渋谷の中心でノイズに囲まれている「わたし」について
ものすごい取材が重なり、テープ起こしする時間がない。いつも自分で人力でテープ起こししてきたけど、もの凄い労働集約的でスケーラビリティがないことは前から分かっていた。この単純作業から人類を解放すべく、さまざまな音声認識の手段にトライしてきたが、まだうまくいかない。
そこで気づいたのは、われわれはさまざまな音の中から、ノイズを排除して人の声に集中している。そういう機能を持っている。これが、Listen(聴く)。まだコンピュータはこれがうまくできない。
渋谷のハチ公前交差点でふっと息をして、意識をどこにも集中させないようにすると、余りにも多くのサウンドに囲まれていることが分かる。眼球の緊張を緩めてぼうっとすると膨大な物理的個体たちに囲まれていることが分かる。そして都市の中で巨大な情報に常に触れていることを思い出させてくれる。
意識は狭いポイントに集中し、必要ないと判断された情報を排除しているのだ。
耳自体がサウンドのすべてを受けいれていることがHear(聞く)だ。聞くことにより、ぼくたちが常にノイズの海の中にいることがわかる。
リアルタイムで聞いたもののノイズを取り、音声としてクリアにする。さらに意味体系と照らして、相手の言うことの意味を受け取る。これによりコミュニケーションを繰り返す。人間の脳みそはとても優秀だ。今のところソフトウェアはそこまで行っていない。
音と空間の強烈な関係と、意識の箱の感じ方
大学時代、サウンドアートにハマった。池田亮二、カールステン・ニコライ、アルヴァ・ノト。彼らの作品は音響という観点と、音楽だけでなく空間のデザインにも染み渡っていた。
とてもシンプルな、シンセの最低単位というべき音により、音と空間が密接につながっていることに気づかせてくれる。そうListenとHearの関係は、空間に関する部分が大きい。有名な「4分33秒」は4分33秒間何の演奏もされない。我々はコンサートホールでいつもひとつの音楽に聴力を集中させるという異様なことをやっていることがわかる。
ブライアン・イーノが提唱した「アンビエント・ミュージック」。これも聴くことは必要なく、サウンドとしてわれわれのまわりにあることを目的に造られた人工的なノイズだ。
聴く(Listen)ということはインナーワールドと関係している。聞く(Hear)ということはアウターワールドとつながる(Connect)ことを示している。つながることにより人は自分をどんどん拡張できるんだと思う。その拡張した先が皆が混ざり合い融け合うことだというのが、(もしかしたら)エヴァンゲリオンが意味するものだったけど、ぼくはそんな宗教的ではない。もっと自然界に存在するような形、分散・自律したものたちがつながりあい、エコシステムを作り上げていく形になるはずだ。
この聴く/聞くという仕組みを比べるだけで、われわれの意識/思考は常に箱の中に閉じ込められていることが立証される。聞く(Hear)ことで自分の意識やバイアスの作用を意識する機会を得られる。自分が世界に対して小さい存在であることを理解できる。そして時にはドラマティックな意識の収縮に身を任せて、思いっきり興奮してみたい。
(以下学生時代に読んだ参考文献)
テクノ/ロジカル/音楽論 シュトックハウゼンから音響派まで 佐々木敦著
- 作者: 佐々木敦
- 出版社/メーカー: リットーミュージック
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「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)
- 作者: 佐々木敦
- 出版社/メーカー: Pヴァイン
- 発売日: 2014/05/30
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物質は、いらない。経験が脳へのエクスタシーを与える
1. アートは脳のエクスタシー
猪子寿之のインタビューを読んで楽しくなってきた。「感動と物質は本質的には関係ない。だから、物質から人類を解放したい」。このセリフはとても好きだ。
そして今、情報社会になった。これは、デジタルによって脳が拡張される世界です。スマートフォンでつながる、すぐ検索できる、記録もされる。そうなってくると、遊園地にはないような、脳に対するエクスタシーが求められる。アートはその象徴的なものだよね。アートはエンターテインメントというか、ある種、脳に対するエクスタシーになるから。
via Youtube
2.皆が物質的欲求をクリアする時代
ダニエル・カーネマンは2010年に発表した有名な論文で、世帯年収と精神状態には相関があるが、年収75,000ドル(約750万円)を超えると精神への影響は見られなくなると、記している。下のポストで検討したように、AIとロボットがもたらす爆発的な生産性向上が、やがてわれわれの生産に関するあり方を一気に変えるタイミングが訪れるとぼくは予測する(アメリカの西海岸の多数派もそう予測している)。
安定的な収入が行き渡った社会のなかで、われわれの快楽は物質所有ではなく、エクスペリエンス(体験)に集中するんじゃないだろうか。つまり物質から解放された人類が現れる時代はそんな遠くないはずだ。岡田斗司夫はかなり大技だけど評価経済社会に移行すると予測している。彼のことをなじるのは簡単だが、面白いことを言った人は評価されるべきだとぼくは思っている。
3.所有から利用へ:経験
そこで重要なのは私的所有権という、欧州の啓蒙主義のなかで確立し、世界中に拡散した思想の再定義が必要になると思っている。私的所有権は資本主義の発達の大きなドライバーだった。自分の「財産」が王侯貴族や武装集団に脅かされる可能性がある状況では、経済主体が頑張るインセンティブが生じない。
株式会社を支える法規部分がしっかりしているからこそ、設立、ファンディング、株式上場までの仕組みが整い、いまや創業間もない間で企業が世界中に広がることができるようになった。資本主義はかなりわれわれの世界を豊かにした面がある。
しかし、いまやさまざまな矛盾の部分が気になってきた。おそらく造りが大雑把なのだ。「複雑なものに対し複雑な仕組みを与える」というのが21世紀の社会の向かう先だと思う。だから、投票率がなんたら、戦後民主主義がなんたら、ナショナリズムがなんたらはやめて、新しい仕組みを作るのがナチュラルだ。
資本主義が豊かにした社会の次を考えるとき、私的所有権を柔らかくすることはとても重要な選択肢だ。つまりいろいろシェアし合うことで、われわれの世界はかなり効率的で暮らしやすくなる可能性がある。所有と共有の境界線は曖昧でいい。経験経済とシェアリングエコノミーはたぶん密接な関係がある。特にAirbnbのようなビジネスはそうだと思う。DIGIDAYに書いた記事を引用する。
今日、我々の家、乗用車、もろもろのモノはもはや社会ステータスを明示するものではなくなった。もはや我々は隣人に追いつこうと思わない。その代わりに「エクスペリエンス・エコノミー(経験経済)」に向かっている。休暇の写真や自分で作曲した音楽をシェアし、昨晩のディナーについてツイートしたり、新しい任天堂のゲームを友達に見せたりする。ポケモンGOを紹介したその日、私のステータスは友人の間で、急上昇した。
