デジタルエコノミー研究所

”経済紙のNetflix”を作っている起業家の日記

MR. ROBOT / ミスターロボットの次シーズンのテーマはデジタルカレンシーにしてほしい

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トランプ当選で『ミスター・ロボット(Mr.Robot)』というアメリカのドラマを思い出した。このドラマはスポンサーを付けないで制作されたもので、大企業・金融業界とワシントンの癒着により超強烈な格差が生まれたアメリカ社会を描いている。「ファイトクラブ」的に錯乱した主人公が率いるハッカー集団が、Evil Corpという超巨大金融コングロマリットをハッキングし、クレジットカードとかローン会社のデータを全部消すという話だ。シリーズは米国で大人気でゴールデングローブ賞をとっている。日本でも流行ってほしい。

このドラマを楽しく見る若年層は、ウォールストリートでワシントンなヒラリー・クリントンではなく、バーニー・サンダースを支持していたんだろうと思う。CNNのクロス集計によると白人、45歳以上がトランプの背中を押していた。44歳以下とマイノリティではクリントンが優勢だ。仮説だが、サンダース支持の若年層はクリントン支持の可能性が高いが、サンダースが予備選で負ける経緯に失望し、投票しなかったかもしれない。

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私は2008年のリーマンショック前後に3カ月アメリカに滞在した。当時学生だったので、20代の人に会う機会が多かったけど、学位取得後に職を見つけられない人はたくさんいて、その最中に金融危機が拡大した。

多くの中流家庭の学生は、大学卒業後に多額の学生ローンを抱えていて、綱渡りになる。さらに結婚して住宅ローンも抱えることになる。2007〜2008までは住宅価格が上がり続けていたので、買って売って、また買って売ってを繰り返す人もいるという。つまり、一般的なアメリカ人は生まれてから死ぬまで債務を抱えていることになる。

金融は富裕層に有利に働く。金融の仕組みを理解し、そのインフラへのクローズドなアクセス権をもっている人が有利になる。それを含めて資本家が有利に運べるルールはたぶん確立されている。トマ・ピケティの「r(資本収益率)>g(経済成長率)」というわけだ。

デジタルカレンシーは新しい社会形成

フィンテック、デジタルカレンシーの話題の記事はまあまあ書いていて、勉強不足だけどこの分野に入れ込むのは、これらの新しいテクノロジードリブンなビジネスが金融分野の不透明な談合を解いて、さまざまな権利を個人の側に渡すことができる可能性があるからだ。

分配がうまくいっていないから、税金でどんととって分けようということをぼくは疑っている。日本は税金と国民からの借金をかなり低いパフォーマンスで運用している。官僚と政治家はおおむね自分のことだけ考えているだろう。だからネトウヨは国家にロマンチシズムを感じているけど、その国家のエリートクラブはネトウヨのことが見えていない、という噛み合わない関係になっている。

財政にも四半期決算の緊張感は重要な気がする。

我々の想像力は本当に限られていて、そこにあるもので発想する。冷蔵庫にあるものでインスタントラーメンをつくるようなことだ。政治経済メディアで交わされるあらゆる意見に関して、ぼくは全然説得されないでいるのも、そういうことだ。既存の政治・社会・経済システムを基盤にした議論はどうもうまくいかない。ぼくには壊れた土台の上に塔を築こうとしているように感じられる。

社会形成をスタートアップの手法で鍛えられないか

政治・社会・経済システムの構築に関しても、スタートアップのようにつくれないのだろうか。1万くらいシステムだかエコシステムをつくって、輝くものに投資が注がれる。その中からネットスケープが出て、ヤフーが出て、Googleが出て、Facebookが出てくればいいという感じだ。

Mr.Robotはファイトクラブにオマージュを示している。(1)ファイトクラブはクレジットカード会社ビルの爆破(2)Mr.Robotはクレジットカードの債務データを全部消す、だった。

次はクレジットカードなんか全く必要ない、デジタルカレンシーベースの社会をつくるハッカー集団の映画がいいんじゃないかなーと思う。やっぱSF映画は未来を語ってほしい。Mr.Robotは3シーズン目に突入するようなので期待。

 Photo by USA Networks

【日記】ドナルド・トランプ・群衆・予測・多数決

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ドナルド・トランプの勝った選挙はまあまあ考えさせられることが多い。思っていることを5つにまとめた。

1.自分が作ったメディアにプログラムされる人々

人間は自分のプログラムが反映されたマスメディアを創造し、そのマスメディアにさらされることによってプログラムされる。この記事で、Googleプリンシパルサイエンティストのヤルカスが提示したメディアとプログラムの循環だ。大雑把な例えをすると、エコーがかかる部屋の中で自分の考えについてえんえんと話してるとする。すると、話している内容がさらにすりこまれていく、そんな感じだ。投票の意思決定を行うのは、そういうプログラムをされた人間だ。

2.予測を織り込む票マーケット

投票する人は、選挙情勢予測を知らされる。予測に過ぎないものが投票行動に織り込まれる。金融市場の動きと類似性がある。予測を当てる一番の方法は、それを実現させることだ。ヒラリー有利から接戦への流れはもしかしたら、個々の意思決定に影響したかもしない。

3.偶然この結果がもたらされた

あらゆる可能性のなかから、この結果が起きたはず。人間ひとつとっても、生理学的にも心理学的にも謎に包まれている。なぜトランプに投票した人が多数派になったのかは明快に説明できない。「アメリカの曲がり角」的な「ストーリー」は、雑談にはいいかも。

4.みんなで行政トップを決めるのは必ずしも正しくない

今回の大統領選挙をみていて思うのは、もっといいソーシャルシェイピングの方法はないのか、ということだ。ウィンストン・チャーチルが「最悪のなかの最高」と言った民主主義は再発明が必要だ。なんで政府のようなものを作るかというと、社会が人々に提供できる価値を最大化することが目的だと思う。ならばそれを実現できる仕組みがあればいい。それを作るためにいろいろ実験をするべきだ。じゃあ新しい仕組みを決める価値はどんなものなのか。それは話し合って決めるべきだ。

5.人的資産の多様性と流動性を落とさない

移民は間違いなくアメリカの推進力だったけど、トランプと議会多数派はそれを止めるだろう。欧州もそういう流れだ。多様性はイノベーションの重要な動力源であり、人的資産の世界的な流動性を穏当になりたたせる術があったらいいと思う。

