人から馬鹿に見えることが合理的な理由
この動画で茂木健一郎が望ましい困難(Desirable difficulty)に言及している。望ましい量の困難がパフォーマンスを長期的に向上させる。
<自分なりの要約>灘中→灘高→東大理三は特定の最適化の産物である。完全情報ゲームのなかで一番うまく動けることと、不完全情報・ダイナミック・カオスな現実のなかで上手くやることは決定的に違う。イーロン・マスクは他人からバカに見えるけど実際には頭がいいことがもっとも価値が高いと言っている(下図)。「天才」とはIntelligenceとFoolishを掛けあわせたもの。Think outside boxがとても重要だ。
人工知能研究で有名な、松尾豊准教授によると、人工知能が成長する秘訣は、ロバスト性。ノイズを加える、コネクションを外すなど、いじめることによる「ロバスト性(強靭さ)」が重要だった。ぐらぐらの柱では2階建てにならない。 ロバスト性を高めるには、計算機パワーが必要だった。いまのマシンスペックでもGPUを使って100台並列とかで、ようやく精度が上がる。
たぶん、インド出身のインド人が米国IT業界で成功していることは一例になると思う。人口が超多い国で、超競争が激しい社会。インド工科大に入学するほんの一握りに選ばれ、海を渡る(成功するしかない)。
暗記能力を評価するのはやめよう
それに比べ、進学校→大学→大企業という構造の中で育った知性は、構造の中に最適化したものに過ぎない。未来だったり日本の外だったりそういうのところに出ると途端に弱い。ぼくは途中までその中にいて、長い間、教科書か教師の言葉を繰り返すつまらない秀才たちとうまくハマらなかった。
暗記力を評価し報酬を与える仕組みを変えないといけない。暗記したものは検索で出てくる。必要なのは、人が馬鹿だと思うことに集中して取り組む人間だ。日本はスタンドアローンな知性でい続けることが本当に辛い国だと思う。人々の同調性はとても高く、同調圧力に屈しやすく、「意識高い」となじる文化まであり、こういうのをうまく利用して他人を支配する権威主義者がごろごろいる(本当にくだらない)。
それでも羊でいるのは本当に退屈だと思う。それに飛行機に乗れば他の国にもいける。魔法はいずれとけるはずだし、もっと他人からバカだといじめられて、よりロバスト性の強い人間になった方が、単純に人生が楽しいはずだ。
Image via Torley
分散協調型、巨大なトレンド
コンピューティングは分散協調型のアーキテクチャに向かっていると思う。クラウドという集中型の仕組みが、デバイスやその近辺のAIにより分散化していくことになる。テクノロジー大手が人工知能のスタートアップと研究者を買い漁るのはこのためだ。
インターネットはクライアント・サーバーという主従が決まっている仕組みで始まったが、いまやデバイスとデバイスが会話するというビジョンを目指している。Googleのスンダー・ピチャイが語るのは「デバイスの消失」だ。つまり、われわれがデバイスをがちゃがちゃいじるのではなく、AIがアシスタントとしてわれわれに便宜を図るようになるということだろう。
この分散協調型コンピューティングは個人の力を拡張するという結果も生むだろう。AIとブロックチェーンというトレンドは大きくそれを物語っている。アーキテクチャとアプリケーションの大変化はわれわれの生活も一気に変えるはずだ。われわれの生活のほとんどが「接続」されているし、接続はより深く濃くなっていく。自分に何ができるか、考えておきたい。
http://interactioninstitute.org/connectivity-creates-value/
私がインドネシアの政治経済記者からデジタルマーケティングのアナリストに転向したのは、政府のような枠組みは社会の進歩の最初の一歩に過ぎないとわかったからだ。新興国を成長させるのに政府は重要だが、それにしても非効率的でパフォーマンスが低すぎる……。システムとして評価するとかなり難しい。コンピューターサイエンスはたぶんもっと自由だし、「生産的」なことができるはずだ、と思った。
前近代的な経済を成長させるには「法の支配」が重要だ。必ずしも民主主義である必要もなく、たぶん国民国家である必要もなく、法がある一定程度機能し、資本主義が成立するレベルに達すればいい。インドネシアのような新興国には「いい政府」が必要であり、私は外国人としてそれができることを応援していたし、いまもしている。