「所有から利用へ」というトレンドはもう2、3年語られている。クラウド、シェアエコノミー、動画・音楽配信とさまざまなサービスがそういう形をしている。でも、社会や都市のあり方がそんなに変わらないのはどうしてだろう。固定観念があるからだ。世界の変化に対して人間のマインドが追いつけないということだ。日本に関しては高齢化社会+固い保守的な価値観=マインドセットの岩盤があって少しキツい。
まだモダーンなものが完璧に入ってないアフリカには、スゴいチャンスがあると思う。モダーンはひとつの選択肢にすぎないのに、世界の全てのような顔をしている。
4.固定観念を溶かすためには
どうやって固定観念を溶かすか、ということに関してはアートだったりエンタテイメントが大きな役割を果たせると思う。こんな未来があるんだ、と興奮させるようなエンタテイメントがつくられることをやまない。
人は感動したいだけなんだよね。その感動を所有したくて、絵画を買ったり彫刻を買ったりする。デジタルの前というのは、絵画が銀箔や絵の具に付着しないと存在できなかったから、物質そのものに価値があるかのように人類は勘違いしちゃった。
ぼくもそう思う。感動したいだけだ。ぼくは物質では感動しない。だから、ことあるごとにマンション所有をなじっている。自分の根底を覆す、強烈な体験に感動する。そんな感動をいろんな人と共有したいと思っている。だからメディアラボがつくるような体験が人の固定観念を変えることが素晴らしいと感じている。
20兆円市場を臨む東南アジアのテック産業に火をともせ
Mid Jakarta-Yasuhiro Okasaka 2012
東南アジアのテックシーンが本当に熱くなっている。ぼくは2010〜2015年2月までインドネシアに滞在したが、当時すでに熱かったものが、いまやビジネスの急拡大を展望するというリアリティに近づいている。先月下旬のテマセクとGoogleのリサーチによると、東南アジアのインターネット経済の規模が2025年に2000億ドル(約20兆円)を超える。これは以下の記事に詳しく書いた。
おそらく新規事業を考える人々は、中国より東南アジアにフォーカスするのが適切だ。そしてその未来はとてもおもしろいはずだ。中国ではない理由は以下の2点が大きい。
1.中国はBATの寡占市場ができ上がっている。
先月は中国のデジタル広告市場の巨人であるテンセントのSenior Director、Benny Ho氏にインタビューした。
彼はテンセントの広告プラットフォームが、日本企業がインバウンドマーケティングをする際にどれだけパワフルかを語りたがっていた。その一方、テンセントが日本を含む海外にどういうふうに広告事業を拡大していくか、ということについてはあまり語りたがらなかった。
- テンセントのサービスは巨大なのでひとつずつ他国に出していく
- その際には海外で20兆円ほど消費する中国人観光客と、在外中華系(Diaspora Chinese)が最初の基点になる
このDIGIDAY記事で指摘したとおり、テンセントはFacebookに肉薄している。
テンセントの収益、純利益はFacebookと同水準。時価総額でもFacebookの3571億ドル(約35.7兆円)に対し、2470億ドル(約24.7兆円)の水準となり、世界で16番目に時価総額が大きい企業となった(レート、チャートは作成時点のもの)。
Tencent (WeChat) killin it. Now 16th biggest co in world. Revenue/profit not far behind FBhttps://t.co/gkZe8DOgqz pic.twitter.com/DGj8WkmALu
— Yuji Nakamura (@ynakamura56) 2016年8月18日
2. ピークアウトが近い?
また経済、デジタル領域の伸びのピークアウトが差し迫っていることもある。GDPの伸び率も鈍化が始まっている。
iPhoneの販売も落ち始めている。アッパーミドルから富裕層が見せびらかしたくて購入する時間帯が終わり、安定的な水準に入ろうとしているとぼくは推測する。
できあがった中国より、いまダイナミックに成長する東南アジアに目を向けるべきだと思う。
成長する東南アジアのネットエコノミー
東南アジアの傾向としては、欧米勢のソーシャルが定着したが、もうかっているサービスは、主にマーケットプレイス中心で、地場勢が外国勢を追い出した形だ。
インターネット人口は爆発的に拡大する(下図)。ただし東南アジアにはネットカフェが充実しており、田舎の人でもハイスピードなネットを楽しんでいるし、都市部にはSimフリースマホで4,5個のSimを使い分ける若者がおり、統計が補足していない部分は大きいだろう。「Adtech Tokyo International 2016」で取材した現地のコンサルタントも統計は複数利用し、裏を合わせるよう指摘している。私の肌感覚もそうだ。モバイルは本当に破壊的なデバイスでどんな生活レベルの人にも入り込む。
東南アジアのベンチャーキャピタル(VC)はいまはシンガポール、インドネシア、ベトナムのECへの投資に力を入れている。ECは同地域のインターネットエコノミーの牽引役。リアルの小売業の5倍の速度で拡大しており、2025年に880億ドル(8兆8000億円)規模に達する。このうち、人口2.5億のインドネシアは52%にあたる、460億ドル(4兆6000億円)を占めることになる。
シンガポール中心構造、変化が必要
リサーチはシンガポール国営投資会社テマセクのものなので、シンガポールセントリックに描かれている部分はあり、そこは割引きたい。
ぼくはインドネシアの5年間で、ファイナンスが発展したシンガポールが地域経済のハブになるモデルに疑問を感じている。投資された資金が周辺国で利益を生み、それがシンガポール在住の投資家によって回収されるという仕組みは、周辺国のあり方を歪めてしまい、「周辺」を常に不安定にする。シンガポールにとってはうまいが、全体で考えるとパフォーマンスを落としてしまう気がする。なぜならシンガポールは結局人口500万人の小島にすぎないし、ビジネスはまわりの6億人の間で起きる
分散し自律したものたちが協調しながら、それぞれがビジネスを作るほうが効率的だと思う。米国のウォール街VSそれ以外問題をこの地域に持ち込むべきではない。
Tech in Asiaで熱気を体感したい
来週はTech in Asia Tokyoの取材が控えている。地域の熱さ、ダイナミックさを多くの人に伝えられればいいと思っている。
あとテレビの天気予報の画面はこれからこうすべきだと思う。アジアに旅行に行って「日本より不便だった」みたいな感想だけを聞くのはそろそろお腹いっぱいだ。数字とファクトを眺めよう。
「ネットの父」村井純氏に学ぶ、新しいものの作り方
7月に開かれたTHE NEW CONTEXT CONFERENCE 2016 TOKYOを取材できたのは、本当にDIGIDAYの編集者をやっていてよかったと思うできごとだった。
正直、世界がひっくり返るくらいスゴい人たちが集まっていて、二日間フルで出席した後、帰りはわくわくが止まらず、脳みそがぎゅるぎゅる震えていたのを覚えている。
「インターネットの父」の村井純先生の話を聞けたのは嬉しかった。村井先生はこんな感じだ。
インターネットは氷山のようなものだ。いまや水上の一角で、AIだ、ブロックチェーンだと騒ぎ始めたが、基層の氷の部分がすべてを支えている。
インターネットを構築する当初から、自律・分散・協調のネットワークをつくることが目標とされてきた。技術的な観点からクライアントサーバーの仕組みを採り入れたが、それでインターネットがスケールすることになった。インターネットをめぐる様々な課題は、ネット自体の普及と拡大により課題がばんばん解決した。ネットワークの冗長化も達成できている。
