デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

公的セクターと民間セクター二つでこの世界はできていない、と思う株安の週末

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映画「ブラックスキャンダル」を先日みて、公的セクターについて考えてみた。

映画は昇進と私腹を肥やすために、ギャングと懇意になるFBI捜査官の話。

公的セクターの運営の成功は、歴史的にかなりでかかった。基本、政府は暴力を独占し、市場の失敗を補填し、開発期の経済を離陸させることができる。それは必ずしも、民主主義を完全に満たす必要はないのだ。法の支配さえあれば、開発独裁がうまく行くこともあるかもしれない。

しかし、公的セクターから腐敗を抜くのは難しいものだ。だから、アメとムチを使う。合法的で後ろ指を指されない役得を渡し、公僕にあらざるものには厳罰を課す。これを完璧に適用している国はないだろうが、多数派の良識的な公務員には一定の効果が望める。

ただ、公務員が階級化するとまずいかもしれない。アメを当然のものとみなすし、代々の襲名によって結ばれるきずなが、ムチを振るう手を弱める。高校の先輩の佐藤優の本を読んでいると、公的セクターへの不安が頭をよぎる。

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公的セクターは物事を効率的に扱えない、あまりに硬直的で時代に対応できていないとリバタリアンから指摘されてきた。

政治記者をやっていた身としては、公的セクターは大事だけど、その点に関してはかばうことはできないかもしれない。

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またプライベートセクターの多様化と膨張を目の当たりにしている。公的セクターの地位が相対的に低下している。投資銀行の乱痴気騒ぎの後片付けを国家がした、世界金融危機は、それを如実に語っている。

プライベートセクターの不確実さも半端ない。実体経済から遊離した要因に左右されながら、ホームレスマネーが世界を回遊していて、今週は株価がドカンと下がってしまった。おそらくこのバブル生成装置は、制御不能のレベルに達している。

それから企業のグローバルな活躍は、国家側の交渉力を落としている。企業はいくつかの国家をはかりにかけられるが、国家はそれを防ぐためにスクラムを崩さないようにしないといけない。スクラム自体穴ボコだらけだし、みなさんのエゴがスクラムを崩壊させる。

さらに公的セクターの血である税金もまた、タックスヘイブンのおかげで、どっとこぼれるようになった。税金を逃れ、賭場を飛び回るホームレスマネーは今のところ、各国政府の中央銀行が保証した紙くずに頼っている。でもこれが、ビッドコインのようなリバタリアンマネーにすり替わると、彼らは国家の大地から離陸する。ピンポンの窪塚洋介のように。

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これを踏まえて国家が復権するべきとの議論がある。日本でもこの考え方から、20世紀風に上から下にナショナリズムが煽られた。つい最近まで。

ナショナリズム音頭が止まったのは、「外国」の知識層から歴史修正主義という烙印押されたことや、欧州の極右、アメリカのドナルド・
トランプのような現象が日本にも根付くことに恐れが出てきたからだとみている。

ぼくはガバナンスのノウハウとしてナショナリズムを評価しない。あまりにセンチメンタルで、論理的な説明がつかないものなので、最終的に話し合いにつながらない。ナショナリズムはいつも口論を引き起こす

そして19、20世紀の戦争は、ナショナリズムは過去の思想に過ぎないという主張を強烈に支持してくれる。

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イスラム国はこの西欧発の近代的なガバナンスのあり方を激しく揺さぶるものだ。彼らは現状から見ると国家を自称するNGOだ。欧州が昔画定した国境線を軽々とまたいでいるし、自由、権利なんかよりイスラムをその中心に据える。

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膨張しすぎて荒ぶるプライベートセクターに手が出ない、弱ったパブリックセクター。この2者で物事を理解することをそろそろやめよう。もっと細かい粒を見よう。新しい仕組みを設計しよう。

今週の株安はそんなことを考えることの契機になった。また2008の繰り返しにならないことを、賃金労働者の端くれとして、祈ろう。