読書メモ 『Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか』
『Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか』を読んでみた。いままさにチームを作ろうとしており、先達の知恵に頼ろうと考えた。本書の内容は、ぼんやりとそう考えていたが、体系化してもらえると目から鱗という事柄が多かった。
Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか
- 作者: Brian W. Fitzpatrick,Ben Collins-Sussman,及川卓也,角征典
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2013/07/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書は、早い段階で失敗・学習・反復するということに関してこう訴える。「必要なのは、不完全なソフトウェアを見せても構わないという謙虚と、ユーザーがその対応を賞賛し、迅速な改善を望んでいるという信頼だ」。これはスタートアップの鉄則中の鉄則だが、意外にこの鉄則を守れないこともままあるのだ。
カルチャーの醸成と保守
またチームのカルチャーの醸成についても、本書はとても含蓄のある比喩で説明している。
チームの文化はサワードウパンのようなものだ。スターター(創業者)がパン生地(新来者)に菌(文化)を植え付ける。イースト菌と乳酸菌(チームメンバー)が発酵(成長)すると、おいしいパン(チーム)のできあがりだ。スターターが強ければ、新来者が持っている望ましくない菌(文化)に耐えられる。スターターが弱ければ、新来者が持ち込む道の菌(文化)に耐えられない。未知の菌(文化)は予測できない結果をもたらすので、既知のスターターから始めるといいだろう。
僕は丁度いまその文化醸成の時期を迎えており、一年プロジェクトを進めてみて、いまチーム構築している。スターターとしていい文化を築けていると考えている。
ビジネスに文化が必要なのか、と考える人がいるだろうが、ビジネスを遂行するのは人の集まりであり「ソフトウェアは簡単。人は難しい」という本書の説明は説得力がある。せっかく築き上げた文化にフィットしない人をチームに招き入れると、その人とチームの双方にとって不利益が生じるのは、たぶん多くの人にとって経験があるのではないだろうか。
文化に合致しない人を採用すると、合致しない人をチームから追い出したり、合致する人を新たに探したりする手間がかかってしまう。いずれにしても新しいメンバーがチームで働けるようになるコストは高い。
新しいチームメンバーが文化に合致するかを確かめる唯一の方法は、そのことについてインタビューすることだ。多くの会社では(Googleもそうだが)応募者が文化に合致するかどうかを採用基準にしている。採用ミスを回避するために、技術のインタビューの前に文化のインタビューをする会社もある。(中略)。文化は偶然に生まれるものではなく、創業者や初期の従業員が継続的に創り出すものなのだ。
「船にはキャプテンが必要」
3章の「船にはキャプテンが必要」ではチームのリーダーについて説明してある。本書はチームは、人間を家畜のように扱うマネジャーではなく、様々な問題に対処するリーダーを必要とすると主張している。多くの人が悪いマネジャーにひどい目に合わされたことがあるが、自分がマネジャーになるとそれを忘れてしまうという。リーダーはただのリーダではなく「サーバントリーダー」であれとのことで、本書は「エゴをなくす」「禅」「触媒」「センセイやメンターになる」などシリコンバレーが好きそうな言葉でその妥当性を説明している。
「有害な人」とどう戦うか
4章の「有害な人に対処する」は心温まる話だった。
普通の人たちを排除するようなエリート指向のフラタニティではなく、ネガティブな振る舞いを拒否するような文化を作るほうが健全だ。排除するのはあくまでも振る舞いであり、特定の個人ではない。
人は自分と似たような人がいるグループを探し、そのグループへの所属する傾向がある。素晴らしいチームのカルチャーを築けているのなら、人が循環してもそのカルチャーは容易に崩れない。”攻撃的な連中”が作ったチームが効率性を失ってしまうという。その例として、Linuxカーネルコミュニティーが挙げられている。スティーブ・ジョブスにもこの類の話がつきまとう。LinuxもAppleも成功を遂げたが、仮にこの攻撃的な性質がなければどうだったのだろうか。
本書は「有害な人」に対して迅速に積極的な手段を講じるよう訴えている。脅威を特定し、適切な手段で対応しろという。自分の個人的な経験に照らしても、座して待ち、傷口が開いてしまったことが何度もある。ここにスタートアップで僕が犯した失敗がたくさん書いてある(「スタートアップの12カ月の冒険」)。
僕はもともと「人がいい」ので有害な人を引き込んでしまう傾向があり、有害な人に慣れてもいるし、もしかしたら相手の有害な部分を引き出してしまうところすらあったかもしれない。しかし、設定された目標に対してハイパフォーマンスなチームを構築するためには、致命的な弱点である。いま僕はチームの加入候補者とはお互いの文化の相性を見ることを重視し、カルチャーに即した行動を奨励したいと決意している。
そういえば、平均的なアメリカ人は初対面時に相手の心証を良くすることにかなり本気で取り組んでいるのを僕はよく見てきた。それは性悪説の世界で、一度「脅威」と認定されたら追放されてしまうからだろう。なかには最初の厳しいスクリーニングを通り抜けた後、一気に人柄が変容する人もいる気がする。日本の場合は性善説が優勢な気がするが、この性善説は、一見普通の人に見えて、実のところは有害なモンスターの格好の住処になってしまう。僕はそういうケースには何度もぶち当たってきた。僕は彼らを追放できる立場になかったことがほとんどなので、血の滲むような付き合いが続くことになった。日本的コミュニティは温かいが、他方コミュニティの中に入った本当に有害なものをダイジェストする機能に欠けている気がする。有益なものは簡単に放出してしまうのにもかかわらず。