DIGIDAYにも書いている。村井氏は「ネットの次」として、ブロックチェーンをポジティブに利用したいと考えているようだ。
「インターネットはタテのものをヨコにつなぐということで動いてきました。人が壁を越えて分野を越えて国境を越えて新しいイノベーションを生み出せるでしょうか。こういうことにブロックチェーンが応えられるでしょうか。インターネットの上に、ブラックチェーンが信頼のプラットフォームとして働くでしょうか」
アナログのテクノロジーは、タテの構造をしている。テレビは使用する電波帯域、テレビシステムの仕様、サービスの内容、ビジネス、ルール、文化が縦割りに、垂直に決められていくものだ。
しかし、デジタルのテクノロジーは、水平に展開する。インターネットプロトコルは、共通の基盤として「薄いフロシキ」のような役割を果たし、その上にさまざまなサービスが実現される。
いまわれわれが享受しているさまざまなサービスは氷山の水上部分だ。それを支えるテクノロジーを先人の方々が築いてくれたのだ。われわれは余りに自分たちが今いる場所を知らなすぎるのかもしれない。
村井先生はWinny開発者の天才プログラマ金子勇の公判で金子氏とネットの技術を強く弁護したことで知られる。佐々木俊尚氏の記事から引用する。
「インターネットの共有メカニズムでは、規模が大きくなって情報量が増えるとネットが負荷に耐えられなくなり、新しい技術が必要になってきます。そうした中でP2Pはきわめて注目されており、その中でもWinnyは性能を高める洗練された機能を持ったソフトでした」 P2PソフトウェアとしてWinnyは非常に高性能で、インターネットの技術としては最先端を走っている。そしてその技術は、ネットのテクノロジそのものをドライブさせる役割を担っている――村井教授の証言は、おおむねそのようなトーンに貫かれていた(中略)
「利用は様々です。利用の仕方はいろいろあるが、それは電話をどのように使うのかということと同じです。要するに、さまざまな目的で使われるようにすることがインフラの目的なのです。私はWinnyの利用者から、その利用目的について聞いたことはないのでわかりません」
村井先生は周辺状況が難しい中で日本のネットワークを構築し、スケールするまで携わっている。金子氏の一件もそうだが、感情的に叩かれても曲がらず、冷静な主張を続けた。ナップスターのショーン・パーカーはFacebookの初期にジョインし、億万長者になった。金子氏とは雲泥の差だ。
こういう「日米の報酬の差」を埋められるよう努力したいし、インターネットという「非常識」を「常識」に変えた村井先生の姿勢に尊敬し、新しいものを築けるようになりたい。
格差社会を抹殺したいならAIとロボットで全員年収75,000ドル以上にしてしまえ
以下のグラフはOECDによる平均賃金の推移を記したものだ。多くの国の企業・公的機関などは十数年の間に賃金の増加で、人々をねぎらっている。しかし、日本は経済状況が難しい「欧州の問題児」イタリアと同様、賃金の横ばいが続いている。これが意味するところはかなり重たい。
次は年収ラボから日本人の平均年収の推移を持ってこよう。平成20年のリーマン・ショックから平均賃金が下がっている。企業側は非正規雇用を拡大し「サラリーマン」の賃金も抑えているようだ。
そして内閣府の『賃金と物価・生産性の関係(国際比較)』はこう指摘する。
従業員のインセンティブがおかしい方向を向き始めたことは、長期的な停滞の要因のひとつな気がする。「飯田香織ブログ 担々麺とアジサイとちょっと経済」によると、こうだ。
報酬の低さは、慎重すぎる日本のカルチャーに寄与していることは間違いない。日本ではリスクのある投資案件に賭けるよりも、内部留保をため込みたがる。ゴールドマン・サックスによると、より高い報酬を得ている役員ほど業績が良いということだ。
日本では、大胆な決断をするには金銭的なインセンティブはないばかりか、うまくいかなった場合の社会的な制裁が待っている。新たな進路がうまくいかなかった場合、メンツを失うばかりか、社員のリストラに直面し、退職後も顧問として残るという特権を失うことになるのだ。
ボス世代には他にも年金という、若年層には期待できない「Exit(出口)」まで用意されている。ボスが未来を拓くチャレンジをするインセンティブはなく、むしろ部下たちの意欲を削いだり、やり過ごしたりことに報酬がある。いわゆるサラリーマンの愚痴は『週間SPA!』を読めば分かる(細かく触れない。1冊買って出版不況に報いてほしい。この記事はわかりやすい)。
頑張った人に報いよう
『How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス)』によると、Googleは成果を出す人にはずば抜けた報酬を支払う。ソフトウェアの分野では個人個人で成果の差が大きく出やすいだろうから、成果を出すインセンティブをつくることはまっとうな判断だ。いいことをした人にはしっかり報いないといけない。
しかし、日本ではフラッシュメモリや青色LEDの発明者は賞賛されず、むしろ罰せられた。フラッシュメモリ発明者・舛岡富士雄氏のこの記事を読むと胸が痛くなる。やはりインセンティブがおかしい。細かい検討が必要だが、ブログなので大雑把に行こう。
- 日本企業の多くは文句を言わない労働者の上にあぐらを書いて、ビジネスモデルの刷新、技術革新などをサボってきたのではないか。新しいアイデアを生み出すよりも人件費を絞るほうがラクだから、「ブラック企業的アプローチ」が半ば普通になっている
- 従業員に与えられているインセンティブがおかしいため、組織が上手く機能せず、革新的な面白いものは日本から出てこなくなる
多くの人が感じていることだと思う。
格差に関する議論は、分配の最適化の話に向かう。ジョセフ・スティグリッツ氏は金融セクターがあまり価値を創出していないのに富の多くをさらってると指摘してきた。トマ・ピケティの『21世紀の資本』 は富自体は拡大を続けているが、キャピタリストの取り分の伸びが、生産の伸びを超えているという議論だった。
確かにこれはとてもストレートな議論だが、ソリューションが分配だけにあるのだろうか。
もちろん、集中された富がどれだけわれわれの世界に寄与しているかは調査が必要だ。スティーブ・ジョブスにiPhoneを開発し、サプライチェーンを築くための人的資源とお金があったのは幸運だった(最近のAppleはただ単にお金をためているだけだし、割高なiPhoneを売るだけの「インフラ企業」になってしまった、気がする)。イーロン・マスクのようなクールな起業家がいるおかげで、電気自動車、宇宙開発のような分野が色めき立っている。しかし、彼らはほんの一部だ。アノニマスなスーパーリッチたちのマネーは世界中で何をしているんだろう?
不透明な世界で、いまある手段で分配を実現するのは難しい気がする。高校の先輩である佐藤優はこう指摘していた。「ピケティは、国家や官僚を中立的な分配機能を果たすと見ている。この見方は甘い」「ピケティが想像するような資本税の徴収が行われる状況では、国家と官僚による国民の支配が急速に強化される」。佐藤氏が元外務官僚で、日本の官僚機構と一戦交えた後に、今の評論家の立場にいる部分が重要だ。彼は官僚機構の機能性に関して熟知しているはずだ。官僚機構の目的は必ずしも「最適化」ではない。
生産性を爆発させろ!
