デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

人から馬鹿に見えることが合理的な理由

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この動画茂木健一郎が望ましい困難(Desirable difficulty)に言及している。望ましい量の困難がパフォーマンスを長期的に向上させる。

<自分なりの要約>灘中→灘高→東大理三は特定の最適化の産物である。完全情報ゲームのなかで一番うまく動けることと、不完全情報・ダイナミック・カオスな現実のなかで上手くやることは決定的に違う。イーロン・マスク他人からバカに見えるけど実際には頭がいいことがもっとも価値が高いと言っている(下図)。「天才」とはIntelligenceとFoolishを掛けあわせたもの。Think outside boxがとても重要だ。

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人工知能研究で有名な、松尾豊准教授によると、人工知能が成長する秘訣は、ロバスト性。ノイズを加える、コネクションを外すなど、いじめることによる「ロバスト性(強靭さ)」が重要だった。ぐらぐらの柱では2階建てにならない。 ロバスト性を高めるには、計算機パワーが必要だった。いまのマシンスペックでもGPUを使って100台並列とかで、ようやく精度が上がる。

たぶん、インド出身のインド人が米国IT業界で成功していることは一例になると思う。人口が超多い国で、超競争が激しい社会。インド工科大に入学するほんの一握りに選ばれ、海を渡る(成功するしかない)。

暗記能力を評価するのはやめよう

それに比べ、進学校→大学→大企業という構造の中で育った知性は、構造の中に最適化したものに過ぎない。未来だったり日本の外だったりそういうのところに出ると途端に弱い。ぼくは途中までその中にいて、長い間、教科書か教師の言葉を繰り返すつまらない秀才たちとうまくハマらなかった。

暗記力を評価し報酬を与える仕組みを変えないといけない。暗記したものは検索で出てくる。必要なのは、人が馬鹿だと思うことに集中して取り組む人間だ。日本はスタンドアローンな知性でい続けることが本当に辛い国だと思う。人々の同調性はとても高く、同調圧力に屈しやすく、「意識高い」となじる文化まであり、こういうのをうまく利用して他人を支配する権威主義者がごろごろいる(本当にくだらない)。

それでも羊でいるのは本当に退屈だと思う。それに飛行機に乗れば他の国にもいける。魔法はいずれとけるはずだし、もっと他人からバカだといじめられて、よりロバスト性の強い人間になった方が、単純に人生が楽しいはずだ。

Image via Torley

 

 

分散協調型、巨大なトレンド

コンピューティングは分散協調型のアーキテクチャに向かっていると思う。クラウドという集中型の仕組みが、デバイスやその近辺のAIにより分散化していくことになる。テクノロジー大手が人工知能のスタートアップと研究者を買い漁るのはこのためだ。

インターネットはクライアント・サーバーという主従が決まっている仕組みで始まったが、いまやデバイスとデバイスが会話するというビジョンを目指している。Googleのスンダー・ピチャイが語るのは「デバイスの消失」だ。つまり、われわれがデバイスをがちゃがちゃいじるのではなく、AIがアシスタントとしてわれわれに便宜を図るようになるということだろう。

この分散協調型コンピューティングは個人の力を拡張するという結果も生むだろう。AIとブロックチェーンというトレンドは大きくそれを物語っている。アーキテクチャとアプリケーションの大変化はわれわれの生活も一気に変えるはずだ。われわれの生活のほとんどが「接続」されているし、接続はより深く濃くなっていく。自分に何ができるか、考えておきたい。

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http://interactioninstitute.org/connectivity-creates-value/

私がインドネシアの政治経済記者からデジタルマーケティングのアナリストに転向したのは、政府のような枠組みは社会の進歩の最初の一歩に過ぎないとわかったからだ。新興国を成長させるのに政府は重要だが、それにしても非効率的でパフォーマンスが低すぎる……。システムとして評価するとかなり難しい。コンピューターサイエンスはたぶんもっと自由だし、「生産的」なことができるはずだ、と思った。

前近代的な経済を成長させるには「法の支配」が重要だ。必ずしも民主主義である必要もなく、たぶん国民国家である必要もなく、法がある一定程度機能し、資本主義が成立するレベルに達すればいい。インドネシアのような新興国には「いい政府」が必要であり、私は外国人としてそれができることを応援していたし、いまもしている。

多くの地域で政府が「刀狩り」のようなことをする時期がある。暴力に関しては今のところ、集中は分散に勝る。高度経済成長期のように政府の公共投資と民間の成長が好循環を生む期間はある(ケインジアンにとって誇らしい時代だったろう)。

ただし、経済が成熟した後、われわれは政府に頭を悩ますことになる。新しい時代に対応できない、権威を帯びた巨像を抱えることになるからだ。

政府がなくなればいいと決していっていない。おそらくこの二つをやるものとしてコンパクトになればいい。

これらも分散型で動かされるべきだ。なぜなら、利権は社会に対して最大の利益を生み出すことがとても苦手だからだ。

いまの国家や政府のあり方もほんの少し前にちょいちょいとつくった。国家はシステムにすぎないのだから、柔軟な発想でつくるべきだ。設計思想の一部に重大な難点を抱えていることを認めよう。例えば、ナショナリズム、各セクションの自己目的化、政府自体の利益集団化、コスト・パフォーマンスの低さなどがある。それ自身が欲望を持たないシステムが好ましい。となるとマシーンと人間のサイボーグになるだろう。

多くの利益集団を潤している長ったらしい法律をコンパクトにし、基礎的な法律と人間が直接コンタクトできるようにしたい。スマホカジュアルゲームをやるように法律との整合性を個人が確認できれば、政府のさまざまなセクションと中間者に上前をはねられないので、サービスがスマートになる。

政府を効率化しコンパクトになった部分も価値を凝縮する。暴力と資源再分配を運営するコンパクトな政府を含む分散協調型アーキテクチャのなかで、われわれ個人はもっと楽しく暮らすことになればいい。大事なのは政府そのものではなく、政府がもたらすと期待されるパフォーマンスの方なのだ。

 

カイシャのなかのポーカーゲームが潮時の理由

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ジョージ・アカロフレモン市場のことはよく考えている。デジタルマーケティングのアナリストをやるってことは、与えられた情報がレモン(ダメな中古車)かどうか見抜く闘いだ。ぼくのアルゴリズムは常に正しい情報の選り分け方の最適化をめざしている。

アカロフ(イエレンの旦那ね)が指摘するように中古車を買う側はかなり不利なんだ。この不利さがもたらすタフさにぼくは魅了されている。でも、最近は退屈をし始めた。なぜなら、いいときは相手のカードを全部暴けるかもしれないが、実際は相手に嫌な思いをさせるのはよくないのだ。

