デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

欲しいものが欲しいわ、店員さんの都合で買わされるものじゃなくて

 
トレーニングシューズを買いたいと思っていた。以前のポストに書いたように、インターネットだけでは埒が明かないので、某スポーツ量販店に向かった。対面の売買なら、親切な店員さんのおかげで、良い物買える、となればいいけど、そうじゃない。ぼくは「情報の非対称性」にぶつかることになった(情報の非対称性こっちのポストでも触れている)。
 
 
ぼくは一見してカモ....。
 
アンガールズ的な体格
青二才で押しに弱そうな顔
・色白
 
店員はすぐにこの特徴をとらえたと思う。そして情報優位性をフルに利用して、ぼくの買い物を自分の利益のために最大限活かそうと考えたはずだ。
 
 
<店員さんの戦略>
店員さんは、ぼくのブランドAの30センチがほしいという要望を聞いて、まず29センチのものを勧めてきた。もちろん、合わない。次にブランドBの似たようなデザインの29.5センチを持ってくる。合わない。
 
「30センチはないんですか?」
 
ここでブランドCの30センチの登場だ。情けなくなるほどイエローなシューズ。「かかとをぎゅっと押し込んでから履くべし」など長い講義をぶつ。いくつも靴を履かせ、講義まで加えて、本来なら買い手が優位な状況を、逆転しようとしている。そして、店員に使わせた労力を増やし、むしろ「買わなくてはいけない」という心理的プレッシャーを与えようともしている、かもしれない。
 
もちろん、その30センチは合う。「これしかないんですよねー30センチは」といい、店員はその商品の素晴らしさをとうとうと説くわけだ。
 
でも、僕はブランドAが欲しかった。それを伝えると、最後の猛攻をしかけてきたが、なんとか観念してくれた。店員Aは別の売り場の店員Bに話しかけた。結局ブランドAの30センチは5モデルあったわけだ。
 
ぼくは自分のニーズを達成できた。
他方、店員Aは同僚に油揚げをさらわれた。
 
 
ぼくと店員の間には次のような情報の格差が横たわる。
ぼく:在庫状況がわからない、どの商品がすぐれているかも、わからない。
店員:在庫状況がわかる、どの商品がすぐれているかも、わかる。
この情報格差を利用してブランドCを売りたかった。たぶん、アレは黄色すぎて誰も買わない。しかも、Cを売ることに報酬がつくはずだろう。実際には店員AはCをなんとか売ろうとがんばることで、情報の一端をぼくにさらすことになる。それが、ぼくのようなあまのじゃくを相手にすると、目標の達成をむしろ遠ざけることにつながる。そしておいしいところを同僚にさらわれるのだ。
 
これを「売り子の自爆」と勝手に名付けよう。売りたがるあまり相手を警戒させてしまうことだ。ぼくが関わる業界では、売り手がいろいろ不品行を働いていたことがわかり、売り手と買い手の対立が先鋭化しすぎることになり、買い手があらゆることに不可能なレベルの透明性を持ち込もうとしている。その結果今度は売り手の首がしまって、買い手もいいものが買えなくなり、市場そのものが不安定になっている。
 
問題は買い手と売り手のインセンティブが協調しないことだ。売り手には買い手を騙すインセンティブが常にある、買い手はそれでも買いたい。騙されないようにさまざまな手段をとることになる。
  
 
似たような事例が「ヤバい経済学」でも紹介されている。不動産屋の収入は一定の手数料によってもたらされるので、仲介者としての彼らは売り手のことも、買い手のことも考えない、という。売り手のために工夫しようが、買い手のニーズに合わせてあげようが、報酬は与えられない。だから、不動産屋は取引を高速でさばくことを重視する(すなわち換金する)、ということをスティーブン・レビットがデータで示している。
 
当然、不動産屋は関係者に対し都合のいい情報やら偽情報やらを渡して、さっさと買わせようと、あるいは、売らせようとしむけるのだ。その結果、ミスマッチな取引が続出する。
ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ブローカーが売り手と買い手を欺くインセンティブが存在する。この状況はさまざまな業界であることだと思う。

売り手が買い手に対して、最適なものを売ったとき、ブローカーが最適な取引を助けたとき、参加者がもっとも報われる仕組みがあるといいな、と思うわけだ。そうすると、売り手と買い手のインセンティブが反発しあわない。相手を泣かせることが自分の利益にならないのなら、普通の人はそうしない。