ぼくはこの難しい部分に手を出さず、生産を爆発的に増やす方がスピーディな解決策になると思う。つまり日本の各領域でAIに投資するのがいいと思う。生産性を爆発させれば、大雑把だが解決策になる。分配という最適化の部分は、数理的にアプローチすればそんな難しい問題じゃない気がする(ただ何をもって価値創出とするかという議論が残っている)。
ダニエル・カーネマンは2010年に発表した有名な論文で、世帯年収と精神状態には相関があるが、年収75,000ドル(約750万円)を超えると精神への影響は見られなくなると、記している。 精神面へのポジティブな影響(Possitive affect)、悲観的にならない効果(Not blue)、ストレスからの解放(Stress free)の3点とも75,000ドル(横軸が年収)付近で伸びが止まったり、伸び悩んだりしている。
カーネマンらはこう指摘している。
ポジティブとブルー(悲観的)なデータはわれわれの当初からの問いに対し、予期しないシャープな答えを提供した。必ずしも、お金があればあるほど、よりたくさんの幸せを買えるわけではないが、お金がなければないほど、精神的苦痛に結びつきやすい。75,000ドルは、収入の増加がもはや感情の健康さに関係する個人の能力を向上しないことを意味する。この能力とは好ましい人と時間を過ごしたり、苦痛や病気を避けたり、余暇を楽しんだりすることを可能にするものだ。
ACSによると、米国の世帯平均年収は2008年に71,500ドルであり、3分の1の世帯は75,000ドルのしきい値を超えている。収入が増加しこの水準を超えたとき、ポジティブな経験を買える能力の増加が、何らかのネガティブな影響のために吊り合いがとれた状態になる。最新のプライミングメソッドを活用した心理学による研究は、高い収入と小さな喜びを味合う能力を失うことの間に結びつきがありうることについて示唆に富んだ証拠を提示している。
全員年収75,000ドル以上にしてしまえ
AIとロボットで全世帯とも年収75,000ドル以上にしてしまえば、格差議論は終わるのではなかろうか。生産(下図のP)が指数関数的に増加し、コスト(下図のC)がマシーンのおかげで減っていくという逆相関になるという奇跡が起きることは想像に難くない。
生産性はわれわれの想像を超越したレベルに達し、誰でも欲しいものは何でも手に入れられ、良い体験をし続けることができて、嫌なことを回避できるならば、貧富という概念自体がなくなるんじゃないか。スコールのように大地に降り注げば、濡れない大地などないはずだ。
日本は超少子高齢化社会で、なおかつ富裕国では飛び抜けた水準で、移民を受け入れていない。マニュアルレイバーをやる日本系の若者もいない。さまざまな分野で労働力の大幅な欠損が現れるだろう。ここにAI+ロボットを大量投入する(いま多くの起業家が進めている)。
考えられる懸念点は、仕組みがリアリティに追いつかないことだ。企業はこのAI・ロボットがもたらす生産性が渡された時、従業員をクビを切りまくって、少数の人間でできた高収益型企業をつくろうとするかもしれない。多くの人が前時代の固定観念にとらわれるせいで、パニックに陥るだろう。短期的には大失業の時代を迎えるかもしれない。
しかし、異次元の生産性向上に対して前時代的な対応をすることは得策じゃない。やがて状況に慣れれば、仕組みを変えていくことは自然になるはずだ。そもそもこうなると、個人で十分な生産を生み出せるので、誰もが企業に雇われる意味を見出せなくなり、AIとロボットの生産能力で「サイボーグ化」した個人たちがパートナーシップで結びついていく社会に変わっていくだろう。
社会構成者全員に75,000ドルのしきい値を超えてもらうためには、ユニバーサル・ベーシック・インカムのような分配が重要な時間帯があると思う。人間がお金を分配するとそこに権力が生じる。私が学部時代、政治学から学んだことだ。お金の分配、人事権を握った人物は、かつての自民党の幹事長的な力をもつ。そして無駄な権力闘争を始めることになる。こういう仕組みはあまりパフォーマンスが高くないことケースが多いことを歴史は証明している。
だから分配はスケーラビリティが担保され、完璧な状態になった(そうなってほしい)パブリックブロックチェーンでされたらいい。人間だけでなく、AIの力を借りて最適化していけばいい。もちろん、完璧な最適化はありえないわけだけど、75,000ドルラインを超えたとなれば、その人が抱える不満も大したものではないだろう。
Smart Node:メディアを「賢い節」に再発明しよう
DeepMindのDemis Hassabisのプレゼンにはときどき「Sensorimotor」が出てくる。知覚とアクションを同じ場所で行うことだ。コンピューティングの新しい目的地である分散協調型においてひどく重要な部分だ(一度このポストで検討した)。
このアーキテクチャの変化は「メディア」も大きく変えるだろう。Mediaは「媒介」という意味だと思うが、何故か情報のサヤ取りをして、ブロードキャストをし、儲けるビジネスモデルを意味する言葉になっている。つまりアービトラージャー。
Image : Commons Wikimedia
情報が生成される場所にくっついて、その情報の一部を握ることで「我々は知的であり権威を帯びている」とエラそうにするグループのことがメディアだと思う。これがインターネットが浸透した現在、情報流通の状況とフィットしていないので、かなり変な感じだ。
こういう組織では人間をマシーンぽく教育している。上意下達で意思を失った機械が求められている。だったらマシーンにすればいい。記者会見でスクリプトマシーンになっている新聞記者をよく見かける。それらがデスクに集まって捌かれるのだろう。ならデスクだけが人間で、他はマシーンで良いだろう。ぼくは彼らに「音声認識が発達すれば、あなたはその最悪の単純作業から解放される」と話しかけたくなる。
その情報を分析してアクションする、のが人間らしい仕事だと思う。この機能の名前は思いつかないが、まあ「メディア」ではない。「媒介」としての本当の仕事だったらコンピュータのが得意だ。情報取得・分析・行動のワンセットになったものが、コンテンツディストリビューションの主流になるのではないか。
人々から一番近いところでは、アシスタントという形で現れる可能性がある。AIが集めてくれた情報に基づいて、個人が価値のある情報を生成するという世界すらありうる。ライター・記者・編集者の書く・撮影する定式化されたものより、すでに専門家やブロガーが執筆するブログの方が充実している。知識、経験のバックグラウンドが違うからだろう。
Image: Wikipedia
だからコンテンツディストリビューションにとって重要なのは上のような「節」だ。「Smart Node」と呼んでみたい。賢い節々があることにより、コミュニケーションのエコシステムが有益になる。ドナルド・トランプや極右のようなポピュリズムを防ぎながら、情報のパーソナライゼーションを達成するにはSmart Nodeは不可欠な存在だろう。
スリ財務相復帰はインドネシア興隆の狼煙
スリ・ムルヤニ(写真=linked in)が先月末、世界銀行COO(世銀ナンバー2)からインドネシア財務相に帰り咲いた。インドネシア史上最高の財務相であるムリヤニ氏は早速仕事をしまくっている。
スリはインドネシアの経済学のメインストリームであるインドネシア大学(東大みたいなもの)の教授から、2005〜2010年に財務相を務め、08〜10年は日本の経産相と同じ経済調整相も兼任してインドネシア経済の舵取りをしていた。(日本では起こり得ないことだ)。インドネシアは1998年にアジア通貨危機で死にかける最中に民主化し、98〜2004年は政治は混乱し、経済状況はかなり悪かった。
経済界や関係国が「望んだ」SBY(スシロ・バンバン・ユドヨノ)政権が2005年に発足し、彼女が辣腕を振るい始めた。もちろんすべてが彼女の功績というのは乱暴だが、新興国経済では政府の舵取りが大きな要因になりうることを考慮すれば、彼女の仕事は経済浮上に大きく寄与したと言えるかもしれない。インドネシアの税収はみるみる伸び、歳出の効率性が高まり、財政は健全化した。アジア通貨危機以降、かなりインドネシアを疑問視していたグローバルマーケットの態度が、彼女のせいでかなり変わってきた(この記事はそのムードを伝えている)。