感想:素人は固定観念がないから強い

トランプは一般的な枠組みの外で考えられる。変化の始まりになるかも。興味深く追っていきたい。

 

 

いまさら人間を機械みたいに教育しても意味がない理由

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マクドナルドで昼ご飯を食べた。あそこでは店員は機械のように働いている。ぼくの注文を聞く間もスピーディな決断をするようプレッシャーをかけてくる。キャベツ千切りマシンのようにレジ係の女性は客をさばき、後ろではたくさんの従業員がモダン・タイムスのように動いている。

私達が使っているスマートフォンは簡単に色々できるようにデザインされている。でも、スマホ上でネットフリックスを視聴しているとすれば、スマホの中と外で、とても複雑なことが同時に起きていることになる。そんなスマホを世界の成人人口の大半持つことになるのが2020年だ。それからはたぶん、ポストスマホ時代がやってくる。もっと複雑になっていくのだ。

1人のエンジニアが、自分たちの製品のすべてを完全に理解することは難しい。なぜなら彼らがつくるものは複雑さと複雑さをなんとか重ね合わせてできているからだ。

中央集権型の巨大組織は、トップが自分たちのしていることと自分たちのもっているものすべて知っていることを前提としている。でも、実際にはそんなことは不可能だ。人間一人のパフォーマンスは限られたものだし、一日は24時間しかない。

だからもっと複雑な働きができる組織が必要だ。バイオロジックな非中央集権な組織をつくらなければいけない。全部が全部という話ではないが。

そしてこのカオティックな世界にマッチするのは暗記学習が育んだ役人ではない。マクドナルド的な教育、つまり、人を機械にする教育でもない。

20世紀はおよそ16年前終わった。チャップリンは人を機械にしていくことに違和感を感じていた。100年くらい前に。

良識と好奇心をもった、先入観リセット装置を内蔵する、自由な人間であり、他人や機械と協働する面白い人間だ。

Image via Decent film

 

 

 

 

 

バイアスよ、さらば!:人間と機械知能が協働する未来

ぼくは先々週からGoogleプリンシプル・サイエンティストのブレイス・アグエラ・ヤルカス氏が「Innovative city forum 2016」(主催:森美術館など)でした講演に大きなインスピレーションを受けている。この記事に詳しく書いた。

digiday.jp

ヤルカス氏は伝統的なメディアで情報消費を行う人の多くはこういう構造にとらわれている、と指摘している。

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「人々は『自分のプログラム』を反映したマスメディアを創造する」⇔「人々は彼らがさらされるマスメディアによってプログラムされる」

この循環にはめまいがする。イノベーティブな人間は生まれない。要はロボットを生産するためのプロセスだ。

この循環のなかでバイアスを含むプログラムがされた人には、柔軟な思考フレームの変化を望むことができない。20代の間、ぼくは「話せば分かり合える」と思っていたが、プログラムされたものを、話すだけでほぐすのは至難のワザだということがわかった。それは自分に関しても一緒で、思考=プログラムのあらゆる部分に思い込みがある。

日本に帰ってきてからは、日本では特に異なる考え方を許容するという文化が、日本人カテゴリーのなかにはないので、均質化されたプログラムを持つ人を個別にそこから解放することは難しい。

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プログラムされたバイアスを上の図のような方法で、なくしていけるという考えをヤルカス氏は示した。ニュラルネットワークのアルゴリズムで、人とそれをプログラムするメディアからバイアスを取り除いていく。

今週はマイクロソフトのイベントにも参加したが、AIを誰もがどこでも利用できるようにするというビジョンが示された。

digiday.jp

外部的な知性、機械知能(Machine Intelligence)と人間が協調していくというのは、本当に面白い。人間の機能には限界があるが、それを拡張する機会はどんどん広がっているのだ。

Ghost in the Shellだと草薙素子はインターネットに接続して、ネット上を自由自在にクロールして、ときにハッキングして情報を引き出している。だが、現実世界はネットを介して機械知能とつながることになる。機械知能が僕らの代わりにさまざまな仕事をこなしてくれるはずだ。

Ghost in the Shellスカーレット・ヨハンソン主演で、来年アメリカで映画になるみたい。

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Image via Paramount Pictures

繰り返しになるが、以下の悪夢の循環にとらわれない情報を人の手元に届かせるこそが、人間の進化であり、人間をコントロールから解放することだと思う。

「人々は『自分のプログラム』を反映したマスメディアを創造する」⇔「人々は彼らがさらされるマスメディアによってプログラムされる」 

メディアを介した人間のコントロールはあまりパフォーマンスが高くないはずだ。機械的なことは機械がやる時代がもう来ているから。人材の均質性が差別化要因になるのは20世紀までだったと思う。

情報流通における、この構造を越えたノードをつくることが大事だ。それはトラディッショナルメディアには完全にできないことだ。ということで、ブログタイトルをSmart Nodeに代えた。

シェアリングエコノミーはジョン・レノンの「Power to the People」

初めてUberを利用したのは中国・成都(チェンドゥ)でのことだ。中国人の友人のコンドミニアムにお邪魔していた。成都は地下鉄があるが、網状に発達しているわけではなく、バスもあまり便利ではない。他の中国の大都市と同様、最大5車線程度の太い格子状の道路を乗用車で行き来するのが一番便利な方法だった。

Uberの運転提供者たちはすべからく日本人のぼくに興味を示し、ぼくたちはたどたどしい英語でしゃべった。彼らは村上春樹か宮﨑駿のどちらかが好きなケースが多かった(この2人には中国旅行中本当に助けられた)。Uberはライドシェアのプロセスがかなり明確なので、ぼくは運賃の交渉のようなことに気を取られる必要がなかった。ただ彼らは目的地につくと、素早い動作で降りることを要求した。

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彼らは車を買った際の債務返済のためにUberでのライドシェアをしていると話していた。 UberAirbnbは、シェアリングエコノミーという言葉でくくられるようになっている。ぼくはこれがすごく面白いと思う。なぜなら、シェアリングエコノミーは社会リソースの分配を最適化するチャレンジ(資源の最適化)だし、20世紀の大量生産・大量消費社会が生み出した人間の固定観念(=文化)を取り外す素晴らしい入り口のように思えるからだ。