 
 
この文脈の中で、鈴木健が提唱するPICSYは面白い。価値が伝播する通貨であるPICSYは、コミュニティに対しどれだけ貢献したかにより、その人が手に入れられる価値が上下すると説明する。元請けが下請け、孫請けを泣かして、レント(超過利潤)をエンジョイすることをなめすことができるという。
 
薬を処方しまくる医者より、適切なものを適切な量だけ渡し、患者の健康に真に配慮する医者のほうが儲かるようになる、と主張していた。

P I C S Y - Propagational Investment Currency SYstem - Project

PICSYの基本原理

PICSYは、「その人がコミュニティに与えた貢献度に応じて貢献を受ける権利(購買力)を得るべきである」という互酬制原理とよぶ考え方に基づいています。互酬制原理をひとたび認めれば、あとは、「いかにしてその人がコミュニティに与えた貢献度を測るか」という問題と、「貢献度をいかにして購買力に結びつけるか」という問題に答えを与えればいいことになります。最初の問題については、行列計算とよばれる数学的な手法を用いて、「一瞬一瞬を均衡させる」ことによって解決します。次の問題については、貢献度に応じて高額のモノを買うことができる仕組みを用意します。互酬制原理は、「より公正な貨幣」を目指しています。そのためには、「価値が伝播する貨幣」でなくてはならないので、必然的にそれは「すべてが投資の貨幣」になってしまいます。 

店員Aが、ぼくにとって最適なトレーニングシューズを提供することが「投資」となるような仕組みをPICSYは持っている。ぼくが素晴らしいトレーニングを積み、心身ともに健康になり、仕事で大成功すると、店員Aにも報酬が舞い込み、(アマゾン・ヤフオクのレビューみたいに)信頼性が高まって仕事がやりやすくなるなら、ぼくと店員は協調してシューズを選べたのだ。

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵

 

このPICSYには課題もあるかもしれない。

(1)テクニカルな部分は正直未知数。

どうやって開発し、どうやって実現するのかはよくわからない。また行列計算でその都度均衡させる、というのが実現可能なのか、も気になるので、広範な範囲に適用できるかもよくわからない。さらに「貢献」などの判定をどうやるのか。オーウェリアンが恐怖するような巨大権力がそれをやるのは、やっぱ怖い。相互的に互いを評価しあう仕組みをつかうのか。それこそ、フェイスブックで「いいね」をどれだけ集めたか、的なやり方でやるのか。

(2)少数の大勝と多数の大敗

スポーツ店員を例にすると、客に対し超最適な靴やらウェアやらを提供し、運動能力を40%UPさせて他の店員に差をつけているヤツがいると仮定する。みんなこいつから買いたがるようになるので、こいつはどんどん儲かり、信頼性を跳ね上がらせる。そいつはインターネットでスポーツ用品を売り始め、ものすごい数の客を一人でさばき始める。そんなヤツがひとりか、あるいは数人かでスポーツ用品店員業界を支配するようになるかもしれない。

――貧富の差の拡大の可能性は「なめらかな社会とその敵」でも触れられている。

それでも、この貨幣にこもっている思想は愉しいと思う。この世の中の難しい部分をより楽しくしていくことに繋がりそうだからだ。

PICSYでは、「投資」することが、奨励されている。目の前にいる人を騙して、短期的に利益を得るよりは、その人のためになることをして、長期的利益を築こうということだ。ゲーム理論においても、利他的な行動は利己的な行動のオプションとして存在する。つまり、荒っぽく言うと、利他的行動は合理的なのだ。

そう、利他的行動と長期的利益を考えることが、一番利己的に考えた時に「おいしい」ケースはまあまああるとぼくは信じている。だから他人に利益をわたし、未来に投資する(もちろん不合理な行動に裏切られ、ムカムカすることが連発するのだが)。

ただし人間は不合理な生き物なので、インセンティブ以外のスパイスも必要だなーと思う。フェイスブックのような閉鎖空間も一つの答え。宗教は伝統的かつ古くないやり方かもしれない。定期的に儀式をし、超越的な存在を信じることで、ヤバいことをしないよう抑制する部分がある。

でも、抑えたり、閉じたりするのとは違う方法はないのかなーー、と考えてしまう。