汚職が当たり前のなかで、反汚職を実現した
スマトラ島の南のランプンという気性の強い民族グループの出である彼女は、幾多の政治的圧力に屈せず汚職に厳しかった。どんどん不品行を摘発していった。
これはインドネシア社会で超難解なことだった。
まず、財務省の高級官僚のなかには海外留学経験者が少なくない。彼らの親も官僚・学者などのケースが多いが、額面上の給与では留学なんて絶対無理だ。つまりインフォーマルな金で留学している。彼らの子息も大概留学する(留学は高位職へのゲートウェイだからだ)。その金もインフォーマルに得られたものだ。つまり彼女を囲む高級官僚の多くが汚職と無縁じゃなく、他の省庁、国家機関も同様の状況だ。
さらにインドネシアの三権は国会にかなり強い権限をもたせている。この国会議員の99%は汚職をしたことがあるとインドネシア人は考えている。この人達は国会の隣にある超バブリーなホテルに集まって、国家予算をどう分けるかで一晩飲み明かせる人たちなのだ。この人達と闘いながら予算規模を拡大し、効率を上げていった。
彼女がもっとも脚光を、浴びたのは08〜09年の世界金融危機のときだ。富裕国が世界金融のメルトダウンから回復しようと苦しむなか、インドネシアは前年とまったく変わらぬ6%オーバーの成長を遂げていた(上図)。
彼女の税収を拡大する力はすごかったが、資源ブームでめきめきと力をつけた、政界の巨人、アブリザル・バクリー氏が納税を不得意にしている部分にも徴税の手を伸ばしたところ、彼や彼のような国家と密接な関係をもってビジネスをしているグループを怒らせてしまい、彼女はインドネシアを去り、世銀ナンバー2に収まった。
現地記者に聞いてみた
知り合いの現地記者に状況を説明してもらった。
6月に国会で削減方針で可決した中央省庁予算をまた削減するし、事業の選択と集中を徹底するし、タックスアムネスティ(租税特赦)を訴えてシンガポール出張する。やることが大胆で行動が早い。国会で一切手をつけなかった地方交付金の削減に踏み切ったのが本気度を感じる。与党入りしたゴルカル党は反発する感じじゃない
これを「解読」してみよう。
――6月に国会で削減方針で可決した中央省庁予算をまた削減するし
インドネシアの法規では国会で可決した予算を政府が微修正を加えられるようになっている(国会が上手く機能しないことを見越した仕組みだ……)。スリ氏はそれを活用し要らない中央省庁予算(イ固有の呼び方:省庁が使いみちを決めれる予算)、地方交付金をカットした(Tempo)。32年のスハルト独裁の反動で、地方分権がインドネシアの「建前」だが、この交付金は典型的なバラマキ。この利権でどろどろの交付金を普通は「怖くて怖くてカットできない」のだが、彼女はあっさりやる。
――事業の選択と集中を徹底する
インドネシアは「あれもやる、これもやる」が多くてさまざまなプロジェクトに複数年の予算をつけるが、一貫性がなく実現しないし、途中で事業が終わったあかつきには「あれ、あの予算どこ行ったの?」になるのだ。
ーータックスアムネスティ(租税特赦)を訴えて
タックスアムネスティは秘匿資産などの情報を開示すれば、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度だ。
日本の国税庁はこう記している。
諸外国においては、タックス・アムネスティを利用し、納税者から自主的に秘匿資産等の情報について開示・申告をさせることで、海外に流出した所得等の回収に成功している例が見受けられるところである。
「タックス・アムネスティ」とは「租税特赦」とも訳され、資産や所得を正しく申告していなかった納税者が自主的に開示・申告を行った場合に、これに本来ならば課される加算税等を減免したり刑事告発を免除したりする制度のことである。なお、先進諸国においては、その表記として「ボランタリー・ディスクロージャー」等を用いており、「タックス・アムネスティ」の表記を避けている。
タックス・アムネスティは、加算税等の減免や刑事告発の免除等をすれば必ずしも成功するというものではなく、その国の情報報告制度や罰則制度等の在り方とのバランスに大きく関わっているものではないかと思慮され、我が国に導入するとすればその効果的な導入のために、現在の制度及び執行にどのような検討が必要かについて十分に考察を行うこととしたい。
キャノングローバル戦略研究所の主任研究員、柏木 恵のポストの一部を抜粋する。米国の例がわかる。
タックスアムネスティとは、滞納者や脱税者に対し、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度をいう。いつ行われるかは分からないため、タックスアムネスティを見越して滞納することはできない。(中略)
米国では各州で「タックスアムネスティ(Tax Amnesty)」と呼ばれる税徴収のキャンペーンを不定期に突然行い成果を挙げている。タックスアムネスティとは、滞納者や脱税者に対し、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度をいう。いつ行われるかは分からないため、タックスアムネスティを見越して滞納することはできない。
さらに日本の国税庁の「各国におけるタックス・アムネスティの利用実態」 によると、「個人又は法人の納税者が 2006 年以前の所得税申告書を増額修正し 2008 年 12 月 31 日 までに提出した場合に、延滞税(本税に対して月 2%)を免除する」ということだ。この情報はおそらくインドネシア国税当局から直接取材しているので確度が高い。
タックスアムネスティは「自主性」という言葉で形容されるが、インドネシアの状況を勘案すると、典型的なアメとムチ(Reward and punishment )政策だ。ザルな徴税を引き締めるとともに「もし自主的に税申告しなければ摘発するぞ」というムチがちゃんと効いていないとうまくいかない。
このムチをしならせられるのがスリということだ。
――シンガポール出張する
このタックスアムネスティで極めて重要なのが、シンガポールだ。このマラッカ海峡にあるタックスヘイブンには税務当局が追跡できてない、インドネシア人富裕層の資産が眠っている。スリが協力を得られたかは不明だ。この部分こそ、シンガポールの繁栄の大きな要因だからだ。
インドネシアは外国投資に依存している。投資の7割が外国直接投資(FDI)だ。そのなかで一番大きい経由地はシンガポール(34.76%)だ(出典:投資調整庁)。
外国直接投資の内訳は、1位シンガポール、3位香港、6位イギリス領ヴァージン諸島、10位モーリシャス共和国、12位スイス、13位ケイマン諸島、14位ルクセンブルク……。タックスヘイブンからの投資がコモディティなどに流れ込み、利益の部分が海外に抜けてしまうというのがインドネシアの悩みだ。2位の日本も、JVからの配当である程度日本などに利益が抜けていくが、製造業主体で雇用も生んでおり(イは製造業への投資がノドから手が出るほど欲しい)、比較的「お手柔らか」だと考えられる。しかも日本人は比較的、よくも悪くも「いい人」なのだ。いちいち細かくてリスク回避的でアジアでは横柄なのが少しイヤだが、タックスヘイブンから投資する手合いより、全然付き合いやすい。そうインドネシア政府は考えているはずだ(インドのモディと仲良くなったのもこういう理由だし、日本人男性との交際を好む外国人女性の動機もそうだろう笑)
法人税も下げてシンガポール対策
KOMPAS.comによると、法人税を25%から17%に落とすことを検討している。スリ財務相は法人税を規定する法律の改正案を国会に提出する予定だ。
NNAは以下の通りだ。