1.経済学の再定義、あるいは解体

現在のマクロ経済学がすべてを明らかにしていないことは確かだ。今年1月、ダボス会議に出席した経済学者たちは、測り方を進化させるべきだと主張した。GDPのような様々な指標は「測り方」によってどうにでもなる。そもそもGDPで測るのが正しかったんだっけという話もある。

GDPのもつパースペクティブ自体が時代にそぐわない可能性すらある。GDPはわれわれがあらゆる資産を生産/消費していることを評価する。だが、乗用車が駐車場で四六時中寝ている非効率性を責めない。それを購入し、駐車場代や車検代を払うことを褒め称える。 現在の経済秩序は国家とは切っても切り離せない。だけど、いまは個人の時代である(これからもっとそうなる)。

UberAirbnbもC2C(個人間のやりとり)が起点だ。個人間のやりとりを経済学は測っていない。それからフリーミアム的なものも測定できていない。例えば、音楽コンテンツをただで手に入れられる時代になったが、これによりぼくたちは、さまざまなアーティストに出会えたり、色々選んだ末にライブに行ったり、と面白くなった。でも測れていない。

公共財」の提供に関しては経済学はかなり苦しんでいた。公共財にはフリーライダーがつきものだったり、公共財の恩恵が一部に偏ったりする。 政府が公共財の提供者になるが、一部の公共財の提供プロセスは政治家、官僚、各種業者の懐を膨らます装置になっている。現状のまま成功しているモノはそうだが、改善の余地のある公共財は再定義しよう。

「共有財」がいい気がする。みんなで利用するものを共有している。そのコストはみんなで払っている。そこに権力関係という無用なものはもちろん生じない。 シェアリングエコノミーはクラウドベースエコノミーとも呼ばれる。クラウドから自分の必要な分だけそれを利用できることは、所有から利用への移行である。

AWSは格好の例だ。AWSはスタートアップの起業を簡単にした。失敗のコストは目を見張るほど小さくなっている。シェアリングエコノミーの拡大は、同様のことが様々な領域に広がっていくことを示している。

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AWS的なものがあらゆる領域に拡大していくと、インターネット産業以外でも、マイクロアントレプレナーが無数に増えていくことが考えられる。経営に必要な資源をすべて「利用」ベースで安価に融通することができる。 自分の評判(Reputation)により協力を呼びかけることで、労使関係ではない関係、パートナーシップで仕事をするようになる。収益の分配に関しては自動的に執行されるコントラクトを活用するといいよね。

アグレッシブな予測によると、2020年には「労働者」(この言葉も見直しが必要になるだろう)の40%が契約ベースで働くようになっている。この時代に向けて労働関係の法規や、賃金の慣習などを変えないといけない。正社員もフリーも皆同じ土俵で稼げるようにしないといけない。ここに社会階層をつくろうとするのは20世紀的だと思う。それからベーシックインカムも整備していくことで、人の働き方は変わるし、生き方も変わる。

3.リソースの活用を最適化する

これはシェアリングエコノミーという言葉に含まれているかどうか定かではないが、シェアリングエコノミー関連のプロジェクトの多くには「資源配分の最適化」の意味合いがある。 ぼくたちの社会はロスばかりを抱えている。駐車場で眠るクルマ、クローゼットで眠るバッグ、人々にたどり着かず捨てられる多量の食品…。 f:id:taxi-yoshida:20161009201953p:plain

青丸=消費者に届く前に捨てられる食品、オレンジ丸=消費者自身により捨てられる食品(Table : Via FAO)

シェアとは資源配分の最適化は似た文脈がある。自分一人で抱えていては価値が最大化しないモノの利用権をオープンにすることだ。消費させることに血眼になっているけど、大量消費は、大量生産が生まれたから、生まれた。大量生産は悪いことじゃない。大量生産のおかげでコストは下がっている。

でも、もっと最適化された生産、最適化されたデリバーリング、最適化された消費があるならそれのほうがいい。大量消費の本質は「欲しいものが欲しいわ」だから、人々にとっては、それが最高じゃないだろう。リーマンショック以降の日本やアメリカの若者の消費性向はとっくにそれを示している。

3Dプリンタなどのパーソナルな生産機器が進歩すると、皆ほしいものを自分でつくる方が楽しい。コネクティビティは生産までパーソナライズする。仮に3DプリンタにまでAIが絡むようになるなら、どんどんパーソナライズしていくだろう。 つまり、一人ひとり違う人間に対して、パーソナライズされたサービスを渡すことで、リソースを最適化できる。事業者サイドは定額制のような収益化方法で、持続可能性が担保されればいいのだ。

4.所有の「苦しみ」からの解放

所有はときに人々を資源をうまく活用できない苦しみに陥れる。私の両親も一生の短くない時間をマンションのローンの返却に割いた。その期間、彼らは変化することができなくなった。

これほど大きい変化が連続的に起きる時代には、もちろん自らのあり方を変え続けていかなければならない。というか、元来世界とはそういうものだ。1945年の前と後ろで日本は決定的に異なっている。日本に住んでいた人はそれに対応した。ナショナルジオグラフィックの番組をみていると環境の変化に常に対応する生き物たちをみることができるだろう。所有はときにそういう力を奪いかねない。

あるソフトウェアのライセンスを購入するとしよう。しかもそのソフトウェアはバージョンアップを繰り返すので、定期的に買い替え圧力にさらされる。買い手にもかかわらず、一度買ってしまうとかなり不利な立場に追い込まれる。所有があなたの立場を難しくするのだ。

日本でiPhoneを大手キャリアとの契約込みで購入するのもシビアだ。個体に対する代金とともに2年間の契約が確定する。Simフリーなら数分の一で済むのだが、談合状態のプライスに同意したことになる。iPhoneの能力自体も他がとっくにキャッチアップしている。中国には300〜400ドル程度でiPhoneの最新機種のスペックを表現するブランドが存在する。

iPhoneサブスクリプションモデルで利用できるのならば、それのほうがいいよね。月30ドル〜40ドル通信料にプラスで払う。好ましいなら使えばいいし、その人は年間360ドル〜480ドル払うので、2年使うと適正と思える個体価格の水準には達する。途中で契約はやめられる。気に入らないならファーウェイやシャオミーにしちゃえばいい。