多くの地域で政府が「刀狩り」のようなことをする時期がある。暴力に関しては今のところ、集中は分散に勝る。高度経済成長期のように政府の公共投資と民間の成長が好循環を生む期間はある(ケインジアンにとって誇らしい時代だったろう)。
ただし、経済が成熟した後、われわれは政府に頭を悩ますことになる。新しい時代に対応できない、権威を帯びた巨像を抱えることになるからだ。
政府がなくなればいいと決していっていない。おそらくこの二つをやるものとしてコンパクトになればいい。
- 暴力の集中(独占)
- ユニバーサル・ベーシック・インカム
これらも分散型で動かされるべきだ。なぜなら、利権は社会に対して最大の利益を生み出すことがとても苦手だからだ。
いまの国家や政府のあり方もほんの少し前にちょいちょいとつくった。国家はシステムにすぎないのだから、柔軟な発想でつくるべきだ。設計思想の一部に重大な難点を抱えていることを認めよう。例えば、ナショナリズム、各セクションの自己目的化、政府自体の利益集団化、コスト・パフォーマンスの低さなどがある。それ自身が欲望を持たないシステムが好ましい。となるとマシーンと人間のサイボーグになるだろう。
多くの利益集団を潤している長ったらしい法律をコンパクトにし、基礎的な法律と人間が直接コンタクトできるようにしたい。スマホでカジュアルゲームをやるように法律との整合性を個人が確認できれば、政府のさまざまなセクションと中間者に上前をはねられないので、サービスがスマートになる。
政府を効率化しコンパクトになった部分も価値を凝縮する。暴力と資源再分配を運営するコンパクトな政府を含む分散協調型アーキテクチャのなかで、われわれ個人はもっと楽しく暮らすことになればいい。大事なのは政府そのものではなく、政府がもたらすと期待されるパフォーマンスの方なのだ。
カイシャのなかのポーカーゲームが潮時の理由
1
ジョージ・アカロフのレモン市場のことはよく考えている。デジタルマーケティングのアナリストをやるってことは、与えられた情報がレモン(ダメな中古車)かどうか見抜く闘いだ。ぼくのアルゴリズムは常に正しい情報の選り分け方の最適化をめざしている。
アカロフ(イエレンの旦那ね)が指摘するように中古車を買う側はかなり不利なんだ。この不利さがもたらすタフさにぼくは魅了されている。でも、最近は退屈をし始めた。なぜなら、いいときは相手のカードを全部暴けるかもしれないが、実際は相手に嫌な思いをさせるのはよくないのだ。
2
ドンキホーテってすごい興味深い。これもレモンを見抜く最高の訓練の場だと思う。あそこは安そうに見えて、実際には安いものは一部だけだ。ポップや狭くてぎゅうぎゅうの陳列はバイヤーの判断大いに誤らせるだろう。なんか買いたくなっちゃう、はずだ。
3
ぼくの最寄り駅の電鉄系スーパーは不当に高い。ぼくは一人でこっそり「タックススーパー(税金スーパー)」と呼んでいる。どうせこういう冗談はあんまウケないから誰にも話していないのだが。
ここは新婚の中間層が格好をつけてマンションを割高で買う街だけど、日用品でも電鉄系コングロマリットに絞り取られるのはかなりエグいと思う。しかし、抜け穴があるらしい。皆さん車を10分ほど走らせて街道沿いの業務用スーパーに行っているようだ。そこは目玉が飛び出るくらい安いらしい。
ぼくの職場の近くのイオンの小型店舗は何でもかんでもかなり安い。渋谷という地理条件はあのマンション街より遥かに価値が高い。そこからもう少し行くと日本でも有数の富裕な街になるというのに、そのスーパーのが断然安い。
情報(価格もそうだよね)は常に偏在している。
4
20世紀型の組織は、組織内に情報の非対称性をもっている。ランクが上がっていくごとに情報優位になっていくものだ。分かりやすいのは国民国家で、国民の多くは本当の情報は与えられず、レモンをもとに多くの義務やタックスを課せられる。
5
おそらくこの構造は、組織の機能を損なうし、人間のちからを十二分に発揮させない。
こんな感じの弊害がある。「倍返しだ」ドラマを観ると一目瞭然だろう(観たことないけど)。
なので新しい組織の形が必要だと思う。既存のものを変えるより、新しいものを作ったほうが早い。政府というタテとヨコに情報の非対称性が広がる組織を取材していた身としては、構成員(特に男性だよね)が正当性のない権力を得ようと情報のせき止めをしようするところには、容赦なくマシーンに働いてもらうべきだと思う(若かろうが老いていようが人は老害になれる)。
