デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

【雑談】西葛西のインド人とつるもう

 最近、アメリカ旅行を思い出す機会が何度かあった。懐かしい友人に会い、昔話をするうちに、大学3年生の無謀な旅行に会話がぶち当たったのだ。あれがあったから、その後、約5年間インドネシアにいることにも躊躇がなかったんだな、と今思う。久しぶりに帰ると、自分は玉手箱を開けた浦島太郎のようだ、と思わされた。

 今日はアメリカ旅行から国外に広がる印僑=海外インド人=ネットワークについてちょっと考えた。

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 2008年の7月〜9月ごろアメリカを周遊旅行した。出発地はワシントンDCに隣接するメリーランド州の郊外だった。そこから東海岸沿いの主要都市を北上し、シカゴからサンフランシスコを目指した。

 折り悪く、旅行途中の8月には投資銀行リーマンブラザーズが経営破綻した。サブプライムローンの傷は深く、連鎖的な経営破綻が予想された(後に政府が救済した)。アメリカの人々は不安に苛まれていた。当時は原油価格が高騰してもいた。「われわれは公共交通を利用しないといけない」「クリーンエネルギーに切り替えるべき時だ」という話をよく聞いた。

 加えて、ブッシュ大統領のもとで行われたアフガン、イラク戦争への大きな失望が人々の間に広がっていた。その最中、大統領選挙のキャンペーンが始まった。「君は投票権を持っているかい?」が挨拶がわりに機能していたのを覚えている。

 ぼくと友人はスバルのセダンで一日7〜800キロ運転して、モーテルで眠った。実際にはぼくは国際免許を取得しそびれ、友人がずっと運転し、疲労困憊だった。

 モーテルはチェーン店が主流で、一泊30〜40ドルのイメージ。中にはベッドとシャワーの簡単な造りが多かった。モーテルでは従業員がインド系アメリカ人なことが多かった。インド人がこの職種で影響力が強いようだ、と友人らも語っていた。

 ウォールストリートジャーナルの記事(*1)によれば、インド系の所有は40%に上る。

1940年代にさかのぼると、インド人最初のモーテルオーナーである、カンジバハイ・デサイはメキシコ経由で米国に辿り着き、サンフランシスコに住み着いた。彼は現在はユースホステルと呼ばれる簡易旅館を経営した。その宿に泊まる客は食い詰めている人ばかり。

 しかし、移住するインド人は次第にモーテル経営をその手中に収めていく。彼らはモーテル経営を原資にして、子どもたちを大学に通わせることができた。アメリカンドリームの一つの形だ。「彼らが最も優先したのは、子どもたちがアメリカ社会に根付けるようにすることだ」。そのためには自分は犠牲になろうというのだ。移民のたくましさを感じさせるエピソードだ

 このことは日本在住のインド人経営コンサルタント、サンジーヴ・シンハ氏の「すごいインド」にも書かれている。インド事情を明快に説明し、インド経済の潜在性を説く素晴らしい本だ。シンハ氏が日本とインドの架け橋になればいい、と思う。

すごいインド: なぜグローバル人材が輩出するのか (新潮新書 585)

すごいインド: なぜグローバル人材が輩出するのか (新潮新書 585)

 

  シンハ氏は日本では江戸川区西葛西が一番大きなインド人コミュニティになっていると指摘する。コミュニティができたのはIT人材への要求が高まった2000年頃から(例の2000年問題)という。

 当時の不動産屋には「外国人お断り」という店が多くあったのです。私自身もお断りを経験したことがあります。そんな中、「公団」(現在のUR都市機構)の住宅だけには差別がありませんでした。日本に滞在できるビザさえ持っていれば、外国人でも部屋を借りることができたのです。

 在日インド人社会で「西葛西のゴッドファーザー」として知られるジョグモハン・S・チャンドラニさんの存在も大きく貢献しました。1978年、貿易の仕事で来日したチャンドラニさんは、そのまま日本に住み着いて紅茶の輸入で成功します。そしてインド人として最も早く西葛西に住み始め、同胞たちの良き相談役となってきました。不動産屋と交渉したり、保証人になったりすることもあったようです。

 また西葛西のインドコミュニティついては、日経のこの記事も詳しく伝えている。こちらは「外国人お断り」のニュアンスは薄い仕上がりだ。(*2)

