デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

今年も中二病で行く - 2018年の振り返りと2019年の目標

結論

2018年は肺炎で死にかけるというブラックスワンに見舞われた。リスクが拡大する局面で自分はかなり過ちを犯した。だが、病気のおかげで、自分の人生にとって有意義なことをしようと決意できた。ゲームはだいたい勝ちつつある。でも大勝でないならむしろ負けを選ぼう。群衆が評価する局所的最適解に甘んじず、人から見向きもされない大域的最適解を目指すことが2019年の戦略である。

2018年1-8月の振り返り

この記事で8月末までは振り返った。

taxi-yoshida.hatenablog.com

今年の5月から8月は抗生物質に耐性のあるマイコプラズマ肺炎にかかり死にかけた。もともと家畜に使用していたテトラサイクリン系抗生物質マイコプラズマを退治したのもつかの間、食中毒にかかった。なぜか大量の藻を吐くことになるが、これも丁度手元にあるテトラサイクリン系抗生物質でなんとか生き残った。

Before

病気になる前に実家で撮った写真がこちら。友達のいない僕の誕生日を母が祝ってくれたときのヒトコマである。

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吉田拓史、実家にて、4月15日

After

病気明けの8月25日、免許が失効しそうで命からがら四谷から行った、東陽町の警察関連施設で撮った写真がこれである。頬はコケているし、首は皮だけになっていて、喉仏がキモい。表情に力がなく、死んだ魚の眼をしている。ほぼほぼ死臭がしているし、葬式場に飾ってある写真のような感じだ。最盛期(?)の写真はもっとヤバかったのだが、見ているだけで気分が悪くなるため、消してしまった。

 

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吉田拓史、免許証

この一連の経緯に関してはこのブログに書いた。英語だけど冗談を織り交ぜて書いてみたので読んでも良いかも。こんな目に合わせやがった人は心して待っていてほしい。『キル・ビル』を観て布袋寅泰の楽曲を聞いて、復讐の準備は万端なのだ。

現在

最近は体力が回復してきて、いい感じではある。なんか老けたような気はする。

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吉田拓史、11月、千代田区麹町にて

病気の後に思ったこと 

病気になる前には、複数の投資家からお声がかかり、ちょっとしたチャンスが来ていたのだが、病気のせいでそれらを逃す形になった。でもそれでよかったと思う。最初は「世界を変えよう」と思って始めた axion だが、様々な制約条件の中でつまらない範疇に落ち着いていたように思う。体力面のメルトダウンが、オッズ(勝率)もリターン(報酬)も低い戦いに駆り立てられるのを防いだ。

この病気のおかげで、局所的最適解を避けて、大域的最適解へと向かおうという決意ができた。大域的最適解を目指そうという決意は、世の中の大半の人には受け入れられないから、そういう人の意見はしっかり無視しよう。スタートアップは大勝ちを目指さないと楽しいゲームではないというのが僕の持論である。「●億円儲けた」という話を喜んでする手合がいるが、お前が●億儲けて世界がどれだけ良くなったよ、バーカ。

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global vs local via https://peachturnspro.wordpress.com/

2018年 9 ~ 12月

  • 新しいWebサイトを作り記事を書いて古いサイトの記事の一部を入れた。推薦システムまではいかないまでも簡易なランキングシステムくらいは入れてみたい。バックエンドの開発能力が弱いのが課題。
  • ミクロ経済学とコンピュータ・サイエンスの複合地点が興味深く、年末に学習を深めた。特にアルゴリズムゲーム理論が面白い。で、これらの最高の実験場が、暗号通貨であり、ゲーミングなんだと思う。
  • 水泳とジョギングで体力を向上させた。
  • サプリとプロテイン等で体調をコントロールするようにした。体重は8キロ増加し、体力はかなりある。

2019年の目標

  • ソフトウェア開発能力の拡張。これによりスタートアップゲームのオッズとリターンが飛躍的に拡大し、同時にリスクが減る。
  • ミクロ経済学の継続的な学習
  • 共同創業者を見つけて、会社を正式に設立して、投資を受けて、事業をドライブする

最後に

年末に、地元の埼玉県旧浦和市に戻り、中学時代の旧友と一晩騒いだ。ぼくは自分がどういう経緯を経ているか思い出した。

もともと暴力的ではないが反抗的な中学生だった僕は、家庭の危機から県立高校に行く以外の選択肢がなくなり、危機感のせいでガリ勉し県内一の進学校に入ったが、一部の教師から敵視される日々を送り、映画監督になるために、有名な映像学科のある早稲田大学第一文学部を2年連続で受けたが、2年連続で落ち、同じ大学の政治経済学部に行くことになり、大学にはいかず、「音楽で成功→映画で成功→小説家として成功」の三段成功理論に基づいて、バンド活動に勤しんで、プロを目指すために留年したが、ギターボーカルはさも当たり前のように就活して解散となり、面接で日本企業が合わないことがわかり、新聞社のアルバイト繋がりからインドネシアの零細日系新聞社に就職し、盲腸と結核を発症し医療ミスでほぼ死にかけるも復活し、社内政治に足を引っ張られながら大統領選挙等で画期的な成果を上げるものの、政治の波に飲まれ、起業を志して帰国するも、共同創業者が嫁ストップで離脱して頓挫し、”素晴らしい”環境の会社で、社内外の政治にまみれながらも頭角を表し、ありえないレベルの成果を上げたが、政治に苦杯を舐めることとなり、退社して念願の起業をしたものの想定できない波乱万丈をずっと繰り返し、今に至る。そういう長い物語を思い出した僕だった。

苦労に苦労を重ねているのに、生み出したものの成果は全部、嫌な大人たちに奪われてしまった。今回の挑戦ではそういう収奪は絶対に許さない。あと、自分の中二病は治らないだろうということだ。というか、治す気はないし、意味のないことを真剣にやって評価されたいとも思わない。ただただ楽しいことをしていたい。今年も中二病で行きますが、なにとぞよろしく。