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ドンキホーテってすごい興味深い。これもレモンを見抜く最高の訓練の場だと思う。あそこは安そうに見えて、実際には安いものは一部だけだ。ポップや狭くてぎゅうぎゅうの陳列はバイヤーの判断大いに誤らせるだろう。なんか買いたくなっちゃう、はずだ。

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ぼくの最寄り駅の電鉄系スーパーは不当に高い。ぼくは一人でこっそり「タックススーパー(税金スーパー)」と呼んでいる。どうせこういう冗談はあんまウケないから誰にも話していないのだが。

ここは新婚の中間層が格好をつけてマンションを割高で買う街だけど、日用品でも電鉄系コングロマリットに絞り取られるのはかなりエグいと思う。しかし、抜け穴があるらしい。皆さん車を10分ほど走らせて街道沿いの業務用スーパーに行っているようだ。そこは目玉が飛び出るくらい安いらしい。

ぼくの職場の近くのイオンの小型店舗は何でもかんでもかなり安い。渋谷という地理条件はあのマンション街より遥かに価値が高い。そこからもう少し行くと日本でも有数の富裕な街になるというのに、そのスーパーのが断然安い。

情報(価格もそうだよね)は常に偏在している。

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20世紀型の組織は、組織内に情報の非対称性をもっている。ランクが上がっていくごとに情報優位になっていくものだ。分かりやすいのは国民国家で、国民の多くは本当の情報は与えられず、レモンをもとに多くの義務やタックスを課せられる。

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おそらくこの構造は、組織の機能を損なうし、人間のちからを十二分に発揮させない。

  1. 集合知が使えない
  2. まずい人が情報優位を利用して他者を支配しようとする
  3. 組織の目的を達成することよりも、仲間より情報優位にたつための争いを始める
  4. 若いヤツがヤル気を失くす
  5. 実力主義が機能しない

こんな感じの弊害がある。「倍返しだ」ドラマを観ると一目瞭然だろう(観たことないけど)。

なので新しい組織の形が必要だと思う。既存のものを変えるより、新しいものを作ったほうが早い。政府というタテとヨコに情報の非対称性が広がる組織を取材していた身としては、構成員(特に男性だよね)が正当性のない権力を得ようと情報のせき止めをしようするところには、容赦なくマシーンに働いてもらうべきだと思う(若かろうが老いていようが人は老害になれる)

人間は人間のいい部分を活かす場で活躍するべきだ。だからぼくは文系だけどAIとかブロックチェーンに興奮してしまう。これらは「個人」にとって多くの課題解決の可能性であり、「既存の組織」が陥る循環的矛盾から解脱する方法だ。僕は自分が個人であることを最も重視しているから、そう信じたい。

 

「悪い既得権」を手放したくするには山火事が必要なのか

既得権ってすごい難しい問題だ。一度利得を生み出す仕組みができれば、なんでもかんでも「既得権」と呼べる。

いい既得権と悪い既得権があると思う。

何かを変えることが必要なときに、障害となるのが「悪い既得権」だとしよう。とても幸運なことに変化の早い時代に生まれた(われわれの数世代向こうはよりアグレッシブな時代をくらしているのだろうか)。常に仕組みをゼロから作り直すことが求められる。Googleができたのは1998年、Facebookは2004年だけど、彼らは10年ちょっとで時価総額で石油会社を追い抜いているわけだ。つまり「悪い既得権」が生じやすい時代なのだ。

既得権の持ち主はすべからく、既得権の正当化に力を注いでいる。既得権を手放してもらえば、より大きな価値を生めるとき、どうやれば、それを手放してもらえるか。

それよりも魅力的な権益を渡すことだ。喜んで既得権益を手放すだろう。机の上の計算では。

しかし、人間の判断は歪んでいる。実際には何かうまいものを食べている時、人は往々にしてもっとうまいものに頭がまわらないものだ。人間の損得勘定は独特であり、さらに損得勘定とは別のさまざまな尺度を同時に複合的に使っている。

異文化の中で暮らしたインドネシアでの5年間の取材で、私は本当にそう感じた。日本人の私には理解のできない(だんだん身体で理解できるようになった)判断が人々によってくだされるのだ。

それは日本でも感じる。日本の場合は、リスクと不確実性のスコアリングがかなりマイナスに働いていると思う。リスクと不確実性が含まれているケースに直面すると、多くのプレイヤーがとても慎重な判断を下す。これは裏返すと既得権益の保持のスコアリングが高くなることを意味する。プロスペクト理論のひとつの端的な例を示していると思う。

これは、カイゼンがやめられないことにも関係していると思う。カイゼンはじわじわと足し算するイメージをもっていると思う。マイナスを生まないようにみえるし(おそらく純粋な足し算ではない)、周りは評価するし、マイナス嫌いの人からボコボコに叩かれることもない。そう、おそらく日本の組織にいる限り、カイゼンはものすごく奨励されるアプローチであり、もうそれ以外の選択肢はない、といってもいい。

つまり、組織におけるリスクと不確実性のスコアリングの基準が変動すればいいんだ。「リスクテイカーかっこいい!」という感じのマインドになればいい。でも、これって黒船が来れば日本は変わるって言っているのと変わらないのか。山火事のような生態系を一変させる出来事が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

競馬という必敗ゲームを考察することは意外に退屈じゃない理由

昨年末と今年2月に二度、会社の愛好会で競馬に行った。自分なりに課題を持って、競馬に行ったので、覚えているうちに整理しておきたい。

まず、中央競馬控除率(テラ銭)が25%だ。例えば、100万円の賭金が集まるとなると、中央競馬は75万円の配当でオッズを組む。参加者は賭けをずっと繰り返していくと0.75×0.75×0.75.....ほど損をすることになる。だから競馬で勝とうとは思わない方がいい。

私は8000円×2回賭け、配当が13600円なので、回収率85%、15%の損失であり、今のところ平均を上回っている。

仮にこのゲームで勝つなら、それは市場の歪みをつくことになる。

  • 自分の賭けが当たる確率が高いと思われる
  • 群衆が大きく出走馬の評価を「誤っている」と推測され、オッズのバランスがおかしいと思われる

リスクとリターンが基準を満たした時に賭けるという古典的な戦略だ。さまざまなバランスがある。例えば、確率が比較的低いと推測できても、超ローリスク、超ハイリターンなら是非試したい。

もし、素晴らしいバランスの「おいしいゲーム」が存在し発見できるなら、そのゲーム以外は切り捨てしまえば、回収率は向上するはずだ。

ネックは確率だ。レース前に確率を予測するのは不可能というしかない。勝敗に関与する要因がとても多いからだ。ということは、ランダムなものに対してどう方策を立てるかが問題になる。

確率を高める方策としては、特定のレース条件に特化して分析するのはどうだろうか。「東京芝2400メートル・4歳以上」など顕著な傾向が出やすい条件を選んで、そこだけに賭ける。