人間は人間のいい部分を活かす場で活躍するべきだ。だからぼくは文系だけどAIとかブロックチェーンに興奮してしまう。これらは「個人」にとって多くの課題解決の可能性であり、「既存の組織」が陥る循環的矛盾から解脱する方法だ。僕は自分が個人であることを最も重視しているから、そう信じたい。
「悪い既得権」を手放したくするには山火事が必要なのか
既得権ってすごい難しい問題だ。一度利得を生み出す仕組みができれば、なんでもかんでも「既得権」と呼べる。
いい既得権と悪い既得権があると思う。
何かを変えることが必要なときに、障害となるのが「悪い既得権」だとしよう。とても幸運なことに変化の早い時代に生まれた(われわれの数世代向こうはよりアグレッシブな時代をくらしているのだろうか)。常に仕組みをゼロから作り直すことが求められる。Googleができたのは1998年、Facebookは2004年だけど、彼らは10年ちょっとで時価総額で石油会社を追い抜いているわけだ。つまり「悪い既得権」が生じやすい時代なのだ。
既得権の持ち主はすべからく、既得権の正当化に力を注いでいる。既得権を手放してもらえば、より大きな価値を生めるとき、どうやれば、それを手放してもらえるか。
それよりも魅力的な権益を渡すことだ。喜んで既得権益を手放すだろう。机の上の計算では。
しかし、人間の判断は歪んでいる。実際には何かうまいものを食べている時、人は往々にしてもっとうまいものに頭がまわらないものだ。人間の損得勘定は独特であり、さらに損得勘定とは別のさまざまな尺度を同時に複合的に使っている。
異文化の中で暮らしたインドネシアでの5年間の取材で、私は本当にそう感じた。日本人の私には理解のできない(だんだん身体で理解できるようになった)判断が人々によってくだされるのだ。
それは日本でも感じる。日本の場合は、リスクと不確実性のスコアリングがかなりマイナスに働いていると思う。リスクと不確実性が含まれているケースに直面すると、多くのプレイヤーがとても慎重な判断を下す。これは裏返すと既得権益の保持のスコアリングが高くなることを意味する。プロスペクト理論のひとつの端的な例を示していると思う。
これは、カイゼンがやめられないことにも関係していると思う。カイゼンはじわじわと足し算するイメージをもっていると思う。マイナスを生まないようにみえるし(おそらく純粋な足し算ではない)、周りは評価するし、マイナス嫌いの人からボコボコに叩かれることもない。そう、おそらく日本の組織にいる限り、カイゼンはものすごく奨励されるアプローチであり、もうそれ以外の選択肢はない、といってもいい。
つまり、組織におけるリスクと不確実性のスコアリングの基準が変動すればいいんだ。「リスクテイカーかっこいい!」という感じのマインドになればいい。でも、これって黒船が来れば日本は変わるって言っているのと変わらないのか。山火事のような生態系を一変させる出来事が。
競馬という必敗ゲームを考察することは意外に退屈じゃない理由
昨年末と今年2月に二度、会社の愛好会で競馬に行った。自分なりに課題を持って、競馬に行ったので、覚えているうちに整理しておきたい。
まず、中央競馬の控除率(テラ銭)が25%だ。例えば、100万円の賭金が集まるとなると、中央競馬は75万円の配当でオッズを組む。参加者は賭けをずっと繰り返していくと0.75×0.75×0.75.....ほど損をすることになる。だから競馬で勝とうとは思わない方がいい。
私は8000円×2回賭け、配当が13600円なので、回収率85%、15%の損失であり、今のところ平均を上回っている。
仮にこのゲームで勝つなら、それは市場の歪みをつくことになる。
- 自分の賭けが当たる確率が高いと思われる
- 群衆が大きく出走馬の評価を「誤っている」と推測され、オッズのバランスがおかしいと思われる
リスクとリターンが基準を満たした時に賭けるという古典的な戦略だ。さまざまなバランスがある。例えば、確率が比較的低いと推測できても、超ローリスク、超ハイリターンなら是非試したい。
もし、素晴らしいバランスの「おいしいゲーム」が存在し発見できるなら、そのゲーム以外は切り捨てしまえば、回収率は向上するはずだ。
ネックは確率だ。レース前に確率を予測するのは不可能というしかない。勝敗に関与する要因がとても多いからだ。ということは、ランダムなものに対してどう方策を立てるかが問題になる。