5. 非中央集権化する

基本的にはエコノミーがC2Cに落ちていく。これはステークホルダーの粒が細かくなることを意味している。政府がこれらのすべてを把握し、直接レギュレーションを適用するようにはならない。政府のガイドラインにそってプラットフォームがさまざまなレギュレーションを執行するという方法が考えられる。

中央集権的なガバナンスがフィットしなくなる可能性が高い。すでに為政者による規制が、規制の罠に陥るケースは少なくない。おそらく大雑把すぎる。権力が「こうしろ!」としたり、見せしめで誰かを引っ張ったりするのは、本来の課題の解決にあまり効果を発しないことが多い。世界は目もくらむほど複雑で、杓子定規を適用しても、あまり意味がない。

結論:Power to the People

シェアリングエコノミーは個人をエンパワーするものだ(Power to the People)。

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個人がインターネットの力を借りて、シェアをすることで、それぞれが考える本当の価値を実現する機会が与えられる(それをうまく活かせるかはその人次第だ)。

その時代に適したガバナンスが必要になるが、非中央集権的な方がワークするはずだ(ガバナンスとは別の言葉を見つけないといけない)。メルカリの記事に書いたように、シェアリングエコノミーの世界では、標準化された評判システムが大事だと思う。これについては今度まとめよう。似たようなことはこのスライドでも触れている。ぜひ読んでほしい。

日本社会は心の底から「常識外」の人間を求めている

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by LPHR Group

先日、日系自動車メーカーで勤めている人と話した。その人は今いる会社を辞めて、アメリカに渡って、イーロン・マスクの元で働きたいと話していた。いまいる会社はかなりネームバリューがあるのだが、電気自動車が普及し始めると、プロダクトの技術的な差別化要因が溶けるかもしれないという。

だれでもそれを作れるとなれば、物量戦に長けている中国勢がテイクオーバーするんじゃないか、と読んでいた。家電業界で起きたことが繰り返されるということだ。

それに加えてイーロン・マスクのビジョンは素晴らしい、とその人は言っていた。エンジニアリングの観点からみても、マスクのとっているストラテジーの方が将来的に優位になることは十分に考えられるという。

「さあ火星に移住しよう」

イーロン・マスクは先月末、火星植民計画をプレゼンテーションした。その数週間前に、Facebook人工衛星を積んだロケットが発射失敗で、燃えてしまっていたが、気にしていない。「テクノロジーの進歩は卓越した人材に困難な課題を与えたときに起きる」と語っている。歴史の中で、それをもたらすのが戦争だったときもあったが、現代では、こういうチャレンジが必要になるだろう。

www.youtube.com

最近は各所でインタビューしているが、本田宗一郎盛田昭夫のような人が日本にはいたんだ、と皆さん言っている。青色発光ダイオード中村修二氏、フラッシュメモリの舛岡富士雄氏、Winny金子勇氏と、素晴らしい業績を上げた科学者が罰せられたのはかなりマズいところではあるが。とにかく面白い「常識外」は居たのだ。

いい人材はこういうチャレンジがされているところに集まるだろう。おそらく衣食住を満たし、不快なことを避けられる所得に達すると、仕事のモチベーションは「わくわくしたい」「すごい経験をしたい」に集中する。特にひとつの分野に集中し、とてつもないスキルを身につける人材にはこの傾向が強い。

でも、この「ワクワクしたい」という欲求は自動車エンジニアやロケットエンジニアに限らないだろう。ぼくは人の所得はAIとロボットで膨れ上がり、もっと違う価値を重視するようになると思う。つまり経験を重視するようになる。それにそぐうように社会を作り変えていくべきだと思う。

こういう面白い人を伸ばしていくこと、暗記学習・官僚的価値観から人間を解放することには力を注いでいきたい。だって、ずっとワクワクしていたいから。

Thank you for persons talking with me about this theme.

 

「人の見た目は9割」を評判システムでディスラプトする

とある日、かなりダサい服装で仕事してみた。すると、行くとこ行くとこで軽んじられるので大変だ。

ぼくはできる限り、見た目で人を判断しないようにしている。前職では息ができなくなるほどたくさんの、偉い人からそうでない人までお会いした。見た目はその人を知る上で本当に役に立たないことを実感している。

見た目9割なはずがない

しかし、「人は見た目が9割」という本が売れるのが現状だ。認知バイアスに絶大なる信頼を置いているのね。やれやれ。

評判を築くのには20年かかるが、それを失うのは5秒でできる。それについて知ったのなら、あなたは全く違う物事の進め方をするようになるだろうーーウォーレン・バフェット

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via flickr

私は大学卒後、インドネシアの新聞社で5年働いて日本に1年滞在している。インドネシアに対するバイアスはもうヒドいもので、日本に来た後はあらゆる人々から素晴らしい応対を頂いた。これをひっくり返すのはかなりタフだった。ロスした時間と労力を悔やむが、望ましい困難にぶつかったと前向きに捉えている。

taxi-yoshida.hatenablog.com

こういうとき、一度築いた評判を他でも使えるようになればいいと思う。オープンなReputation System(評判システム)だ。Airbnbで築いた評判が、Amazonのマーチャントをする際にも使える。Uberで1万回乗車させて築いた評判を、メルカリでも活用できる。見た目ではなくもっと確かなもので人を測れるし、「自分が仕事ができると見た目で周囲を納得させる合戦」を排除し、もっと本質的な仕事が可能になるはずだ。

問題は、人間の評価がバイアスに影響されやすいことだ。なかには個人的な好悪で、その人の評価をわざとおとしめたり、担ぎ上げたりする評価者もいる。こういうのを検出したり、なめしてきれいにできるアルゴリズムか仕組みがあればいい。

すごくまじめにがんばってきたのに報われない人、というのがドラマや映画に出てくる。その逆もある。ここをきれいにできればいい、と思う。あとダサくてエコな服装で仕事ができるようにもしたい。

仕事ではこんな記事を書いた。

digiday.jp

(参考)

Rep on the block : A next generation reputation system based on the blockchain

A trustless privacy-preserving reputation system

 

インドネシアのライドシェアGo-Jekが東南アジアの巨大テック企業に化ける理由

ライドシェア界隈はとても騒がしい。Didi Chuxing(滴滴出行)がUberの中国部門を買収。中国は欧米系のテック企業の横展開をまたしても弾き返した。

ソフトバンク含む投資家がマレーシア・フィリピンのライドシェアGrabに6億ドル出資している。このなかでインドネシアのGo-Jekが5.5億ドルを調達し、バリュエーションが13億ドルに達した