ウォーレン・バフェットもおそらくこうやって勝てる可能性の高い投資だけを選んだおかげで、金持ちになったんじゃなかろうか。

さてさて。

でも、このゲームに首ったけになるか。人間なので、何かをつくりたいという欲望がある。お金はバーチャルなものだと、ビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグ、クラスになれば思うだろう。競馬のことを考えると、バーチャルに感じられる

隣の女子高生が、大きな教訓を与えてくれる件

移動中、急ぎ対応ができてカフェに行った。隣の席はキャピキャピの女子高生2人組だった。心頭を滅却したけれども、話が耳から入ってくる、入ってくる笑。ただし、言葉がもう、分からない。全部暗号のようだ。

まったくやってられないな、と思ったが、気合を入れ直して、楽しいぜ、と考えることにした。

まず、新しいものを「けしからん」と言い始めると、人間としての変化の「終わりの始まり」だ。あと不快なことを遠ざけるようになっても同じことだ。

今日はカイゼンの向こうに行こうという話を聞いた。そう思う。カイゼンは80年代に日本を一番にした。でも、カイゼンは閉じられた円なのだ。

囲碁では特定の箇所だけに石を置けない。塊の遠くに石を置くことが常に求められている。そういうアナロジーで理解しようと思う。

さあ不快なことをばんばんやろう。

モザンビークのモバイルバンキングは作りかけからよりゼロからイチの方が簡単だと教えてくれる

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デスクトップで記事を書いている途中で、停電が起きた。記事はほとんど完成していたが、不運にもデータは残っていなかった。私は最初、失った内容を復元することにかけた。しかし、記憶は意外にうまく集まってこない。私は方向転換し、ゼロから記事を再構築した。すると、失ったものよりも格段に質の高いものができた。クソっと思っていたのは感情の方で、思考の方は一度できたものをほどいたおかげで、新しい挑戦をすることができた、と気づいた。

何か新しいものつくるときは、既存のものがないほうがいいことがある。一度頭のなかにマインドセットをもつと、それを解きほぐすのが難しくなる。このときは停電がそれを教えてくれた。だから、何回もつくっては、壊してを繰り返していく方が得てして、素晴らしい解に到達することになるのだ。

ひとつの考え方にとらわれて抜けられなくなると、進歩は止まる。進歩が止まると、その固定化した考えをもつことを人にも求め、自分が世界から置いていかれないようにする。これは自己利益の最大化を目指す合理的な個人としてはなかなかいい策だ。しかし、コミュニティという視点で考えると、自分自身の考えの枠組みを定期的にバラす機会を常に設けておき、また周囲のそのような挑戦を支援することが大事だ。そうすると、コミュニティは活性化し、新陳代謝が良くなっていく。それは回り回ってその人の社会的地位が高まっていく。

これはインターネットの仕組みに酔いしれた人が好む社会のあり方かもしれないが、内田樹は伝統的な場所にもそれがあったとしている。もとをただすならレヴィ・ストロースだ。一部の人々はこういう考え方が好きだ。

さて、話を戻そう。何が言いたいかと言うと、何か新しいものを作るときに既存のものがないほうがいい場合が多いということだ。

https://finolab.jp/interview/africa-mozambique-mobilebank-nbf/

この記事によると、日本のベンチャーモザンビークの自給自足が成り立っている農村社会に、モバイルバンキングをつくろうとしている。現金よりも彼らのニーズにかないそうらしい。モバイルバンキングから貨幣の体験を始める人がいるということだ。

この先行例にはケニアM-PESAがある。M-PESAはアフリカのものすごいロールモデルになる。それから中国のアリペイ、Wechatのモバイル決済は富裕国の先例から突き抜けている。やっぱり、ゼロイチの方が早い時代なのだろうか。それにやっぱり世界はぜんぜんひとつじゃないみたいだ。そう考えるととてもわくわくする。

 

 

いまのところ、人的投資>金融投資

会社が諸費用すべてを投じてMBAを取得させたら、その人が会社を辞めてしまった、という話はよくある。人的投資は投資対象が属人的である。だから企業、役所が、従業員にそれを与えるのには一定のリスクが付きまとう。

なので、すでに投資された人材、つまりスキルを身につけた人材を採用するほうが、理に叶うかもしれない。そういう人材の多くは自分の労働市場における価値に敏感なので、雇うのにまあまあコストを伴う。しかし、サービス業が主役のこの世界では、人材は重要な差別化要因だ。だから選択の余地はない。

How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス)  ―私たちの働き方とマネジメント

How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス) ―私たちの働き方とマネジメント


スマートクリエイティブを獲得し、社内で気持ち良く働いてもらうことにGoogleは取り組んでいる。この本を読んで自分が抱えている課題を考え始めた。

それは、自分の可処分所得をどれだけ自分への投資に振り向けるか、だ。自分への投資は、自分でコントロールできるので、いつ辞めるか分からない幹部候補の若者よりも合理的だ。

人的投資を増やすと金融商品への投資が薄くなる。トレードオフだ。私は高い収入を稼いでいるわけではないので、これは悩ましい。金融商品への投資によりある一定の資産をもてば、自分の人生でやれることの選択肢が広がる。

人的投資は労働市場での価値の向上だったり、もっと広い意味で、自分の人生の指針の改定をもたらしたりもしてくれる。

いろいろ考えてこんな結論にたどり着いた。

  1. 投資が現実的な利益と自分が据えた目標に、素晴らしいバランスで寄与するように、自分への投資を設計する。
  2. 現行は金融商品よりも人的投資を優先する。金融商品への投資は、扱う金額により成果が左右されがちだが、人的投資はうまくはまれば、短期的にでも成果を引き出しやすい
  3. 1,2をうまく前に進めるため感情と健康を重視する。
1は微妙なバランスの変化があるので、常にチェック、調整が必要だと思われる。

メディアの理系/文系問題

駒沢大学駅の書店に行った。探している本は見つからなかった。その書店にはサイエンスのコーナーがないからだ。手に入れるには、ジュンク堂ブックファーストなどの大型の書店に行かないと難しい。

メディア業界にいるが、この世界はとかく文系だらけだ。私も文系の学部を卒業している。

テクノロジーが生活に浸透し、文理分けられる時代は終わった。これから我々の生活は一気に変わっていくだろう。

この状況は文系に変化を迫っている。それが、難しい反応として出ちゃうことはある。認知の外にあることには攻撃的になってしまう、そのわかりやすい例は小保方さんの問題だ。

確かに小保方さんがしたことは、かなりヤバいことだった思われる。ただし、小保方さんは反論をしているし、彼女が責任のすべてを被せられたとも主張しているようだ。

それはさておき、なぜあそこまで残酷な非難が浴びせられたのだろうか。いくつも要因は考えられるが、そのひとつが文系/理系問題だった気がする。そういうニュースルームの様子が目に浮かぶ。