大統領は法人所得税について「シンガポールの税率が17%で、インドネシアが25%のままであれば、競争に負けるのは明らかだ。投資家はすべて海外に逃げてしまう」と語った。政府は現在、17%まで一気に引き下げるのか、あるいは段階的にまずは20%、その後に17%まで下げるのかについて協議していることも明らかにした。
事業自体はインドネシアで行うのに、シンガポールにヘッドクォーターを置く大企業がある。理由はシンガポールとの法人税の差だ。こういう企業のトップは国籍こそインドネシアだが、シンガポールや香港などに住んでおり(ジャカルタの北の海岸沿いにマンションと船舶を所有していたりする)、各種の納税もそこでやる。
このほかタックス・ヘイブンを設置する可能性についても言及。「国内には数多くの島がある。うち1カ所をタックス・ヘイブンにしても問題はない」と発言。政府が現在、検討を進めていることを明らかにした。
どうやら国内にタックスヘイブンをつくる考えらしく、これは面白い。「海外のタックスヘイブンではなく、国内のタックスヘイブンを使えばいいか」を狙っているようだ。インドネシア政府は、国内に投資された資金が海外に引き上げられないで、国内産業に再投資される、コールドマネーがほしい、ということだ。
スリ体制でされること
ジョコ・ウィドド政権が誕生してから、彼らの方針はずっと明確だ。新興国としてベーシックなこと、確立した方程式通りのことをする。
- 財政収入を増やす
- 社会扶助、教育、健康保険で中間層を育てる
- インフラへの公的投資を増やす
世銀のクォータリーレポートもこう評価している。
「慎重な金融政策、増加するインフラへの公的投資、さらに投資環境の向上させる政策上の改革はインドネシアが5.1%の成長を持続することを助けるだろう」――Rodrigo Chaves、世銀インドネシア担当カントリーダイレクター
インドネシアが製造業や、観光業に代表されるサービス業での競争力を高める改革を実施するための重要な機会になっている。現在実施されている改革に加えて、産業ごとの戦略が重要になるだろう。プロダクトデザイン、エンジニアリング、成長産業の優先的な開発などにおける、技術移転か技術力の向上が重要になる。各産業のアップグレード、技術的なはしごを上るためにもプライベートセクターと強固なパートナーシップが必要になる――Ndiame Diop, 世銀インドネシア担当リードエコノミスト
不安材料:政局リスク低いが、製造業はうまく育っていない
不安材料はゴルカル党だ。しかし、長年足を引っ張ったこの部分が意外にも視界良好だ。
ジョコ・ウィドド政権はスリを加える内閣改造で、ゴルカル党を与党に加えた。ゴルカル党はもともとスハルト独裁政権の翼賛機関を基にしており、魑魅魍魎のすみかである。2010年にスリをインドネシアを去らせた、アブリザル・バクリー氏の党内権力は、自身のビジネスのメルトダウンとともにかなり落ち込んでいるようだ。これが大きい。
スリは現政権の発足時にも財務相のオファーを受けたが、断ったとされる。「政治のバックボーンがつかない限り彼女はやらない」と言われていた。じゃあ今度はアブリザルが去ってバックボーンがしっかりしたということだろう。
アブリザルに代わり党首に就任したストヤ・ノファントは2019年のジョコの大統領選出馬の支持まで確約している。ストヤ氏ははたけばいくらでも埃が出てくるタイプの政治家だ。ジョコ政権下で捜査機関が彼を立件するのは、赤子の手をひねるくらい簡単だ。それが起きないのはストヤ氏がゴルカル党を大人しくしておくための傀儡として役立つからだろうか。「あえて立件されないでいる操り人形」、そう勘ぐるのが普通だ。
ジョコ政権はかなり政治家たちをぎゃふんと言わせている。政局リスクは比較的少ない。
もっとも大きな不安要因はコモディティ市況だ。インドネシアはスハルト独裁政権時代から製造業を育てようとしてきた。2.5億人に雇用を渡すには製造業が重要だからだ。しかし、以下の図の通り、98年の通貨危機以降、開発計画と投資が寸断され、製造業の成長が停滞した。
しかも、08年のリーマンショック以降のコモディティバブルで、この国でされる投資の多くが資源産業に振り向けられるようになってしまった。バブルが終わった後、GDP伸び率5%台という結果として出てしまっている。インドネシアでは毎年山程の若者が労働市場に参入してくる。彼らの働き口をつくらないといけないのだ。ただし、各種の法律、行政プロセデュアのレベルが低く、中小企業は楽しくないし、新しくビジネスをやろうという気概はあんまりそそられない部分がある。下図の通り、インドネシアの製造業のシェアは低いままだ。現政権は2020〜2024年の次期まで製造業の種を巻き続けないといけないだろう。
最後の不安材料は、ホットマネーだ。ジョコ政権発足から株式市場は上昇を続けている。ただこれらのカネは瞬時に入っては出て行くことを繰り返すためリスクでもある。通貨危機とスハルト政権崩壊の98年に大規模な資産逃避が起きており、率直に言えば、暴動の矛先になった華人がそれを行った。インドネシアの資本市場ではチャイニーズのマネーの存在感は強く、中央・地方経済でされるさまざまな投資の原資に華人は少なからず絡んでいる。
またインドネシア華人以外の在外中華系、それ以外の投資家グループは世界のさまざまな場所と天秤をかけながらホットマネーを動かしている。インドなど競合投資先が躍進したり、アフリカが追いかけてきたりすると彼らはすぐにベット先を変えるのだ。
結論:経済政策に信頼、デジタルに投資してほしい
スリ氏が何をするかとても楽しみだ。ジョコ政権のベーシックな経済浮揚策はとても説得力があり、スリ氏の力は大きく寄与すると思う。ただし、マクロ経済政策ができることは限られてもいる(アベノミクスはその好例だ)。2.5億人に新しい社会を提示できる若い人材を生めるようにしなくてはいけない。
爆発的な速度で進歩するデジタルテクノロジーは、日本が経験したような20世紀的な経済開発とは異なる通り道を構築できると思う。確かに今人々が必要とするのはインフラだが、同時に豊かな情報を得たり、少ない人数でビジネス、行政手続をスケールするなどの実験もどんどんしてほしい。コンピュータサイエンスがあらゆることを変えたのはもう明らかだし、インドネシアのような開発途上の若い国でこそ、その進化を発揮できるはずだ。
レコーディングソフトはデジタルディスラプションの教科書
大学生のとき、ぼくはリズムマシーンに延々とシーケンスを打ち込んでいた。ローランドのリズムマシーンで名前は忘れたが、数値入力により楽譜上の位置と音符の長さを指定するタイプのモノだった。8章節のループを作り、それをコピー、細部を変えて16分で刻むハイハットとかフィルインとかを入れていた。
安物のハードディスク内蔵のMTRにピンポン録音して、そこに相方のギターの音とかを載せて曲づくりしていた。MTRの音場は、簡素な六畳一間のような感じで住み始めは狭い気がするんだけど、だんだん愛着が湧いてきたりするから面白い。
スゴイダサいデジタルリバーブなどのエフェクトもかけられた。そのとき中学校の友人でECCYっていうDJとPro Toolsで完結する製作環境を確立して自慢してきやがった。ECCYはその後、Shingo2とコラボしたりしてぼくの7,8歩も先を行っていた。
それで丁度、ドイツ丸出しのソフトウェア「Live7」が出て、サンレコとかがしきりに煽っていて、ぼくもMacBookと「Live7」のセットを買った。当時はわけあってアメリカ2カ月旅行の金も貯めなくちゃいけなくて、バイトを3つ掛け持っていたし学校の単位も維持しないといけない。おおよそ不眠不休の生活をしていた。
人から馬鹿に見えることが合理的な理由
この動画で茂木健一郎が望ましい困難(Desirable difficulty)に言及している。望ましい量の困難がパフォーマンスを長期的に向上させる。
<自分なりの要約>灘中→灘高→東大理三は特定の最適化の産物である。完全情報ゲームのなかで一番うまく動けることと、不完全情報・ダイナミック・カオスな現実のなかで上手くやることは決定的に違う。イーロン・マスクは他人からバカに見えるけど実際には頭がいいことがもっとも価値が高いと言っている(下図)。「天才」とはIntelligenceとFoolishを掛けあわせたもの。Think outside boxがとても重要だ。