Grabも東南アジアのGDP4割のインドネシアのライドシェアを掴みにかかっている。Go-JekはGrabとかとの競争に勝てるのだろうか。

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Naufal Hadyan

1.創業者がHBS出身の「らしくない」インドネシア

創業者、CEOのNadiem Makarimはシンガポール生まれのインドネシア人で32歳。アイビーリーグの米ブラウン大で国際関係論の学士、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でMBAを取得。マッキンゼー、東南アジアなどのテック企業に出資・経営する独ロケットインターネット傘下のファッションECのZalora、決済スタートアップKartukuを経て、Go-Jekを起業している。

Grab CEOのAnthony TanがHBSの同級生で友人という。2人は自国に返り同様の「Uberクローン」ビジネスをやっているという奇遇。Nadiemは英語でのプレゼンも普通にやるのが、インドネシアの伝統的なリーダーと完全に異なる。

https://www.youtube.com/watch?v=X1bB6qU8e4k

インドネシア人の友人は「こういうタイプの人間がインドネシアにとって重要だ」と話している。ギトギトのコネ社会でムラ的な年功序列型が浸透しているインドネシア国内だけでキャリアを積むとこういう起業家タイプには育たない。同様のタイプのスリ・ムルヤニ財務相については先月記事を書いた。

taxi-yoshida.hatenablog.com

ジョコウィ政権になってから能力主義の人事が出てきていて、Nadiemの成功も相当いい兆候だと思う。「金持ちはもっと金持ちに、貧乏人はもっと貧乏」という失望感のある超格差社会で、若い人が大きなビジョンをもってチャレンジできるようになるかもしれない。

2.インドネシアのテンセント化する?

Go-Jekが独特なのは、乗用車ではなくバイクタクシーのライドシェアから事業を開始したことだ。インドネシアの渋滞は最悪なので、バイクタクシーがかなり役に立つ(よく使っていた)。

しかもGo-Jekはトラック、バンのシェアリング、送金などさまざまな機能を増やしている。アジアではテンセントとアリババのビジネスモデルが最高の成功例とみられているがそれをなぞろうとしているようだ。

digiday.jp

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インドネシアのモバイルアプリでは、EC・旅行・ゲームがシンガポール勢と地場勢が競っており、コミュニケーションアプリはLINEとブラックベリーとWhatsApp、ソーシャルは欧米系だ。決済、オンラインバンキング、動画・音楽ストリーミングなどが余っているので、ここを獲れば、Go-Jekは人口2.6億人のインドネシアのテンセントになれる。

米コンサルIHSによると、インドネシアGDPは2020年には1兆ドルを超え、2030年段階には3.7兆ドルに達する。日本が横ばいだと想定すると肉薄し始める。クレディ・スイスの2013年の予測だと、インドネシアは2030年に世界7番目のエコノミーになっている可能性もある。インドネシア市場を掴む意味はとてつもなく大きいわけだ。

この記事で触れたGoogle・テマセクのレポートで、東南アジアのインターネット経済の規模が2025年に2000億ドル(約20兆円)を超えると言われており、なかでもインドネシアは一番大きな役割を果たすわけだ。

digiday.jp

このコングロマリット化を支えるのがファンディングだ。Googleへの初期の投資で有名なSequoia、今回がプライベートエクイティ。どれだけ赤字を出しまくろうが、インドネシアを制覇すれば後々ペイするのは目に見えるだろう。

3. Go-Jekのホーム勝率は広島カープ並みになる

正直、インドネシアのライドシェアでは、Go-Jekはかなり有利だと思う。98年まで32年続いたスハルト独裁政権下で人口5%程度の中華系インドネシア人が経済のかなりを牛耳るという構造になっているなか、ジョコ・ウィドド政権は「汚職フリーな才気あふれるインドネシア系の起業家」を育てることを目指している。Nadiemはどう考えても適任だ。

インドネシアで事業拡大する際にさまざまな面でNadiemの出自が有利になっていくのは目に見えている。行政方面の調整、人脈、ハイレベルな人材の獲得などだ。

Grabはマレーシア人のAnthony が経営している。インドネシア人は驚くほどマレーシア人が嫌いな人が多い。Uberは米国人経営だが、欧米系がインドネシアで本当の意味で活躍するには数年の「鍛え」が必要で、現地で長い欧米系企業にはインドネシアに定住しているそういう人物がいるが、Uberにはまさかいないだろう。世界は多様で、インドネシアは単体でも超多様でユニークな国なのだ。

Grabはマレーシア、フィリピン、タイなどにリソースをバラしているが、Go-Jekはインドネシア一点集中だ。この部分もかなり有利に運ぶだろう。

3.開発力の弱さ

少しまずいと思うのが、インドネシアにはシニアレベルのエンジニアがほぼいないし、エンジニアの数・質も低いことだ。この部分を海外からなんとか招き入れたり、外注したりしているが、他社を圧倒し新規参入を弾き返す、強烈なグロースを目指すならきつい。

Go-JekもSequoia(インドに傘下VCをもっている)の仲立ちでインドのスタートアップ2社を買収し、開発能力を確保してはいるが。

長期的にはインドネシアのエンジニアの育成能力をレバレッジしないといけないだろう。インドネシアの教育はすごい文系教育でかなりマズい(日本の暗記教育もかなりマズい)。科学ドリブンな教育に変えて「コンピュータサイエンスまじかっこいい」にしていかないといけないだろう。

また、テック分野のビジネスディベロップメント人材などもあんまりいない気がするのでそこも課題になりそうだ。

結論:インドネシアの奇跡

インドネシア国内はかなり有利。テンセントストラテジーを実現できるならテックジャイアントになる気もする。お金の出し手もライバルたちに遜色しなさそうだ。Go-Jekの登場は「インドネシアの奇跡」だと思う。あの国に長く住めば住むほどこういう新しいテクノロジービジネスの誕生が信じられないはずだ。

GarenaとかLazadaとかシンガポールカンパニーだけが、東南アジアのテックで勝つのはマジでつまんないし、地域が抱えるシンガポールの総取り問題を深くするだけだ。Go-Jekは本当に面白い。

 

 

 