 大手町をはじめ日本橋茅場町などのオフィス街に東京メトロ東西線で直結している。西葛西から西に向かい7つ目の駅が大手町だ。所要時間は14分。IT関係の技術者にとっては、金融機関の本社が多い大手町や東京証券取引所や証券会社の本社がひしめく金融街がある日本橋茅場町に通勤しやすいのは大変に便利。しかも同じ東西線九段下駅からインド大使館にも行ける。羽田空港成田国際空港に行くのも交通の便がよい。

 また「西葛西は新興のベッドタウンなので、昔からの地域住民が少ないからしがらみがない」こともプラス材料になった。家賃も都心に比べれば比較的安い。国籍を問わずに入居でき、礼金などのしきたりがない旧公団住宅(UR賃貸住宅)が多いのも外国人には好都合。

 インド系のインターナショナル校もある。シンハ氏は欧米系のインターナショナルスクールよりも安価で日本人が英語を身につけるのにふさわしいと指摘している。

インド人学校(グローバル・インディアン・インターナショナル・スクール)も移転してきた。同校は2006年同じ江戸川区の南篠崎に開校したが、生徒数が増えたため、今年4月に西葛西に移転拡張したという。「現在の生徒は335人。学校の延べ床面積は移転で約3倍ほどに拡大した」(同校事務局)。ITやヨガの授業も導入されており、子どもの教育問題を抱える家族連れのインド人には心強い味方になっている。

  最近、映画「チャッピー」を見た。人工知能を搭載したとても人間的なロボットの話。テクノロジーで人の力を拡張するか、まったく新しい人間のようなものをつくるかという対立や、人工知能が意識を持ちうるのか、という部分に触れているが、スピード感のあるエンターテイメントにも仕上がっている。

 スラムドックミリオネアの主人公ジャマールを演じたデヴ・パテルがロボット技術者役で出演していた。インド系の彼は西葛西ではなく、ロンドン郊外のハーロウで生まれた。インドネシアの首都ジャカルタ、パサールバル周辺にもインド人コミュニティが存在していた。百円ショップを経営するインド人とはときおり会話を交わす仲だった。インド人はどこにでもいる。


チャッピー / CHAPPiE 予告編 - YouTube

 インド人の海外への渡航は16世紀ごろから始まったとされる。約2000万人以上いるとされる。印僑は華僑に次ぐ非居住者ネットワークだ。

印僑

 インドから世界に移住したり、海外でビジネスを展開しているインド系の人々。全世界110カ国以上に約2000万人以上いるとされる。英語ではNRI(Non Residential Indians=非居住インド人)などと呼ばれる。英国が19世紀半ばに奴隷制を廃止して以降、アフリカカリブ海諸島、東南アジアなどのプランテーション労働にインド人が契約労働者として送られたのが、インド人海外移住の第1波とされる。第2波は、1965年の米移民法改正などで移住しやすくなった米国など先進国に知識人や実業家がより良い稼ぎと生活を求めて出た動きだ。第3波は、現在起きているIT技術者や多国籍企業に勤めるホワイトカラーなどの動きを指す。インド経済の発展に伴い、海外からの投資や技術移転を進めるうえで重要な担い手としても期待されている。インド政府は毎年、在外インド人ニューデリーに集めた会議を開き、母国への協力機運を盛り上げるとともに、二重国籍を認める法改正を進めて「里帰り投資」などをしやすくする環境作りをしている。世界的な有名企業のトップに就くなど実業家として成功した人は多い。米国では、インド国籍のまま在住している人も含めれば約250万人いるとされ、アジア系移民で最も所得が高く、存在感が大きい。政治献金力もあり、印米関係の改善に影響力を与えている。海外に住むインド系の人々の総資産は4000億ドル前後とも試算され、11億人が住むインド本国のGDPにも迫る金額だ。インドへの送金は年に数百億ドルにも達する。(竹内幸史 朝日新聞記者 / 2007年)

 在外日本人ネットワークもある。和僑会(http://tyo-wakyo.com/)。和僑会は企業家限定のものなので、もっと包括的なネットワークが必要な気がする。二つの非居住者ネットワークの後を追いかける立場だが、中印のディアスポラとの関係はアジアで生きていく上で書かすことはできないだろう。

 おまけ。華僑と印僑の分布図。出典はThe Economist

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*1 

blogs.wsj.com
*2 

www.nikkei.com