確率を高める方策としては、特定のレース条件に特化して分析するのはどうだろうか。「東京芝2400メートル・4歳以上」など顕著な傾向が出やすい条件を選んで、そこだけに賭ける。
ウォーレン・バフェットもおそらくこうやって勝てる可能性の高い投資だけを選んだおかげで、金持ちになったんじゃなかろうか。
さてさて。
でも、このゲームに首ったけになるか。人間なので、何かをつくりたいという欲望がある。お金はバーチャルなものだと、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグ、クラスになれば思うだろう。競馬のことを考えると、バーチャルに感じられる
隣の女子高生が、大きな教訓を与えてくれる件
モザンビークのモバイルバンキングは作りかけからよりゼロからイチの方が簡単だと教えてくれる
デスクトップで記事を書いている途中で、停電が起きた。記事はほとんど完成していたが、不運にもデータは残っていなかった。私は最初、失った内容を復元することにかけた。しかし、記憶は意外にうまく集まってこない。私は方向転換し、ゼロから記事を再構築した。すると、失ったものよりも格段に質の高いものができた。クソっと思っていたのは感情の方で、思考の方は一度できたものをほどいたおかげで、新しい挑戦をすることができた、と気づいた。
何か新しいものつくるときは、既存のものがないほうがいいことがある。一度頭のなかにマインドセットをもつと、それを解きほぐすのが難しくなる。このときは停電がそれを教えてくれた。だから、何回もつくっては、壊してを繰り返していく方が得てして、素晴らしい解に到達することになるのだ。
ひとつの考え方にとらわれて抜けられなくなると、進歩は止まる。進歩が止まると、その固定化した考えをもつことを人にも求め、自分が世界から置いていかれないようにする。これは自己利益の最大化を目指す合理的な個人としてはなかなかいい策だ。しかし、コミュニティという視点で考えると、自分自身の考えの枠組みを定期的にバラす機会を常に設けておき、また周囲のそのような挑戦を支援することが大事だ。そうすると、コミュニティは活性化し、新陳代謝が良くなっていく。それは回り回ってその人の社会的地位が高まっていく。
これはインターネットの仕組みに酔いしれた人が好む社会のあり方かもしれないが、内田樹は伝統的な場所にもそれがあったとしている。もとをただすならレヴィ・ストロースだ。一部の人々はこういう考え方が好きだ。
さて、話を戻そう。何が言いたいかと言うと、何か新しいものを作るときに既存のものがないほうがいい場合が多いということだ。
https://finolab.jp/interview/africa-mozambique-mobilebank-nbf/
この記事によると、日本のベンチャーがモザンビークの自給自足が成り立っている農村社会に、モバイルバンキングをつくろうとしている。現金よりも彼らのニーズにかないそうらしい。モバイルバンキングから貨幣の体験を始める人がいるということだ。
この先行例にはケニアのM-PESAがある。M-PESAはアフリカのものすごいロールモデルになる。それから中国のアリペイ、Wechatのモバイル決済は富裕国の先例から突き抜けている。やっぱり、ゼロイチの方が早い時代なのだろうか。それにやっぱり世界はぜんぜんひとつじゃないみたいだ。そう考えるととてもわくわくする。
いまのところ、人的投資>金融投資
How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス) ―私たちの働き方とマネジメント
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メディアの理系/文系問題
日本という高齢化社会で高齢者と若者が仲良くなるために:オールドマネーがスタートアップを育てるとき
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2007-2008年の世界金融危機の後は、世界中で高齢者と若者の断裂が起きてしまった気がする。一番分かりやすい指標は若者の失業率だ。欧州では常軌を逸したレベルに達し、米国でも最近回復したが、かなり厳しい水準だった。
Unemployment, youth total (% of total labor force ages 15-24) (modeled ILO estimate) | Data | Table