渋谷の中心でノイズに囲まれている「わたし」について

ものすごい取材が重なり、テープ起こしする時間がない。いつも自分で人力でテープ起こししてきたけど、もの凄い労働集約的でスケーラビリティがないことは前から分かっていた。この単純作業から人類を解放すべく、さまざまな音声認識の手段にトライしてきたが、まだうまくいかない。

そこで気づいたのは、われわれはさまざまな音の中から、ノイズを排除して人の声に集中している。そういう機能を持っている。これが、Listen(聴く)。まだコンピュータはこれがうまくできない。

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渋谷のハチ公前交差点でふっと息をして、意識をどこにも集中させないようにすると、余りにも多くのサウンドに囲まれていることが分かる。眼球の緊張を緩めてぼうっとすると膨大な物理的個体たちに囲まれていることが分かる。そして都市の中で巨大な情報に常に触れていることを思い出させてくれる。

意識は狭いポイントに集中し、必要ないと判断された情報を排除しているのだ。

耳自体がサウンドのすべてを受けいれていることがHear(聞く)だ。聞くことにより、ぼくたちが常にノイズの海の中にいることがわかる。

リアルタイムで聞いたもののノイズを取り、音声としてクリアにする。さらに意味体系と照らして、相手の言うことの意味を受け取る。これによりコミュニケーションを繰り返す。人間の脳みそはとても優秀だ。今のところソフトウェアはそこまで行っていない。

音と空間の強烈な関係と、意識の箱の感じ方

大学時代、サウンドアートにハマった。池田亮二、カールステン・ニコライ、アルヴァ・ノト。彼らの作品は音響という観点と、音楽だけでなく空間のデザインにも染み渡っていた。

www.youtube.com

とてもシンプルな、シンセの最低単位というべき音により、音と空間が密接につながっていることに気づかせてくれる。そうListenとHearの関係は、空間に関する部分が大きい。有名な「4分33秒」は4分33秒間何の演奏もされない。我々はコンサートホールでいつもひとつの音楽に聴力を集中させるという異様なことをやっていることがわかる。

ブライアン・イーノが提唱した「アンビエント・ミュージック」。これも聴くことは必要なく、サウンドとしてわれわれのまわりにあることを目的に造られた人工的なノイズだ。

www.youtube.com

聴く(Listen)ということはインナーワールドと関係している。聞く(Hear)ということはアウターワールドとつながる(Connect)ことを示している。つながることにより人は自分をどんどん拡張できるんだと思う。その拡張した先が皆が混ざり合い融け合うことだというのが、(もしかしたら)エヴァンゲリオンが意味するものだったけど、ぼくはそんな宗教的ではない。もっと自然界に存在するような形、分散・自律したものたちがつながりあい、エコシステムを作り上げていく形になるはずだ。

taxi-yoshida.hatenablog.com

この聴く/聞くという仕組みを比べるだけで、われわれの意識/思考は常に箱の中に閉じ込められていることが立証される。聞く(Hear)ことで自分の意識やバイアスの作用を意識する機会を得られる。自分が世界に対して小さい存在であることを理解できる。そして時にはドラマティックな意識の収縮に身を任せて、思いっきり興奮してみたい。

(以下学生時代に読んだ参考文献)

 

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)

 

  

(H)EAR―ポスト・サイレンスの諸相

(H)EAR―ポスト・サイレンスの諸相

 

 

 

 

 

物質は、いらない。経験が脳へのエクスタシーを与える

1. アートは脳のエクスタシー

猪子寿之のインタビューを読んで楽しくなってきた。「感動と物質は本質的には関係ない。だから、物質から人類を解放したい」。このセリフはとても好きだ。

そして今、情報社会になった。これは、デジタルによって脳が拡張される世界です。スマートフォンでつながる、すぐ検索できる、記録もされる。そうなってくると、遊園地にはないような、脳に対するエクスタシーが求められる。アートはその象徴的なものだよね。アートはエンターテインメントというか、ある種、脳に対するエクスタシーになるから。

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via Youtube

2.皆が物質的欲求をクリアする時代

ダニエル・カーネマンは2010年に発表した有名な論文で、世帯年収と精神状態には相関があるが、年収75,000ドル(約750万円)を超えると精神への影響は見られなくなると、記している。下のポストで検討したように、AIとロボットがもたらす爆発的な生産性向上が、やがてわれわれの生産に関するあり方を一気に変えるタイミングが訪れるとぼくは予測する(アメリカの西海岸の多数派もそう予測している)。

安定的な収入が行き渡った社会のなかで、われわれの快楽は物質所有ではなく、エクスペリエンス(体験)に集中するんじゃないだろうか。つまり物質から解放された人類が現れる時代はそんな遠くないはずだ。岡田斗司夫はかなり大技だけど評価経済社会に移行すると予測している。彼のことをなじるのは簡単だが、面白いことを言った人は評価されるべきだとぼくは思っている。

3.所有から利用へ:経験

そこで重要なのは私的所有権という、欧州の啓蒙主義のなかで確立し、世界中に拡散した思想の再定義が必要になると思っている。私的所有権は資本主義の発達の大きなドライバーだった。自分の「財産」が王侯貴族や武装集団に脅かされる可能性がある状況では、経済主体が頑張るインセンティブが生じない。

株式会社を支える法規部分がしっかりしているからこそ、設立、ファンディング、株式上場までの仕組みが整い、いまや創業間もない間で企業が世界中に広がることができるようになった。資本主義はかなりわれわれの世界を豊かにした面がある。

しかし、いまやさまざまな矛盾の部分が気になってきた。おそらく造りが大雑把なのだ。「複雑なものに対し複雑な仕組みを与える」というのが21世紀の社会の向かう先だと思う。だから、投票率がなんたら、戦後民主主義がなんたら、ナショナリズムがなんたらはやめて、新しい仕組みを作るのがナチュラルだ。

資本主義が豊かにした社会の次を考えるとき、私的所有権を柔らかくすることはとても重要な選択肢だ。つまりいろいろシェアし合うことで、われわれの世界はかなり効率的で暮らしやすくなる可能性がある。所有と共有の境界線は曖昧でいい。経験経済とシェアリングエコノミーはたぶん密接な関係がある。特にAirbnbのようなビジネスはそうだと思う。DIGIDAYに書いた記事を引用する。