報道の現場には、定式化された情報の扱い方が存在する。業界が長いほど、そのフレームの外で情報を捌くことに頭が回らなくなる。というか、報道だけじゃなくて、まとめ系、バイラル系、ブログ系のメディアも似たようなフレームを使いまわしすぎている。

同じフレームで処理し続けるだけならば、機械学習が簡単に取って代わることができる。スポーツの結果速報を自動で記事化するマシンは存在する。

もし、自分が人間としてさまざまな問題を並列的に処理できることを示したいなら、大切なのは、目の前の事象への複眼的なまなざしであり、手に入れた知識を別のことに応用する力だ。情報とはひとつひとつ異なるものであり、ライン作業のように捌いちゃいけない。

日本でも、インターステラのような映画が撮られるようになればいいな、と思う。

日本という高齢化社会で高齢者と若者が仲良くなるために:オールドマネーがスタートアップを育てるとき

 

Day 21 Occupy Wall Street October 6 2011 Shankbone 16www.flickr.com

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2007-2008年の世界金融危機の後は、世界中で高齢者と若者の断裂が起きてしまった気がする。一番分かりやすい指標は若者の失業率だ。欧州では常軌を逸したレベルに達し、米国でも最近回復したが、かなり厳しい水準だった。

Unemployment, youth total (% of total labor force ages 15-24) (modeled ILO estimate) | Data | Table


source: tradingeconomics.com

若者の失業が深刻なスペインは、回復基調だけど20.9%。
 
欧州の若者たちの状況についてはこのポストで触れた。若者は高齢者が仕事を独占しているから、若者にパイが回ってこないと考えている。若者と高齢者のゼロサムゲーム、という世界観だ。
日本では、若年層の完全失業率は7%と諸外国より低い水準だが、全体の失業率よりも高い水準にあるのは確かだ。また若者の間で増えている非正規雇用は、正規との間に深刻な利益の対立を生んでいる。労働組合はかなり限定された人々を代表するだけではなく、そもそもが御用化しているケースが多い。政権が圧力をかけても春闘は盛り上がらない。

 

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日本には高齢者と若者の仲が悪くなる要因がたくさんある。収益力と創造性を失った会社を無理矢理「国策」として蘇生させるお国柄だ。がんじがらめで何も変わらないし、フィンテックのような新規領域では馬群の後方を走ることになれてしまった。そうなってくると、縮小する経済の中でのゼロサム(マイナス)ゲーム的世界感が首をもたげてくる。相手を椅子から引きずりおろして自分のパイを確保するというふうな。

 

若者にとって愉しくない点はこんな感じだろうか。

①国の莫大な借金を返済するのが若者だということ

②年金制度も現在の受給者にとってはおいしいが、若者からみると、すでに破綻していること
正規雇用の割合が親世代に比べ低下しており、平均賃金の漸減がみてとれる。 
米国や新興国では、結婚、住宅の購入などのイベントを控えるミレニアル世代が消費の中心を担うが、日本ではこの世代はあんま金を持たず消費を控えている。若者の懐が温まらず、消費日和でも金を貯め込む傾向があるなら、日本の個人消費が長期的に低迷する可能性は高い(そもそも人口が減る)。
 
まあ、これはダウンサイドばかりじゃない。消費に夢を抱かないせいで、古典的な消費に拠らない新しいカルチャーは生まれつつあるし、どんどんアップデートできると思う。
 
ただし、格差は政治的歪みの土壌になりうる。欧州の極右やフーリガンの構成員は低所得者が主だし、ドナルド・トランプの支持者は所得水準が低めの白人男性がコアだ。日本でも極右的な情報でネット空間で勝利を収めているのは、人より柔軟に時間を使える立場の男性なのではないだろうか。彼らは発する情報量が圧倒的でネット上の情報流通について精通しており、受け手に対する相当量の接触頻度(フリクエンシー)を確保できる。
 
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しかも、これからはロボットと人工知能が人間の仕事を奪う時代になるかもしれない。分配がうまくなされれば、人間の代わりにロボットが働き、人間は休めるが、果実は少ない人間が噛みしめる可能性が高い。グーグルとトヨタ自動車の従業員数を比べてみれば明白だ。
 
じゃあどうすればいいのか。自動化した後は次々に新しい領域を切り開いて、自分の働く場所を自分で生み出さなくてはいけなくなるだろう。
 
もちろん、ゾンビは退場をせまられるだろう。千年企業だって? とんでもない!! 企業の寿命は30年くらいでいいかも。莫大な個人資産を預かる銀行や指導する政府は資金の置き場所を大きく誤っているのだ。堀江貴文が言うように、企業ではなくプロジェクトという形で物事を進めるのも有用だろう。組織の目的が明確になる。
 
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つまり、日本は新しいことががんがん始まる仕組みを創らないといけない。ここで活きてくるのが、高齢者が貯めている莫大な貯蓄だ。貯蓄は国債を買い支えるために使われているが、これをベンチャーキャピタルの原資にすれば、世界でも類をみない、イノベーションの経済的基盤を作ることができる。
 
スタートアップは若者を雇用せざるを得ない。多数のスタートアップが潰れて雇用が霧散したとしても、建設が生み出す雇用と似たようなものになるだけだ。100分の1が大きく育てば、恒常的に雇用や税をもたらしてくれる。
 
 
世界経済が余談を許さない中、各国で財政政策は今後も必要になる。財政政策はいま、何をやればいいのかわからない。新国立問題で分かるように必要のないものをつくらざるを得ないし、建設作業員の確保も大変になっている。財政政策の一部もまたスタートアップ育成のエコシステム造りに振り向けるのはどうだろう。公共事業の次の役割は、新規産業の創出だ。つまり投資である。
 
それから、GPIFのポートフォリオの一部もベンチャーキャピタルにすればいい。正直自分の世代が年金をもらえるとは思っていないから、もっと創造的で、若者の雇用に繋がる投資に向ければいい。このジャイアントの一欠片でも、スタートアップ界隈に注ぎこまれるなら、山が動いた、って感じになる。
 
高齢者世代が、抱き込んだ財産を次世代に投資するなら、若者と高齢者の間の崖はなくなるだろう。どころか、高齢化社会の乗り越え方として、新しいモデルを世界に示せるだろう。
 

プロパテック、不動産のテクノロジーのススメ

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大手企業の地下の飲食街で油そばを食った。これって原価安いよなーと思ったけど、健康そうなネーミングに騙され、野菜油そばを頼んだ。800円、店側の利幅をさらに広げたわけだ。

 
周りの一流企業社員と思しきおじさん方は、650円の油そばを食べていた。彼らはメニューの利益構造を見抜いているのかもしれないし、資本主義マスターで消費を少しでも減らして、投資するというマインドの持ち主かもしれない。
 