source: tradingeconomics.com
2
日本には高齢者と若者の仲が悪くなる要因がたくさんある。収益力と創造性を失った会社を無理矢理「国策」として蘇生させるお国柄だ。がんじがらめで何も変わらないし、フィンテックのような新規領域では馬群の後方を走ることになれてしまった。そうなってくると、縮小する経済の中でのゼロサム(マイナス)ゲーム的世界感が首をもたげてくる。相手を椅子から引きずりおろして自分のパイを確保するというふうな。
若者にとって愉しくない点はこんな感じだろうか。
①国の莫大な借金を返済するのが若者だということ
②年金制度も現在の受給者にとってはおいしいが、若者からみると、すでに破綻していること③正規雇用の割合が親世代に比べ低下しており、平均賃金の漸減がみてとれる。
プロパテック、不動産のテクノロジーのススメ
大手企業の地下の飲食街で油そばを食った。これって原価安いよなーと思ったけど、健康そうなネーミングに騙され、野菜油そばを頼んだ。800円、店側の利幅をさらに広げたわけだ。
デバイス情報は「シュレーディンガーの猫」の夢を見る:無数のプロセスとひとつの結果
Facebook and Twitter both allow advertisers to target based on a person’s location, demographics, interests, shopping habits, friends, employment, relationship status, political affiliations and more. So why do I see such crap, irrelevant advertisements?
Facebook,Twitterは位置、デモグラフィック、関心、ショッピング習慣、友人、職種、リレーションシップステータス、政治的態度などのデータに基づいたターゲティングを広告主に許容している。じゃあ、どうして、私は低品質で無関係な広告をみることになるのか。
Via Wikipedia
公的セクターと民間セクター二つでこの世界はできていない、と思う株安の週末
欲しいものが欲しいわ、店員さんの都合で買わされるものじゃなくて
ぼく:在庫状況がわからない、どの商品がすぐれているかも、わからない。店員:在庫状況がわかる、どの商品がすぐれているかも、わかる。
- 作者: スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー,望月衛
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- 発売日: 2007/04/27
- メディア: 単行本
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ブローカーが売り手と買い手を欺くインセンティブが存在する。この状況はさまざまな業界であることだと思う。
売り手が買い手に対して、最適なものを売ったとき、ブローカーが最適な取引を助けたとき、参加者がもっとも報われる仕組みがあるといいな、と思うわけだ。そうすると、売り手と買い手のインセンティブが反発しあわない。相手を泣かせることが自分の利益にならないのなら、普通の人はそうしない。
P I C S Y - Propagational Investment Currency SYstem - Project
■PICSYの基本原理
PICSYは、「その人がコミュニティに与えた貢献度に応じて貢献を受ける権利(購買力)を得るべきである」という互酬制原理とよぶ考え方に基づいています。互酬制原理をひとたび認めれば、あとは、「いかにしてその人がコミュニティに与えた貢献度を測るか」という問題と、「貢献度をいかにして購買力に結びつけるか」という問題に答えを与えればいいことになります。最初の問題については、行列計算とよばれる数学的な手法を用いて、「一瞬一瞬を均衡させる」ことによって解決します。次の問題については、貢献度に応じて高額のモノを買うことができる仕組みを用意します。互酬制原理は、「より公正な貨幣」を目指しています。そのためには、「価値が伝播する貨幣」でなくてはならないので、必然的にそれは「すべてが投資の貨幣」になってしまいます。