今日、我々の家、乗用車、もろもろのモノはもはや社会ステータスを明示するものではなくなった。もはや我々は隣人に追いつこうと思わない。その代わりに「エクスペリエンス・エコノミー(経験経済)」に向かっている。休暇の写真や自分で作曲した音楽をシェアし、昨晩のディナーについてツイートしたり、新しい任天堂のゲームを友達に見せたりする。ポケモンGOを紹介したその日、私のステータスは友人の間で、急上昇した。

「所有から利用へ」というトレンドはもう2、3年語られている。クラウド、シェアエコノミー、動画・音楽配信とさまざまなサービスがそういう形をしている。でも、社会や都市のあり方がそんなに変わらないのはどうしてだろう。固定観念があるからだ。世界の変化に対して人間のマインドが追いつけないということだ。日本に関しては高齢化社会+固い保守的な価値観=マインドセットの岩盤があって少しキツい。

まだモダーンなものが完璧に入ってないアフリカには、スゴいチャンスがあると思う。モダーンはひとつの選択肢にすぎないのに、世界の全てのような顔をしている。

4.固定観念を溶かすためには

どうやって固定観念を溶かすか、ということに関してはアートだったりエンタテイメントが大きな役割を果たせると思う。こんな未来があるんだ、と興奮させるようなエンタテイメントがつくられることをやまない。

人は感動したいだけなんだよね。その感動を所有したくて、絵画を買ったり彫刻を買ったりする。デジタルの前というのは、絵画が銀箔や絵の具に付着しないと存在できなかったから、物質そのものに価値があるかのように人類は勘違いしちゃった。

ぼくもそう思う。感動したいだけだ。ぼくは物質では感動しない。だから、ことあるごとにマンション所有をなじっている。自分の根底を覆す、強烈な体験に感動する。そんな感動をいろんな人と共有したいと思っている。だからメディアラボがつくるような体験が人の固定観念を変えることが素晴らしいと感じている。

20兆円市場を臨む東南アジアのテック産業に火をともせ

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Mid Jakarta-Yasuhiro Okasaka 2012

東南アジアのテックシーンが本当に熱くなっている。ぼくは2010〜2015年2月までインドネシアに滞在したが、当時すでに熱かったものが、いまやビジネスの急拡大を展望するというリアリティに近づいている。先月下旬のテマセクとGoogleのリサーチによると、東南アジアのインターネット経済の規模が2025年に2000億ドル(約20兆円)を超える。これは以下の記事に詳しく書いた。

おそらく新規事業を考える人々は、中国より東南アジアにフォーカスするのが適切だ。そしてその未来はとてもおもしろいはずだ。中国ではない理由は以下の2点が大きい。

1.中国はBATの寡占市場ができ上がっている。

先月は中国のデジタル広告市場の巨人であるテンセントのSenior Director、Benny Ho氏にインタビューした。

彼はテンセントの広告プラットフォームが、日本企業がインバウンドマーケティングをする際にどれだけパワフルかを語りたがっていた。その一方、テンセントが日本を含む海外にどういうふうに広告事業を拡大していくか、ということについてはあまり語りたがらなかった。

  • テンセントのサービスは巨大なのでひとつずつ他国に出していく
  • その際には海外で20兆円ほど消費する中国人観光客と、在外中華系(Diaspora Chinese)が最初の基点になる

このDIGIDAY記事で指摘したとおり、テンセントはFacebookに肉薄している。

テンセントの収益、純利益はFacebookと同水準。時価総額でもFacebookの3571億ドル(約35.7兆円)に対し、2470億ドル(約24.7兆円)の水準となり、世界で16番目に時価総額が大きい企業となった(レート、チャートは作成時点のもの)。

2. ピークアウトが近い?

また経済、デジタル領域の伸びのピークアウトが差し迫っていることもある。GDPの伸び率も鈍化が始まっている。

iPhone販売も落ち始めている。アッパーミドルから富裕層が見せびらかしたくて購入する時間帯が終わり、安定的な水準に入ろうとしているとぼくは推測する。

できあがった中国より、いまダイナミックに成長する東南アジアに目を向けるべきだと思う。

成長する東南アジアのネットエコノミー

東南アジアの傾向としては、欧米勢のソーシャルが定着したが、もうかっているサービスは、主にマーケットプレイス中心で、地場勢が外国勢を追い出した形だ。

インターネット人口は爆発的に拡大する(下図)。ただし東南アジアにはネットカフェが充実しており、田舎の人でもハイスピードなネットを楽しんでいるし、都市部にはSimフリースマホで4,5個のSimを使い分ける若者がおり、統計が補足していない部分は大きいだろう。「Adtech Tokyo International 2016」で取材した現地のコンサルタントも統計は複数利用し、裏を合わせるよう指摘している。私の肌感覚もそうだ。モバイルは本当に破壊的なデバイスでどんな生活レベルの人にも入り込む。

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東南アジアのベンチャーキャピタル(VC)はいまはシンガポールインドネシアベトナムのECへの投資に力を入れている。ECは同地域のインターネットエコノミーの牽引役。リアルの小売業の5倍の速度で拡大しており、2025年に880億ドル(8兆8000億円)規模に達する。このうち、人口2.5億のインドネシアは52%にあたる、460億ドル(4兆6000億円)を占めることになる。

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シンガポール中心構造、変化が必要

リサーチはシンガポール国営投資会社テマセクのものなので、シンガポールセントリックに描かれている部分はあり、そこは割引きたい。

ぼくはインドネシアの5年間で、ファイナンスが発展したシンガポールが地域経済のハブになるモデルに疑問を感じている。投資された資金が周辺国で利益を生み、それがシンガポール在住の投資家によって回収されるという仕組みは、周辺国のあり方を歪めてしまい、「周辺」を常に不安定にする。シンガポールにとってはうまいが、全体で考えるとパフォーマンスを落としてしまう気がする。なぜならシンガポールは結局人口500万人の小島にすぎないし、ビジネスはまわりの6億人の間で起きる

分散し自律したものたちが協調しながら、それぞれがビジネスを作るほうが効率的だと思う。米国のウォール街VSそれ以外問題をこの地域に持ち込むべきではない。

Tech in Asiaで熱気を体感したい

来週はTech in Asia Tokyoの取材が控えている。地域の熱さ、ダイナミックさを多くの人に伝えられればいいと思っている。

あとテレビの天気予報の画面はこれからこうすべきだと思う。アジアに旅行に行って「日本より不便だった」みたいな感想だけを聞くのはそろそろお腹いっぱいだ。数字とファクトを眺めよう。

