こんな感じのハイテクなオフィスビルの建設が相次いでいるらしい。ムンバイからインドのIT企業のメッカ、バンガロールにやってきた。 冷房なしのバスで24時間デカン高原をぶっ放して、街に到着した時には「半死半生」な感じだ。バスのチョイスを大間違えした。
バンガロールは世界中から人事総務業務請負(BPM)でもうけている。2014年1300億ドル、2015年1460億ドル(予測)規模とでかい(*1)。欧米のグローバル企業のなかには本社機能の一部がアウトソースされているため、バンガロールなしではまわらないところも出ているそうだ。しかも米国のベンチャーキャピタルが投資を注ぎ込んでおり、スタートアップがめきめき力をつけている。
インドのIT人材力は世界で突き抜けていて、インド工科大(IIT)卒業後アメリカに渡った人たちがシリコンバレーを席巻しているそうだ。シリコンバレーで起業する4人に1人がインド人。米国の高校の生徒会長という学校のピカイチポジションでもインド人が存在感を増している。
その証拠にリクシャー(小型タクシー)の運転手まで、運転中にスマートフォンをいじくる(下)www。
バンガロールの名前を知られる契機になったのは「フラット化する世界」。グローバル化を高らかに唄い上げた本書の冒頭では、コールセンターとしての機能が移転するバンガロールが例に挙げられ、インドIT大手のインフォシス・トップによる「競争が平べったくなっている」との言葉が、新しい世界を描写している。
- 作者: トーマス・フリードマン,伏見威蕃
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2006/05/25
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 119回
- この商品を含むブログ (295件) を見る
IT産業の勃興などでバンガロールに「上京組」が殺到してきた。1951年に77万人しかいなかった都市に60年後の2011年には約11倍の842万人まで増えた。
Population Growth バンガロールの人口増加
Census Pop. %±
1941 406,760
—
1951 778,977 91.5%
1961 1,207,000 54.9%
1971 1,654,000 37.0%
1981 2,922,000 76.7%
1991 4,130,000 41.3%
2001 5,101,000 23.5%
2011 8,425,970 65.2%(*)
一方で深刻な問題も浮上していると感じた。渋滞と人口が多すぎることだ。
市中では半端ない渋滞が起きている。市内主要道路の平均時速が13キロメートル。庶民の足のバスは長い時間待たされる状況、タクシー運転手がふっかけてくる。
日本のODA事業のバンガロールのメトロを見学した。インドの都市鉄道事業には日本がかなり関与している。現在6駅のみの運行で、人々のニーズを満たしている感じじゃない。
国鉄駅、バスターミナルが集中する中心部で建設が進んでおり、個人的にはここから網の目に用に電車が伸びていく姿を見てみたい。 バスターミナルは南インドのハブでもある。空港もそうだ。戦略的な地理条件を持っている。
*ぼくは下流なバンガロールとおつきあい
もし、綺麗な国際空港からバンガロールに入り5つ星ホテルに宿泊し、ピカピカのオフィスでIT業界の人と交流すれば、ホットなイメージを抱いたのは間違いない。地元の新聞もアプリ開発に成功した若者をたたえるインタビュー記事を一面に持って来ているし、IT企業の他とは一線を画した近代的なオフィスたちがごろごろ転がる。業界はイケイケドンドンなんだろう。
ただし、ハイテクなバンガロール君にはもう一つの顔があるようだ。たくさんの地方から集まった出稼ぎ者の集まり。しかも市の中心のバスターミナルではなく、百鬼夜行な地域のターミナルで降車し、安宿に宿泊してから、タフすぎる宿の主人らとの闘いが始まった。
*ムスリムの宿にお邪魔
写真は街一番の庶民市場シティマーケット周辺。野球場一つ分ほどの大市場。売り子が絶叫しながら服を打っている。
宿泊した宿はイスラム教徒の比率が高い地域にあったようだ。歩いている人はだいたいムスリムの装いだ。挨拶が「アッサライクム」だし。マスジット(モスク)が祈りの時間を告げるアザーン(読経のようなもの)を鳴らしている。インドネシアのマスジットは信徒獲得競争と縄張り争いのせいで、アザーンにディストーション(ひずみ)がかかっていて金切り声のようだったが、ここのは比較的綺麗だ。
浮浪者から寄付をねだられたときに、ホテルの若者が木刀みたいなのをパーンと叩いて追っ払ってくれた。ムスリムだからヒンドゥーの貧者を救う義務がないみたいだ。彼はイギリスがバンガロールに進駐してきたときに南西アジアから連れて来られたイスラム教徒の兵士の末裔だと自己紹介した。
「モディ首相ら政権のヒンドゥー至上主義が、テロリスト摘発を理由にイスラムを圧迫している」と彼は主張していた。たった少しの滞在なのに、ヒンドゥーとイスラムの対立を肌で感じるし、ヒンドゥーの最下層民を仏教徒に変える運動にも出くわすし、なんか濃いのだ。この国のイスラム教徒もまたカーストの下層から改宗した人がまあまあ含まれる。イスラムはものすごく包容力の強いシステムを持っている。問題はイスラムはしばしば内と外を明確にしてしまうことで、敵/味方な世界をベースにしている部分がある。これは世界的にイスラム教徒が増えている21世紀の課題なのだ。もちろんこういった傾向は他宗教、特に一神教によくみられる傾向だと思う(素人でなんですが)。
*インド人と交渉するということ
とにかく宗教は関係なく、ぼくはたった800ルピーの長距離バス代と700ルピーの宿泊代に妙な上乗せを試みる主人ら5人と3時間にわたる猛議論を闘うことになった。1人に5人がかりで3時間は大きなコストロスだと思うんだが、そういう思考回路を彼らは持ち合わせていなかった。もうへとへとだ。
インド人は日本人とはまったく違う。日本人は交渉をするとき着地点を早い段階でさぐると思う。でも、インド人は相手をぎゃふんと言わせるロジックを繰り出し、さらに相手のロジックをどうはねのけるかというゲームを闘っている。
このためインド人とは1試合1試合がいちいちタフだ。確かにこういうヤツの方がアメリカ社会で勝ち抜いていくだろう。日本人はファイティングスピリッツにかけるのだ。ただ、おれとしてはホテルの値段が1ドル高いとか安いとかで、3時間議論するのはこたえるよなあ、はあ。
*カオスな社会(カオスは悪いわけではない)
ふうう。インドってのはどこにいっても社会が分厚いのが肌でわかる。上と下のカーストは地球と火星ほど別の世界に暮らし、交わることがないようだ。下層でも宗教も民族も文化も慣習も違うわけで、目もくらむようなカオスがある。それがあの常軌を逸したほど汚い路上なり、吐き気のする路上の混雑になるようだ。
旅行者として一度下層社会に絡まるとどうも上が見えなくなってしまう、そんなことを気づくバンガロール滞在だった。
本屋にて。手塚治のブッダが「逆輸入」されていた。