店員Aが、ぼくにとって最適なトレーニングシューズを提供することが「投資」となるような仕組みをPICSYは持っている。ぼくが素晴らしいトレーニングを積み、心身ともに健康になり、仕事で大成功すると、店員Aにも報酬が舞い込み、(アマゾン・ヤフオクのレビューみたいに)信頼性が高まって仕事がやりやすくなるなら、ぼくと店員は協調してシューズを選べたのだ。
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このPICSYには課題もあるかもしれない。
(1)テクニカルな部分は正直未知数。
どうやって開発し、どうやって実現するのかはよくわからない。また行列計算でその都度均衡させる、というのが実現可能なのか、も気になるので、広範な範囲に適用できるかもよくわからない。さらに「貢献」などの判定をどうやるのか。オーウェリアンが恐怖するような巨大権力がそれをやるのは、やっぱ怖い。相互的に互いを評価しあう仕組みをつかうのか。それこそ、フェイスブックで「いいね」をどれだけ集めたか、的なやり方でやるのか。
(2)少数の大勝と多数の大敗
スポーツ店員を例にすると、客に対し超最適な靴やらウェアやらを提供し、運動能力を40%UPさせて他の店員に差をつけているヤツがいると仮定する。みんなこいつから買いたがるようになるので、こいつはどんどん儲かり、信頼性を跳ね上がらせる。そいつはインターネットでスポーツ用品を売り始め、ものすごい数の客を一人でさばき始める。そんなヤツがひとりか、あるいは数人かでスポーツ用品店員業界を支配するようになるかもしれない。
――貧富の差の拡大の可能性は「なめらかな社会とその敵」でも触れられている。
続きを読むそいつが何するか当てるより、ロケットを月に飛ばすほうが楽勝な件について
- 作者: ナシーム・ニコラス・タレブ,望月衛
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分析対象が拡大すればするほど、モデルと、実際の世界の間に差ができていくのだろか。あるいは、使うデータのスケールをビッグにすることで、役に立つ知見を導き出せるのだろうか。少なくとも理論と現実の間に差が生じている。
- 作者: リチャード・セイラー,篠原勝
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2007/10/27
- メディア: 単行本
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ロケットを宇宙空間に飛ばすほうが、人間の行動を予測するより楽勝、と「セイラー教授の行動経済学入門」の序文で触れられている。そう人間がからむと、とたんにわけがわからなくなる。
- 作者: ティムワイナー,Tim Weiner,藤田博司,山田侑平,佐藤信行
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/08/04
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この「CIA秘録」をアマゾンでレビューの人がとてもクールなので紹介してみたい。
一次情報を収集することができず、根拠のない推測から大量の資金、工作員を投入し、多大な損害を被り何の成果もあげられないにもかかわらず、結果を捻じ曲げ、失敗を隠蔽し、まったく責任をとることなく存続し続け、肥大化していきます。 情報ソースは公開されたアメリカ公文書が主なものであることが巻末の170頁に渡る「著者によるソースノート」から分かります。公文書の中でのCIAのどたばた、無能ぶりはもはやB級コメディ映画の域といえます。しかし、アメリカ公文書の情報公開が進んでいるとはいうものの、肝心な部分になると、非公開に壁に突き当たるといわれていることも研究者のあいだではよく知られていることと聞きます。公文書は歴史の一次情報であり、現在これ以上の緻密で詳細な考察は見当たらないため、これを否定する材料を示すことはでません。しかしながら、これのみをもって真実とするのは早計といえるのではないかとも思います。もしこれが真実であればCIA の存在自体が問われるだろうし、結果責任を厳しく捉えているアメリカで相変わらず存在していること自体が、本書がCIAのすべてを語っているわけではないという証拠とも受け取れるのではないでしょうか。私自身は本書をもってしてもCIAの無能さは俄かに信じ難いとしかいえません。