でも、ぼくの妄想はこう思った。
 
ーー皆、住宅ローンで首が絞まっているんじゃないのかーー
 
2
 
フィンテックが注目されている。
未来を楽観的に捉えると、こういう変化を起こしてほしい。
・クレジットカード手数料の存在しない、シームレスな決済が生まれてほしい(もちろん、ATM手数料も)
マイクロクレジットがより広範に普及する契機になってほしい
・もし、決済が簡単になり、善意の第三者たるボットが資産管理を手伝ってくれて、善良なP2Pレンディングが簡単に利用できるなら、つまり金をめぐるストレスが柔らかくなるなら、人の金に関する考え方は変わるかもしれない。
 
有名な経済学の実証実験がある。周囲が2000万円稼ぎ、自分が1600万円稼ぐよりも、周りが800万円のなかで自分が1200万円稼ぐほうを好む人は多い(数字は適当)。
 
他人との相対的状況で満足感が変わるようだ。自分が年間1億円稼いでいるけど、隣に東京ドーム級の豪邸をもつ富豪は年間100億となると、もう我慢ならない。人間は業が深い生き物のようだ。
 
むしろ、金を、単に交換の媒介としてとらえ、天下のまわりもの、的に利用できるようなデザインが望ましい。金を手段に過ぎないものにしたほうが、人生は豊かだ。
 
もし自分が宇宙人だとする。すると、金って人類特有の貴重なシステムだ、と感心する。だけど、ウォーレン・バフェットとチャドの人々の間に深刻な差が生まれてしまうような社会ができた大きな要因になっている。カネの発する価値は、人の悪しき部分を増長する。なんか、おしいよな、金って、なかなか良く出来ているんだけど、と宇宙人は思う。
 
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先日参加した飲み会は年収トークで汚されていて、最悪だった。みんな、自分が他人よりもらっているかどうか、交際相手がどれくらい稼いでいるのかが気になってしょうがないみたい。
 
さらにある女性が言った言葉は震撼せざるをえないものだった。
 
ーーどんなマンション買いたい?
 
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ぼくは固定観念の強さを知っているので、その時は黙っていたけど、マンションはやはり難しい。
 
住宅ローンほどの多額で長期的な借金は家計のバランスシートをかなり圧迫する
・日本のように平均賃金が下降し、長期的なデフレ感のある経済環境では、リスクがある
・現行の住宅ローンは消費者に不利な仕組み
・購入した瞬間に数割減価する、投資先として好ましくない資産
東京オリンピック以降は、人口減社会なので、平均価格は落ちていく可能性あり
 
国内外の富裕層が欲しがる超高級物件は良い買い物になるかもしれないが、普通の人のものはそうではないのだ。
 
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リチャード・フロリダのクリエイティブ都市は創造的な人たちが集まって住むことの大切さをうたっている。シリコンバレーがそうだし、ミクロな例はトキワ荘だ。
 
そこで面白いことが起こっているとなったら、家財道具を捨ててでも移り住むのが、現代のクレバーな生き方だ。だったら、家財道具は共用にして、いつでもフレキシブルに動けるようにするのがいい。
 

 

 

 

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める

 

 

 

 

こういう生き方を可能にしたり、人生を20―30年のローンから開放したり、飲み会のマンショントークを封じたりするのが、プロパテック(Proper-tech)だ。これは、ぼくがたったいま考えた概念だ。
 
テクノロジーで不動産をもっと愉しくする、発想の転換で不動産をもっとわくわくするものにする、という話
 
何か面白いことができないか、考えてみよう。
それから、とりあえず引っ越したくなってきた。東京で一番クリエイティブな場所はどこだか、教えて、くれませんか???
 
 
 
 

デバイス情報は「シュレーディンガーの猫」の夢を見る:無数のプロセスとひとつの結果

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飲んだ後、ラーメンが食べたいと友人が言った。モバイルで探した。あ、これマイクロモーメントじゃん、とか思いながら。「買いたい」が生まれ、その欲望の達成のためにスマホを使う。いまやあらゆるDecisionの近くにスマホがある。
で、それには触れないで、様子をみていた。友達は食べログで入念に調べて、幾つかの候補を出し、良さそうなのに、決めた。友達の「買いたい」はGoogleの検索、食べログ食べログのページ、と動いた。食べログはその欲求の近くに便利な形でそっと寄り添った。
 
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その前の居酒屋を決めるまではもっとカオティックだった。街を歩き回り、あれにしようか、やめたを繰り返した。というか、「何が食べたいの、いやー特段ないね、あんま高くつくのは勘弁だよね、ていうか客引き多いな、客引きは罠の可能性を感じさせるよな」とグダグダだった。で、なんとなく通りすがりで店を決めた。
 
その店に行ったのはたまたまだ。
 
※この方法は多くの人から嫌われる印象だ。多数派にとって物事はこうこうこうであるべき、という想定(期待効用))が意味をなし、最低ラインを下回るとがっかり、あるいはキレる。ぼくはこういうケガをしないことはどんどんギャンブルしたい。不確実性こそ生き物としての喜びだ。
 
3
 
映画「Ex Machina」では、Avaという人間そっくりのアンドロイドのヒロインが出ている。主人公とヒロインともどもアンドロイドであることがほのめかされた、ブレードランナーを思い出す。
 
Googleっぽい巨大テック企業のCEOは、Avaの心を成長させるために世界中のスマートフォンのカメラを通じた情報を手に入れていると明らかにする。それはクレバーなやり方だ。そしてスマホを持つことで、自ら24時間の監視を可能にしている、というモバイルを使う人間の不安をかき立てることでもある。
 
そのCEOはスマホのデータで人間の感情をビルドアップできると信じているようだ。
 
 
  
4
 
今度はデバイスから得た情報をもとにしたターゲティング広告を検討しよう。David Sasakiは「『パーソナライズされた広告』はバカバカしい」と指摘している。Sasakiがニュースサイトで見せられた、パーソナライズされたストーリーがかなり彼の関心を外したものだった。ニュースサイトのレコメンドはデモグラフィックIPアドレスサードパーティデータを利用したものにもかかわらず。

Facebook and Twitter both allow advertisers to target based on a person’s location, demographics, interests, shopping habits, friends, employment, relationship status, political affiliations and more. So why do I see such crap, irrelevant advertisements?

