デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

レコーディングソフトはデジタルディスラプションの教科書

大学生のとき、ぼくはリズムマシーンに延々とシーケンスを打ち込んでいた。ローランドのリズムマシーンで名前は忘れたが、数値入力により楽譜上の位置と音符の長さを指定するタイプのモノだった。8章節のループを作り、それをコピー、細部を変えて16分で刻むハイハットとかフィルインとかを入れていた。

 

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安物のハードディスク内蔵のMTRにピンポン録音して、そこに相方のギターの音とかを載せて曲づくりしていた。MTRの音場は、簡素な六畳一間のような感じで住み始めは狭い気がするんだけど、だんだん愛着が湧いてきたりするから面白い。

 

スゴイダサいデジタルリバーブなどのエフェクトもかけられた。そのとき中学校の友人でECCYっていうDJとPro Toolsで完結する製作環境を確立して自慢してきやがった。ECCYはその後、Shingo2とコラボしたりしてぼくの7,8歩も先を行っていた。

それで丁度、ドイツ丸出しのソフトウェア「Live7」が出て、サンレコとかがしきりに煽っていて、ぼくもMacBookと「Live7」のセットを買った。当時はわけあってアメリカ2カ月旅行の金も貯めなくちゃいけなくて、バイトを3つ掛け持っていたし学校の単位も維持しないといけない。おおよそ不眠不休の生活をしていた。

 
ソフトウェアを手に入れてからはさらに眠らなくなって、寝不足で友人に会えばテンションがおかしかった。当時のぼくはウソのように体力があった(いまそれを取り戻そうとジムに通っている)。
 
Live7は魔法のようなソフトウェアだった。名前の通り、リアルタイムでループをいじっていくことがあり、インターフェイスや構造がかちっとしていて、相当なへそ曲がりじゃないとそのカチッとした部分の影響をうけることになる気がする。「うわードイツ人って本当に真面目だなー」と思った。
 
レコーディング、MIDI、サンプリング、録音、DJと製作者がやれることの幅を本当に広げてくれるものだった。それから音を波形で見るという視点はどんどんぼくのアプローチを科学的な方向に変えていった。当時バンドを組んでいたギター・ボーカルはまったくソフトウェアへの知識がないのに、ブンブンサテライツのライブを見て、あれができる、これができる言ってくる。「あんなオタクの中野さんと、超絶すごいエンジニアで固められた奴らのやってることは、技術的にも機材的にも出来ないんじゃ!」とけんかになったことを覚えている。音楽は本当に人間の欲望の周辺の感情をむき出しにしやすいとぼくは思っていた。この欲望をうまい形で形にできればいいのだが、そうじゃないときもまあまあある。
 
正直ここまでソフトウェアがそろうと、ギターとかピアノとかを習っているときの指が痛いだとか、指がうまく動かんという段階を飛び越えて、素直に才能を開花するやつが出てくる。ぼくがLive7をアンインストールしてインドネシアに行ったときにはもう、そういう若い世代が出てきていて、おっさんと呼ぶには早すぎる上の世代をブルドーザーのようにさらっていった。
同世代のHudson mohokeがわかりやすい。ゲームのダンスダンスレボリューションから作曲を始め、15歳でDMCのファイナリストだし、20歳くらいから売れて売れて売れまくっていた。
 
85年生まれのぼくと86年生まれの彼とを比較してみると、テクノロジーの理解に大きな差があったと思う。Hudmoはおそらくテクノロジーを空気のように吸い込んで、どんどん突き詰めて行ったんだと思う。ぼくは「Technology always win」をしっかり信じきれていなかったんだと思う。こだわりと未熟さにとらわれていて、ユーザーエクスペリエンスへの配慮が足りなかった。楽器を引くのは下手くそだったので、どう考えてもぼくにはその路線しかなかったはずなのに。
 
Hudson mohokeを代表した若者たちが、テクノロジーを武器に音楽シーンを変えていくのを見ていた。音楽はあらゆることがあっという間に起こる。しかも工程がデスクトップで完結するようになって、インダストリーのトレンドの変化する速度はどんどん上がっているようだ。
 
デジタルディスラプションを学生時代から経験してきた、というわけ。だからぼくはデジタルマーケティングに携わるいま、最近、学生時代のデジャヴを覚えている。新しいツールは、人間を変えてしまう。変化を上手くコントロールできるかぎりこれはとても素晴らしいことだ。そして現状のものは多くの欠陥を露呈しているので、変化以外の選択肢がない。生物には死が規定されている。死を前提とした繁殖のなかで、遺伝を繰り返す中でわれわれはどんどん変わっていく。というかひとつの生のなかでも、なんども死なないとついていけない。
 
人生で何度も「死」を経験できる時代に生まれて感謝している。