人工知能研究で有名な、松尾豊准教授によると、人工知能が成長する秘訣は、ロバスト性。ノイズを加える、コネクションを外すなど、いじめることによる「ロバスト性(強靭さ)」が重要だった。ぐらぐらの柱では2階建てにならない。 ロバスト性を高めるには、計算機パワーが必要だった。いまのマシンスペックでもGPUを使って100台並列とかで、ようやく精度が上がる。
たぶん、インド出身のインド人が米国IT業界で成功していることは一例になると思う。人口が超多い国で、超競争が激しい社会。インド工科大に入学するほんの一握りに選ばれ、海を渡る(成功するしかない)。
暗記能力を評価するのはやめよう
それに比べ、進学校→大学→大企業という構造の中で育った知性は、構造の中に最適化したものに過ぎない。未来だったり日本の外だったりそういうのところに出ると途端に弱い。ぼくは途中までその中にいて、長い間、教科書か教師の言葉を繰り返すつまらない秀才たちとうまくハマらなかった。
暗記力を評価し報酬を与える仕組みを変えないといけない。暗記したものは検索で出てくる。必要なのは、人が馬鹿だと思うことに集中して取り組む人間だ。日本はスタンドアローンな知性でい続けることが本当に辛い国だと思う。人々の同調性はとても高く、同調圧力に屈しやすく、「意識高い」となじる文化まであり、こういうのをうまく利用して他人を支配する権威主義者がごろごろいる(本当にくだらない)。
それでも羊でいるのは本当に退屈だと思う。それに飛行機に乗れば他の国にもいける。魔法はいずれとけるはずだし、もっと他人からバカだといじめられて、よりロバスト性の強い人間になった方が、単純に人生が楽しいはずだ。
Image via Torley
分散協調型、巨大なトレンド
コンピューティングは分散協調型のアーキテクチャに向かっていると思う。クラウドという集中型の仕組みが、デバイスやその近辺のAIにより分散化していくことになる。テクノロジー大手が人工知能のスタートアップと研究者を買い漁るのはこのためだ。
インターネットはクライアント・サーバーという主従が決まっている仕組みで始まったが、いまやデバイスとデバイスが会話するというビジョンを目指している。Googleのスンダー・ピチャイが語るのは「デバイスの消失」だ。つまり、われわれがデバイスをがちゃがちゃいじるのではなく、AIがアシスタントとしてわれわれに便宜を図るようになるということだろう。
この分散協調型コンピューティングは個人の力を拡張するという結果も生むだろう。AIとブロックチェーンというトレンドは大きくそれを物語っている。アーキテクチャとアプリケーションの大変化はわれわれの生活も一気に変えるはずだ。われわれの生活のほとんどが「接続」されているし、接続はより深く濃くなっていく。自分に何ができるか、考えておきたい。
http://interactioninstitute.org/connectivity-creates-value/
私がインドネシアの政治経済記者からデジタルマーケティングのアナリストに転向したのは、政府のような枠組みは社会の進歩の最初の一歩に過ぎないとわかったからだ。新興国を成長させるのに政府は重要だが、それにしても非効率的でパフォーマンスが低すぎる……。システムとして評価するとかなり難しい。コンピューターサイエンスはたぶんもっと自由だし、「生産的」なことができるはずだ、と思った。
前近代的な経済を成長させるには「法の支配」が重要だ。必ずしも民主主義である必要もなく、たぶん国民国家である必要もなく、法がある一定程度機能し、資本主義が成立するレベルに達すればいい。インドネシアのような新興国には「いい政府」が必要であり、私は外国人としてそれができることを応援していたし、いまもしている。
多くの地域で政府が「刀狩り」のようなことをする時期がある。暴力に関しては今のところ、集中は分散に勝る。高度経済成長期のように政府の公共投資と民間の成長が好循環を生む期間はある(ケインジアンにとって誇らしい時代だったろう)。
ただし、経済が成熟した後、われわれは政府に頭を悩ますことになる。新しい時代に対応できない、権威を帯びた巨像を抱えることになるからだ。
政府がなくなればいいと決していっていない。おそらくこの二つをやるものとしてコンパクトになればいい。
- 暴力の集中(独占)
- ユニバーサル・ベーシック・インカム
これらも分散型で動かされるべきだ。なぜなら、利権は社会に対して最大の利益を生み出すことがとても苦手だからだ。
いまの国家や政府のあり方もほんの少し前にちょいちょいとつくった。国家はシステムにすぎないのだから、柔軟な発想でつくるべきだ。設計思想の一部に重大な難点を抱えていることを認めよう。例えば、ナショナリズム、各セクションの自己目的化、政府自体の利益集団化、コスト・パフォーマンスの低さなどがある。それ自身が欲望を持たないシステムが好ましい。となるとマシーンと人間のサイボーグになるだろう。
多くの利益集団を潤している長ったらしい法律をコンパクトにし、基礎的な法律と人間が直接コンタクトできるようにしたい。スマホでカジュアルゲームをやるように法律との整合性を個人が確認できれば、政府のさまざまなセクションと中間者に上前をはねられないので、サービスがスマートになる。
政府を効率化しコンパクトになった部分も価値を凝縮する。暴力と資源再分配を運営するコンパクトな政府を含む分散協調型アーキテクチャのなかで、われわれ個人はもっと楽しく暮らすことになればいい。大事なのは政府そのものではなく、政府がもたらすと期待されるパフォーマンスの方なのだ。
カイシャのなかのポーカーゲームが潮時の理由
1
ジョージ・アカロフのレモン市場のことはよく考えている。デジタルマーケティングのアナリストをやるってことは、与えられた情報がレモン(ダメな中古車)かどうか見抜く闘いだ。ぼくのアルゴリズムは常に正しい情報の選り分け方の最適化をめざしている。
アカロフ(イエレンの旦那ね)が指摘するように中古車を買う側はかなり不利なんだ。この不利さがもたらすタフさにぼくは魅了されている。でも、最近は退屈をし始めた。なぜなら、いいときは相手のカードを全部暴けるかもしれないが、実際は相手に嫌な思いをさせるのはよくないのだ。
2
ドンキホーテってすごい興味深い。これもレモンを見抜く最高の訓練の場だと思う。あそこは安そうに見えて、実際には安いものは一部だけだ。ポップや狭くてぎゅうぎゅうの陳列はバイヤーの判断大いに誤らせるだろう。なんか買いたくなっちゃう、はずだ。
3
ぼくの最寄り駅の電鉄系スーパーは不当に高い。ぼくは一人でこっそり「タックススーパー(税金スーパー)」と呼んでいる。どうせこういう冗談はあんまウケないから誰にも話していないのだが。
ここは新婚の中間層が格好をつけてマンションを割高で買う街だけど、日用品でも電鉄系コングロマリットに絞り取られるのはかなりエグいと思う。しかし、抜け穴があるらしい。皆さん車を10分ほど走らせて街道沿いの業務用スーパーに行っているようだ。そこは目玉が飛び出るくらい安いらしい。
ぼくの職場の近くのイオンの小型店舗は何でもかんでもかなり安い。渋谷という地理条件はあのマンション街より遥かに価値が高い。そこからもう少し行くと日本でも有数の富裕な街になるというのに、そのスーパーのが断然安い。
情報(価格もそうだよね)は常に偏在している。
4
20世紀型の組織は、組織内に情報の非対称性をもっている。ランクが上がっていくごとに情報優位になっていくものだ。分かりやすいのは国民国家で、国民の多くは本当の情報は与えられず、レモンをもとに多くの義務やタックスを課せられる。
5
おそらくこの構造は、組織の機能を損なうし、人間のちからを十二分に発揮させない。
こんな感じの弊害がある。「倍返しだ」ドラマを観ると一目瞭然だろう(観たことないけど)。