Facebook,Twitterは位置、デモグラフィック、関心、ショッピング習慣、友人、職種、リレーションシップステータス、政治的態度などのデータに基づいたターゲティングを広告主に許容している。じゃあ、どうして、私は低品質で無関係な広告をみることになるのか。

medium.com

 
5
 
デバイスから得られる情報は限定的なものだ。もっと言えば、プロセスを失った結果に過ぎない。人間の行動が現れるまでにはプロセスがある。無数の可能性からそれを選んでいる。もし細かな粒のひとつが異なれば、結果の行動は違うことになる。
 
シュレーディンガーの猫と同じ状況に陥っている。
 

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Via Wikipedia

私たちは起こったことしか知らない。起こったことで世界は変わっているから、起こる前の世界については知らないままだ。起こったことからは、消え去った無限に近いプロセス、並列的な状況について詳しく知ることはできない。
 
6
 
将棋はシュレーディンガーの猫のような状況を考える最高のモデルだ。将棋は1手80手の選択肢がある。どんどん枝分かれしていく選択肢の向こうを予測して、最適なものを選ぶ。結果として現れるのはひとつだけど、結果として現れない、実現しなかった現実は莫大な数ある。プレイヤーの考えが少し変わったり、エアコンの調子が変わったりするだけで、結果は異なるだろう。
 
将棋は手番を交互にやるし、棋譜が残るので、容易に本譜ではない局面に遡って調べることができる。だったらすべてを解明できる気がするけど、実際にはわからないことだらけなのだ。王将戦第二局の終局直後、郷田王将はこう話している。「細かいところが分からなかったですね。ちょっとした違いで、すべて変わってくるので、考えた結果、よく分からなかったです」
 
7
 
行動を追うだけで人間の思考を再現できるとは言えない。行動だけでは人間は解明できない。あまりにも歯抜けだ。行動ターゲティングのような概念は本当に氷山の一角をみているようなものだ。
 
条件付けして、がっちり狭めて、やっと少し予測することができる。アマゾンやネットフリックスはその人が興味ありそうな作品群をまあまあ提案できる。でも、これらも人間を愚かにしている気もする。
 
でも、条件付けが奪われ、フリースタイルになると、こと居酒屋の選択ひとつとってもギャラクティックな動きを認められる。
 
行動に基づく人間へのアプローチはうぬぼれが過ぎるのだ。シュレーディンガーの猫に囚われている。ある特定の行動は、一つの結果に過ぎないからだ。スケールが小さい、細々とした勝ちゲームはあるかもしれないが、それはあんまり愉しくない、よな。
 
 
 
 

公的セクターと民間セクター二つでこの世界はできていない、と思う株安の週末

1

映画「ブラックスキャンダル」を先日みて、公的セクターについて考えてみた。

映画は昇進と私腹を肥やすために、ギャングと懇意になるFBI捜査官の話。

公的セクターの運営の成功は、歴史的にかなりでかかった。基本、政府は暴力を独占し、市場の失敗を補填し、開発期の経済を離陸させることができる。それは必ずしも、民主主義を完全に満たす必要はないのだ。法の支配さえあれば、開発独裁がうまく行くこともあるかもしれない。

しかし、公的セクターから腐敗を抜くのは難しいものだ。だから、アメとムチを使う。合法的で後ろ指を指されない役得を渡し、公僕にあらざるものには厳罰を課す。これを完璧に適用している国はないだろうが、多数派の良識的な公務員には一定の効果が望める。

ただ、公務員が階級化するとまずいかもしれない。アメを当然のものとみなすし、代々の襲名によって結ばれるきずなが、ムチを振るう手を弱める。高校の先輩の佐藤優の本を読んでいると、公的セクターへの不安が頭をよぎる。

2

公的セクターは物事を効率的に扱えない、あまりに硬直的で時代に対応できていないとリバタリアンから指摘されてきた。

政治記者をやっていた身としては、公的セクターは大事だけど、その点に関してはかばうことはできないかもしれない。

3

またプライベートセクターの多様化と膨張を目の当たりにしている。公的セクターの地位が相対的に低下している。投資銀行の乱痴気騒ぎの後片付けを国家がした、世界金融危機は、それを如実に語っている。

プライベートセクターの不確実さも半端ない。実体経済から遊離した要因に左右されながら、ホームレスマネーが世界を回遊していて、今週は株価がドカンと下がってしまった。おそらくこのバブル生成装置は、制御不能のレベルに達している。

それから企業のグローバルな活躍は、国家側の交渉力を落としている。企業はいくつかの国家をはかりにかけられるが、国家はそれを防ぐためにスクラムを崩さないようにしないといけない。スクラム自体穴ボコだらけだし、みなさんのエゴがスクラムを崩壊させる。

さらに公的セクターの血である税金もまた、タックスヘイブンのおかげで、どっとこぼれるようになった。税金を逃れ、賭場を飛び回るホームレスマネーは今のところ、各国政府の中央銀行が保証した紙くずに頼っている。でもこれが、ビッドコインのようなリバタリアンマネーにすり替わると、彼らは国家の大地から離陸する。ピンポンの窪塚洋介のように。

4

これを踏まえて国家が復権するべきとの議論がある。日本でもこの考え方から、20世紀風に上から下にナショナリズムが煽られた。つい最近まで。

ナショナリズム音頭が止まったのは、「外国」の知識層から歴史修正主義という烙印押されたことや、欧州の極右、アメリカのドナルド・
トランプのような現象が日本にも根付くことに恐れが出てきたからだとみている。

ぼくはガバナンスのノウハウとしてナショナリズムを評価しない。あまりにセンチメンタルで、論理的な説明がつかないものなので、最終的に話し合いにつながらない。ナショナリズムはいつも口論を引き起こす

そして19、20世紀の戦争は、ナショナリズムは過去の思想に過ぎないという主張を強烈に支持してくれる。

5

イスラム国はこの西欧発の近代的なガバナンスのあり方を激しく揺さぶるものだ。彼らは現状から見ると国家を自称するNGOだ。欧州が昔画定した国境線を軽々とまたいでいるし、自由、権利なんかよりイスラムをその中心に据える。

6

膨張しすぎて荒ぶるプライベートセクターに手が出ない、弱ったパブリックセクター。この2者で物事を理解することをそろそろやめよう。もっと細かい粒を見よう。新しい仕組みを設計しよう。

今週の株安はそんなことを考えることの契機になった。また2008の繰り返しにならないことを、賃金労働者の端くれとして、祈ろう。


欲しいものが欲しいわ、店員さんの都合で買わされるものじゃなくて

 
トレーニングシューズを買いたいと思っていた。以前のポストに書いたように、インターネットだけでは埒が明かないので、某スポーツ量販店に向かった。対面の売買なら、親切な店員さんのおかげで、良い物買える、となればいいけど、そうじゃない。ぼくは「情報の非対称性」にぶつかることになった(情報の非対称性こっちのポストでも触れている)。
 
 
ぼくは一見してカモ....。
 
アンガールズ的な体格
青二才で押しに弱そうな顔
・色白
 
店員はすぐにこの特徴をとらえたと思う。そして情報優位性をフルに利用して、ぼくの買い物を自分の利益のために最大限活かそうと考えたはずだ。
 
 
<店員さんの戦略>
店員さんは、ぼくのブランドAの30センチがほしいという要望を聞いて、まず29センチのものを勧めてきた。もちろん、合わない。次にブランドBの似たようなデザインの29.5センチを持ってくる。合わない。
 
