デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

労働集約性からメディア産業を解放する


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記事をたくさん書くのは大変だ。このいわゆるメディア広告業界の仕事の労働集約性はちょっとしんどい。この仕事は現状、スケーラビリティ(拡張性)が脆弱だ。組織によって異なるのは重々承知だが、以下のような問題点を認めている。

  1. タスクのオーバーラップ
  2. 過剰な業務の細分化
  3. 業務プロセスの多重階層化
  4. 目標設定なきデスマーチ

日本の農業と類似点がある。それは狭い農地 に対して多くの労働力を注ぎ込んで、とても高価な商品を作っていることだ。 昨今のバイラルメディアやまとめサイトにおける最悪の労働環境はこの高い労働集約性に対して人件費を絞り上げるというブラックな手法によって対応したことで生まれた。クリエイティブな業界のはずだが、こういうオペレーションに関してクリエイティビティは認められないケースが多いはずだ。

これはトラディショナルメディア にも共通する。テレビの制作会社は常に自転車操業であり 、「局員」と比べ明らかに少ない給料で過酷な長時間労働をしている。

いい労働集約性 vs 悪い労働集約性

もちろん、いい労働集約性と悪い労働集約性がある。クリエイティビティは人同士のごちゃごちゃから生まれる側面もあるだろう。ビルを建てるのと、面白いものをつくるのは異なる。第一案が死んで、第二案が死んで、第三案でうまくいく、というのはある。クリエイティビティという正体不明なものに切り込む方法を確立しようと頑張ってきた。ただ過剰になりすぎたのは否めない。

悪い労働集約性に関しては早いうちに手を切りたい。メディア業界は情報産業で、定式化した仕事は機械がやるようになるだろう。でも人は人がつくったクリエイティブに感動する傾向が強いので、完全なテイクオーバーにはならない。機械で強化されたクリエイターがより高度なメタ情報を扱うようになったり、レコード、カセットテープのように伝統芸能的に残ったりするはずだ。

ここで注目したいのはクリエイティブはその成果において大きな差が出ることだ。 素晴らしいクリエイティビティを増幅し、その与えられる影響を拡大できたらいい。

レーティングor Auther Rankの導入

スケーラビリティとは別に、評価の仕組みを確立することも大事だ。一つ一つの仕事に競争と付加価値を付けていくべきだ。

ジャーナリスト/媒体ブランドにレーティングを与えるのはいかがだろうか。レーティングはできるだけ客観的な基準で構成員をジャッジしてあげようということや、暴れん坊に柔らかい制裁を与えられる。とんでもない仕事をするとガクッとレーティングが落ちて難しくなるからしっかりとした仕事が必要になる。

レイティング、レーティング (rating) は、対象となる物事に対して、ある基準に基づき、等級分けや数値化をおこなったものである。語源の rate には、見積もる・評価するという意味がある。(Wikipedia)

ぼくは男子テニスのATPランキングにはずっと親しんできた。ATPは年末にファイナルがあって、その大会の後のポイントで年間ランキングが確定する。


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これを真似て年末、今年のジャーナリストアワードみたいなのをやったらいい。「今年活躍したのは誰々です」と。競争とともに、いい仕事した人には確かな報酬を渡す。日本のメディア業界にはいい仕事に報いるというシステムが確立していない。現場で少ない賃金で働いていたりする。

GoogleのAuther RankやAmazonのRaputation Systemなど、評判を基にスコアリングする仕組みはネットにはかなり前からあった。しかし、偽ニュースやグレーな医療情報、コピペ記事がGoogleを欺いたし、Amazonはこの前怪しげなレビューを一斉処分しなくちゃならなかった。だけど、いずれいいものができるはずだ。ジャーナリストのレーティングは爆発するインターネット上の情報のランク付けに比べれば簡単だろう。

Photo via Pixabay