なので新しい組織の形が必要だと思う。既存のものを変えるより、新しいものを作ったほうが早い。政府というタテとヨコに情報の非対称性が広がる組織を取材していた身としては、構成員(特に男性だよね)が正当性のない権力を得ようと情報のせき止めをしようするところには、容赦なくマシーンに働いてもらうべきだと思う(若かろうが老いていようが人は老害になれる)。
人間は人間のいい部分を活かす場で活躍するべきだ。だからぼくは文系だけどAIとかブロックチェーンに興奮してしまう。これらは「個人」にとって多くの課題解決の可能性であり、「既存の組織」が陥る循環的矛盾から解脱する方法だ。僕は自分が個人であることを最も重視しているから、そう信じたい。
「悪い既得権」を手放したくするには山火事が必要なのか
既得権ってすごい難しい問題だ。一度利得を生み出す仕組みができれば、なんでもかんでも「既得権」と呼べる。
いい既得権と悪い既得権があると思う。
何かを変えることが必要なときに、障害となるのが「悪い既得権」だとしよう。とても幸運なことに変化の早い時代に生まれた(われわれの数世代向こうはよりアグレッシブな時代をくらしているのだろうか)。常に仕組みをゼロから作り直すことが求められる。Googleができたのは1998年、Facebookは2004年だけど、彼らは10年ちょっとで時価総額で石油会社を追い抜いているわけだ。つまり「悪い既得権」が生じやすい時代なのだ。
既得権の持ち主はすべからく、既得権の正当化に力を注いでいる。既得権を手放してもらえば、より大きな価値を生めるとき、どうやれば、それを手放してもらえるか。
それよりも魅力的な権益を渡すことだ。喜んで既得権益を手放すだろう。机の上の計算では。
しかし、人間の判断は歪んでいる。実際には何かうまいものを食べている時、人は往々にしてもっとうまいものに頭がまわらないものだ。人間の損得勘定は独特であり、さらに損得勘定とは別のさまざまな尺度を同時に複合的に使っている。
異文化の中で暮らしたインドネシアでの5年間の取材で、私は本当にそう感じた。日本人の私には理解のできない(だんだん身体で理解できるようになった)判断が人々によってくだされるのだ。
それは日本でも感じる。日本の場合は、リスクと不確実性のスコアリングがかなりマイナスに働いていると思う。リスクと不確実性が含まれているケースに直面すると、多くのプレイヤーがとても慎重な判断を下す。これは裏返すと既得権益の保持のスコアリングが高くなることを意味する。プロスペクト理論のひとつの端的な例を示していると思う。
これは、カイゼンがやめられないことにも関係していると思う。カイゼンはじわじわと足し算するイメージをもっていると思う。マイナスを生まないようにみえるし(おそらく純粋な足し算ではない)、周りは評価するし、マイナス嫌いの人からボコボコに叩かれることもない。そう、おそらく日本の組織にいる限り、カイゼンはものすごく奨励されるアプローチであり、もうそれ以外の選択肢はない、といってもいい。
つまり、組織におけるリスクと不確実性のスコアリングの基準が変動すればいいんだ。「リスクテイカーかっこいい!」という感じのマインドになればいい。でも、これって黒船が来れば日本は変わるって言っているのと変わらないのか。山火事のような生態系を一変させる出来事が。
競馬という必敗ゲームを考察することは意外に退屈じゃない理由
昨年末と今年2月に二度、会社の愛好会で競馬に行った。自分なりに課題を持って、競馬に行ったので、覚えているうちに整理しておきたい。
まず、中央競馬の控除率(テラ銭)が25%だ。例えば、100万円の賭金が集まるとなると、中央競馬は75万円の配当でオッズを組む。参加者は賭けをずっと繰り返していくと0.75×0.75×0.75.....ほど損をすることになる。だから競馬で勝とうとは思わない方がいい。
私は8000円×2回賭け、配当が13600円なので、回収率85%、15%の損失であり、今のところ平均を上回っている。
仮にこのゲームで勝つなら、それは市場の歪みをつくことになる。
- 自分の賭けが当たる確率が高いと思われる
- 群衆が大きく出走馬の評価を「誤っている」と推測され、オッズのバランスがおかしいと思われる
リスクとリターンが基準を満たした時に賭けるという古典的な戦略だ。さまざまなバランスがある。例えば、確率が比較的低いと推測できても、超ローリスク、超ハイリターンなら是非試したい。
もし、素晴らしいバランスの「おいしいゲーム」が存在し発見できるなら、そのゲーム以外は切り捨てしまえば、回収率は向上するはずだ。
ネックは確率だ。レース前に確率を予測するのは不可能というしかない。勝敗に関与する要因がとても多いからだ。ということは、ランダムなものに対してどう方策を立てるかが問題になる。
確率を高める方策としては、特定のレース条件に特化して分析するのはどうだろうか。「東京芝2400メートル・4歳以上」など顕著な傾向が出やすい条件を選んで、そこだけに賭ける。
ウォーレン・バフェットもおそらくこうやって勝てる可能性の高い投資だけを選んだおかげで、金持ちになったんじゃなかろうか。
さてさて。
でも、このゲームに首ったけになるか。人間なので、何かをつくりたいという欲望がある。お金はバーチャルなものだと、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグ、クラスになれば思うだろう。競馬のことを考えると、バーチャルに感じられる
隣の女子高生が、大きな教訓を与えてくれる件
モザンビークのモバイルバンキングは作りかけからよりゼロからイチの方が簡単だと教えてくれる
デスクトップで記事を書いている途中で、停電が起きた。記事はほとんど完成していたが、不運にもデータは残っていなかった。私は最初、失った内容を復元することにかけた。しかし、記憶は意外にうまく集まってこない。私は方向転換し、ゼロから記事を再構築した。すると、失ったものよりも格段に質の高いものができた。クソっと思っていたのは感情の方で、思考の方は一度できたものをほどいたおかげで、新しい挑戦をすることができた、と気づいた。
何か新しいものつくるときは、既存のものがないほうがいいことがある。一度頭のなかにマインドセットをもつと、それを解きほぐすのが難しくなる。このときは停電がそれを教えてくれた。だから、何回もつくっては、壊してを繰り返していく方が得てして、素晴らしい解に到達することになるのだ。
ひとつの考え方にとらわれて抜けられなくなると、進歩は止まる。進歩が止まると、その固定化した考えをもつことを人にも求め、自分が世界から置いていかれないようにする。これは自己利益の最大化を目指す合理的な個人としてはなかなかいい策だ。しかし、コミュニティという視点で考えると、自分自身の考えの枠組みを定期的にバラす機会を常に設けておき、また周囲のそのような挑戦を支援することが大事だ。そうすると、コミュニティは活性化し、新陳代謝が良くなっていく。それは回り回ってその人の社会的地位が高まっていく。
これはインターネットの仕組みに酔いしれた人が好む社会のあり方かもしれないが、内田樹は伝統的な場所にもそれがあったとしている。もとをただすならレヴィ・ストロースだ。一部の人々はこういう考え方が好きだ。
さて、話を戻そう。何が言いたいかと言うと、何か新しいものを作るときに既存のものがないほうがいい場合が多いということだ。
https://finolab.jp/interview/africa-mozambique-mobilebank-nbf/
この記事によると、日本のベンチャーがモザンビークの自給自足が成り立っている農村社会に、モバイルバンキングをつくろうとしている。現金よりも彼らのニーズにかないそうらしい。モバイルバンキングから貨幣の体験を始める人がいるということだ。
この先行例にはケニアのM-PESAがある。M-PESAはアフリカのものすごいロールモデルになる。それから中国のアリペイ、Wechatのモバイル決済は富裕国の先例から突き抜けている。やっぱり、ゼロイチの方が早い時代なのだろうか。それにやっぱり世界はぜんぜんひとつじゃないみたいだ。そう考えるととてもわくわくする。