「30センチはないんですか?」
 
ここでブランドCの30センチの登場だ。情けなくなるほどイエローなシューズ。「かかとをぎゅっと押し込んでから履くべし」など長い講義をぶつ。いくつも靴を履かせ、講義まで加えて、本来なら買い手が優位な状況を、逆転しようとしている。そして、店員に使わせた労力を増やし、むしろ「買わなくてはいけない」という心理的プレッシャーを与えようともしている、かもしれない。
 
もちろん、その30センチは合う。「これしかないんですよねー30センチは」といい、店員はその商品の素晴らしさをとうとうと説くわけだ。
 
でも、僕はブランドAが欲しかった。それを伝えると、最後の猛攻をしかけてきたが、なんとか観念してくれた。店員Aは別の売り場の店員Bに話しかけた。結局ブランドAの30センチは5モデルあったわけだ。
 
ぼくは自分のニーズを達成できた。
他方、店員Aは同僚に油揚げをさらわれた。
 
 
ぼくと店員の間には次のような情報の格差が横たわる。
ぼく:在庫状況がわからない、どの商品がすぐれているかも、わからない。
店員:在庫状況がわかる、どの商品がすぐれているかも、わかる。
この情報格差を利用してブランドCを売りたかった。たぶん、アレは黄色すぎて誰も買わない。しかも、Cを売ることに報酬がつくはずだろう。実際には店員AはCをなんとか売ろうとがんばることで、情報の一端をぼくにさらすことになる。それが、ぼくのようなあまのじゃくを相手にすると、目標の達成をむしろ遠ざけることにつながる。そしておいしいところを同僚にさらわれるのだ。
 
これを「売り子の自爆」と勝手に名付けよう。売りたがるあまり相手を警戒させてしまうことだ。ぼくが関わる業界では、売り手がいろいろ不品行を働いていたことがわかり、売り手と買い手の対立が先鋭化しすぎることになり、買い手があらゆることに不可能なレベルの透明性を持ち込もうとしている。その結果今度は売り手の首がしまって、買い手もいいものが買えなくなり、市場そのものが不安定になっている。
 
問題は買い手と売り手のインセンティブが協調しないことだ。売り手には買い手を騙すインセンティブが常にある、買い手はそれでも買いたい。騙されないようにさまざまな手段をとることになる。
  
 
似たような事例が「ヤバい経済学」でも紹介されている。不動産屋の収入は一定の手数料によってもたらされるので、仲介者としての彼らは売り手のことも、買い手のことも考えない、という。売り手のために工夫しようが、買い手のニーズに合わせてあげようが、報酬は与えられない。だから、不動産屋は取引を高速でさばくことを重視する(すなわち換金する)、ということをスティーブン・レビットがデータで示している。
 
当然、不動産屋は関係者に対し都合のいい情報やら偽情報やらを渡して、さっさと買わせようと、あるいは、売らせようとしむけるのだ。その結果、ミスマッチな取引が続出する。
ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ブローカーが売り手と買い手を欺くインセンティブが存在する。この状況はさまざまな業界であることだと思う。

売り手が買い手に対して、最適なものを売ったとき、ブローカーが最適な取引を助けたとき、参加者がもっとも報われる仕組みがあるといいな、と思うわけだ。そうすると、売り手と買い手のインセンティブが反発しあわない。相手を泣かせることが自分の利益にならないのなら、普通の人はそうしない。

 
 
この文脈の中で、鈴木健が提唱するPICSYは面白い。価値が伝播する通貨であるPICSYは、コミュニティに対しどれだけ貢献したかにより、その人が手に入れられる価値が上下すると説明する。元請けが下請け、孫請けを泣かして、レント(超過利潤)をエンジョイすることをなめすことができるという。
 
薬を処方しまくる医者より、適切なものを適切な量だけ渡し、患者の健康に真に配慮する医者のほうが儲かるようになる、と主張していた。

P I C S Y - Propagational Investment Currency SYstem - Project

PICSYの基本原理

PICSYは、「その人がコミュニティに与えた貢献度に応じて貢献を受ける権利(購買力)を得るべきである」という互酬制原理とよぶ考え方に基づいています。互酬制原理をひとたび認めれば、あとは、「いかにしてその人がコミュニティに与えた貢献度を測るか」という問題と、「貢献度をいかにして購買力に結びつけるか」という問題に答えを与えればいいことになります。最初の問題については、行列計算とよばれる数学的な手法を用いて、「一瞬一瞬を均衡させる」ことによって解決します。次の問題については、貢献度に応じて高額のモノを買うことができる仕組みを用意します。互酬制原理は、「より公正な貨幣」を目指しています。そのためには、「価値が伝播する貨幣」でなくてはならないので、必然的にそれは「すべてが投資の貨幣」になってしまいます。 

店員Aが、ぼくにとって最適なトレーニングシューズを提供することが「投資」となるような仕組みをPICSYは持っている。ぼくが素晴らしいトレーニングを積み、心身ともに健康になり、仕事で大成功すると、店員Aにも報酬が舞い込み、(アマゾン・ヤフオクのレビューみたいに)信頼性が高まって仕事がやりやすくなるなら、ぼくと店員は協調してシューズを選べたのだ。

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵

 

このPICSYには課題もあるかもしれない。

(1)テクニカルな部分は正直未知数。

どうやって開発し、どうやって実現するのかはよくわからない。また行列計算でその都度均衡させる、というのが実現可能なのか、も気になるので、広範な範囲に適用できるかもよくわからない。さらに「貢献」などの判定をどうやるのか。オーウェリアンが恐怖するような巨大権力がそれをやるのは、やっぱ怖い。相互的に互いを評価しあう仕組みをつかうのか。それこそ、フェイスブックで「いいね」をどれだけ集めたか、的なやり方でやるのか。

(2)少数の大勝と多数の大敗

スポーツ店員を例にすると、客に対し超最適な靴やらウェアやらを提供し、運動能力を40%UPさせて他の店員に差をつけているヤツがいると仮定する。みんなこいつから買いたがるようになるので、こいつはどんどん儲かり、信頼性を跳ね上がらせる。そいつはインターネットでスポーツ用品を売り始め、ものすごい数の客を一人でさばき始める。そんなヤツがひとりか、あるいは数人かでスポーツ用品店員業界を支配するようになるかもしれない。

――貧富の差の拡大の可能性は「なめらかな社会とその敵」でも触れられている。

続きを読む

そいつが何するか当てるより、ロケットを月に飛ばすほうが楽勝な件について

 
この世のなか、情報の非対称性がごろごろころがっている。情報の非対称性ってのは、あいつは知っているけど、こいつは知らないってことだ。
 
via Digital media academy
 
情報の非対称性は2者間のやりとりを前提にしている。2者の間でみれば、情報優位のほうと、情報劣位のほうにわけることは可能だ。実際には都市居住者たちは多数の人間と常に関わりながら暮らすことになる。
 
