみをもって真実とするのは早計といえるのではないかとも思います。もしこれが真実であればCIA の存在自体が問われるだろうし、結果責任を厳しく捉えているアメリカで相変わらず存在していること自体が、本書がCIAのすべてを語っているわけではないという証拠とも受け取れるのではないでしょうか。
 
私自身は本書をもってしてもCIAの無能さは俄かに信じ難いとしかいえません。
うん、クールだ。
 
「CIAは不完全な情報で根拠のない推測を繰り返した」ことを、この本は「推測」している。このため、本の主張を鵜呑みにわけにはいかない。「推測を推測する本」に全幅の信頼を置くわけにはいきません、とレビュワーは言っている。
 
この気付きは最初の一歩になる。でもその向こうに荒野が広がっている。
 
 
それから、チェスの天才、ボビー・フィッシャーを扱ったこの映画「完全なるチェックメイト」。予告編には出てこないけど、フィッシャーはあらゆるものに関係性を見出し、恐怖し、不安を感じ、最終的にはパラノイアに毒されていくのだ。
 
ぼくのヨミでは、フィッシャーはIQが高いので、放っておいても、脳みそがギュンギュン並列的に思考を回し、勝手にあらゆることを連想、関連付けてしまうのではないか。最終的に、フィッシャーは自分がユダヤ系にもかかわらず、ユダヤ人、ソ連KGBが世界を秘密裏に支配しようとしているというヤバい陰謀論にとりつかれてしまう。彼の好敵手であるスパスキーも同じような兆候を持っていた。
 
 
 
だから、妙な推測に振り回されないような強い精神状態が必要だ。
羽生善治名人は「読みを切る」大事さに触れている。将棋の局面を読んでいっても無限に近い可能性にさらされるだけだ。どこかで、読みを断ち切り、意思決定に出ることが大事だというのだ。
 
ただ、羽生さんになれるわけではないので、もっとこころに核のようなものを持つほうが近いかもしれない。スティーブ・ジョブスが禅に入れ込んだように。
 
ただし、アクションで働きかけていくことで、世界の変化にちょっとした影響を与えられる。いろんな人やモノゴトをハッピーにするやり方で、力強く踏み込んでいくことが大事だと思う、今日このごろだ。
 
そう来週はアクションが周囲の状況を変えながら、遂行されることについて考えをまとめよう。
 
PS
前にも似たようなことを考えていたことが、いま発覚した。