情報の優劣をグラフィカルにすると、たぶん、下のように摩天楼の雑木林になる。高いビル=物知りさん、低い雑居ビル=興味なしさん、の間で差はかなりついている。
 
ただし情報のテーマは無数にあり、テーマが変わると、摩天楼たちの高さはそのつど、ぐーんと伸びたり、ずずんと落ちたりする。つまりかなり難しい。

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 via CC
 
自分だけが知っていることにして、優位性をつくろうという欲求はどこにでもある。
 
あるいは、人間はそれぞれ、意図とともに、あるいは無意識に行動する。この行動のメカニズムに統一されたロジックが存在するとは思えない。だから、とってもとっても複雑だ。
 
ベル・カーブなんて嘘つきだ、と昨日、某所で聞いた。まったくもってそのとおり。そしてあまりにも有名な「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」も、皮肉たっぷりにそう主張する。
ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

 

 分析対象が拡大すればするほど、モデルと、実際の世界の間に差ができていくのだろか。あるいは、使うデータのスケールをビッグにすることで、役に立つ知見を導き出せるのだろうか。少なくとも理論と現実の間に差が生じている。

セイラー教授の行動経済学入門

セイラー教授の行動経済学入門

 

ロケットを宇宙空間に飛ばすほうが、人間の行動を予測するより楽勝、と「セイラー教授の行動経済学入門」の序文で触れられている。そう人間がからむと、とたんにわけがわからなくなる。

 
 
これに拍車をかけるのが、ディストリビューティッドな構造だ(下㊨)。現代の社会は軍事独裁政権の時代ではなく、プロパガンダで人を支配できる時代でもなくディストリビューティッドな構造になっている。この構造はセントライズドな構造とはかなり違う。
 
ダイナミックでインタラクティブで、とんでもなく複雑だ。人間が自律的な行動を行うからだ。コンピューティング、インターネットの根本には、中央集権型という短期的なガバナンスシステムを、ディストリビューティッドな広がりにつくりかえていく思想があるだろう。 
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このシステムを、現実に普及させた決定打がスマートフォンだと思う。スマホはモビリティと、便利さ、ネット接続を提供した。真の意味で「パーソナルコンピューター」。スマートフォンをとてもクールで親しみやすいものにしたスティーブ・ジョブスはやっぱりすごい。
 
2020年には50億人がスマホ保有し、ネット接続すると予測される。
つまりこういうことだ。
 
3
 
じゃあ、こんな複雑な世界で情報がくまなく行き渡ることがあるだろうか。もちろんありえないだろう。人間はどう行動するかというと、断片的な情報で、自分勝手な推測をして、それに基づいて、他人に働きかけたり、行動したりするのだ。これらが掛け算されていくと、もう、頭が痛くなっていくばかりだ。
 
これらの不確実な意思決定のプロセスを踏んで、不完全な情報をもとに、世界を自由気ままに推測し、その場のノリで行動する人たちが60億人程度いる。じゃあその結果、世界はどうなっているのか。もちろんぐちゃぐちゃだ。
 
 
でも、安心してください。
推測を誤っていいんですよ。だってこんな難しいことを的中させるのなんて無理だから。誤りは凡人だけのものじゃない。アメリカのエリートを集めたCIAだって推測には失敗をしていた、ようだった。
CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

 

この「CIA秘録」をアマゾンでレビューの人がとてもクールなので紹介してみたい。

一次情報を収集することができず、根拠のない推測から大量の資金、工作員を投入し、多大な損害を被り何の成果もあげられないにもかかわらず、結果を捻じ曲げ、失敗を隠蔽し、まったく責任をとることなく存続し続け、肥大化していきます。 情報ソースは公開されたアメリカ公文書が主なものであることが巻末の170頁に渡る「著者によるソースノート」から分かります。公文書の中でのCIAのどたばた、無能ぶりはもはやB級コメディ映画の域といえます。しかし、アメリカ公文書の情報公開が進んでいるとはいうものの、肝心な部分になると、非公開に壁に突き当たるといわれていることも研究者のあいだではよく知られていることと聞きます。公文書は歴史の一次情報であり、現在これ以上の緻密で詳細な考察は見当たらないため、これを否定する材料を示すことはでません。しかしながら、これのみをもって真実とするのは早計といえるのではないかとも思います。もしこれが真実であればCIA の存在自体が問われるだろうし、結果責任を厳しく捉えているアメリカで相変わらず存在していること自体が、本書がCIAのすべてを語っているわけではないという証拠とも受け取れるのではないでしょうか。
 
私自身は本書をもってしてもCIAの無能さは俄かに信じ難いとしかいえません。
うん、クールだ。
 
「CIAは不完全な情報で根拠のない推測を繰り返した」ことを、この本は「推測」している。このため、本の主張を鵜呑みにわけにはいかない。「推測を推測する本」に全幅の信頼を置くわけにはいきません、とレビュワーは言っている。
 
この気付きは最初の一歩になる。でもその向こうに荒野が広がっている。
 
 
それから、チェスの天才、ボビー・フィッシャーを扱ったこの映画「完全なるチェックメイト」。予告編には出てこないけど、フィッシャーはあらゆるものに関係性を見出し、恐怖し、不安を感じ、最終的にはパラノイアに毒されていくのだ。
 
ぼくのヨミでは、フィッシャーはIQが高いので、放っておいても、脳みそがギュンギュン並列的に思考を回し、勝手にあらゆることを連想、関連付けてしまうのではないか。最終的に、フィッシャーは自分がユダヤ系にもかかわらず、ユダヤ人、ソ連KGBが世界を秘密裏に支配しようとしているというヤバい陰謀論にとりつかれてしまう。彼の好敵手であるスパスキーも同じような兆候を持っていた。
 
 
 
だから、妙な推測に振り回されないような強い精神状態が必要だ。
羽生善治名人は「読みを切る」大事さに触れている。将棋の局面を読んでいっても無限に近い可能性にさらされるだけだ。どこかで、読みを断ち切り、意思決定に出ることが大事だというのだ。
 
ただ、羽生さんになれるわけではないので、もっとこころに核のようなものを持つほうが近いかもしれない。スティーブ・ジョブスが禅に入れ込んだように。
 
ただし、アクションで働きかけていくことで、世界の変化にちょっとした影響を与えられる。いろんな人やモノゴトをハッピーにするやり方で、力強く踏み込んでいくことが大事だと思う、今日このごろだ。
 
そう来週はアクションが周囲の状況を変えながら、遂行されることについて考えをまとめよう。
 
PS
前にも似たようなことを考えていたことが、いま発覚した。