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「ネットの父」村井純氏に学ぶ、新しいものの作り方

7月に開かれたTHE NEW CONTEXT CONFERENCE 2016 TOKYOを取材できたのは、本当にDIGIDAYの編集者をやっていてよかったと思うできごとだった。

正直、世界がひっくり返るくらいスゴい人たちが集まっていて、二日間フルで出席した後、帰りはわくわくが止まらず、脳みそがぎゅるぎゅる震えていたのを覚えている。

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「インターネットの父」の村井純先生の話を聞けたのは嬉しかった。村井先生はこんな感じだ。

インターネットは氷山のようなものだ。いまや水上の一角で、AIだ、ブロックチェーンだと騒ぎ始めたが、基層の氷の部分がすべてを支えている。

インターネットを構築する当初から、自律・分散・協調のネットワークをつくることが目標とされてきた。技術的な観点からクライアントサーバーの仕組みを採り入れたが、それでインターネットがスケールすることになった。インターネットをめぐる様々な課題は、ネット自体の普及と拡大により課題がばんばん解決した。ネットワークの冗長化も達成できている。

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DIGIDAYにも書いている。村井氏は「ネットの次」として、ブロックチェーンをポジティブに利用したいと考えているようだ。

「インターネットはタテのものをヨコにつなぐということで動いてきました。人が壁を越えて分野を越えて国境を越えて新しいイノベーションを生み出せるでしょうか。こういうことにブロックチェーンが応えられるでしょうか。インターネットの上に、ブラックチェーンが信頼のプラットフォームとして働くでしょうか」

アナログのテクノロジーは、タテの構造をしている。テレビは使用する電波帯域、テレビシステムの仕様、サービスの内容、ビジネス、ルール、文化が縦割りに、垂直に決められていくものだ。

しかし、デジタルのテクノロジーは、水平に展開する。インターネットプロトコルは、共通の基盤として「薄いフロシキ」のような役割を果たし、その上にさまざまなサービスが実現される。

いまわれわれが享受しているさまざまなサービスは氷山の水上部分だ。それを支えるテクノロジーを先人の方々が築いてくれたのだ。われわれは余りに自分たちが今いる場所を知らなすぎるのかもしれない。

村井先生はWinny開発者の天才プログラマ金子勇の公判で金子氏とネットの技術を強く弁護したことで知られる。佐々木俊尚氏の記事から引用する。

「インターネットの共有メカニズムでは、規模が大きくなって情報量が増えるとネットが負荷に耐えられなくなり、新しい技術が必要になってきます。そうした中でP2Pはきわめて注目されており、その中でもWinnyは性能を高める洗練された機能を持ったソフトでした」 P2PソフトウェアとしてWinnyは非常に高性能で、インターネットの技術としては最先端を走っている。そしてその技術は、ネットのテクノロジそのものをドライブさせる役割を担っている――村井教授の証言は、おおむねそのようなトーンに貫かれていた(中略)

「利用は様々です。利用の仕方はいろいろあるが、それは電話をどのように使うのかということと同じです。要するに、さまざまな目的で使われるようにすることがインフラの目的なのです。私はWinnyの利用者から、その利用目的について聞いたことはないのでわかりません」

村井先生は周辺状況が難しい中で日本のネットワークを構築し、スケールするまで携わっている。金子氏の一件もそうだが、感情的に叩かれても曲がらず、冷静な主張を続けた。ナップスターショーン・パーカーはFacebookの初期にジョインし、億万長者になった。金子氏とは雲泥の差だ。

こういう「日米の報酬の差」を埋められるよう努力したいし、インターネットという「非常識」を「常識」に変えた村井先生の姿勢に尊敬し、新しいものを築けるようになりたい。

 

格差社会を抹殺したいならAIとロボットで全員年収75,000ドル以上にしてしまえ

以下のグラフはOECDによる平均賃金の推移を記したものだ。多くの国の企業・公的機関などは十数年の間に賃金の増加で、人々をねぎらっている。しかし、日本は経済状況が難しい「欧州の問題児」イタリアと同様、賃金の横ばいが続いている。これが意味するところはかなり重たい。

次は年収ラボから日本人の平均年収の推移を持ってこよう。平成20年のリーマン・ショックから平均賃金が下がっている。企業側は非正規雇用を拡大し「サラリーマン」の賃金も抑えているようだ。

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そして内閣府『賃金と物価・生産性の関係(国際比較)』はこう指摘する。

  • 諸外国では賃金上昇率が物価上昇率と同水準あるいはそれを上回る傾向
  • 日本だけ賃金の下落率が、消費者物価の下落率より大きく、労働生産性の伸び率よりも一人あたり雇用者報酬の伸び率が低い

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従業員のインセンティブがおかしい方向を向き始めたことは、長期的な停滞の要因のひとつな気がする。「飯田香織ブログ 担々麺とアジサイとちょっと経済」によると、こうだ。

報酬の低さは、慎重すぎる日本のカルチャーに寄与していることは間違いない。日本ではリスクのある投資案件に賭けるよりも、内部留保をため込みたがる。ゴールドマン・サックスによると、より高い報酬を得ている役員ほど業績が良いということだ。
日本では、大胆な決断をするには金銭的なインセンティブはないばかりか、うまくいかなった場合の社会的な制裁が待っている。新たな進路がうまくいかなかった場合、メンツを失うばかりか、社員のリストラに直面し、退職後も顧問として残るという特権を失うことになるのだ。

ボス世代には他にも年金という、若年層には期待できない「Exit(出口)」まで用意されている。ボスが未来を拓くチャレンジをするインセンティブはなく、むしろ部下たちの意欲を削いだり、やり過ごしたりことに報酬がある。いわゆるサラリーマンの愚痴は『週間SPA!』を読めば分かる(細かく触れない。1冊買って出版不況に報いてほしい。この記事はわかりやすい)。

頑張った人に報いよう

『How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス)』によると、Googleは成果を出す人にはずば抜けた報酬を支払う。ソフトウェアの分野では個人個人で成果の差が大きく出やすいだろうから、成果を出すインセンティブをつくることはまっとうな判断だ。いいことをした人にはしっかり報いないといけない。

しかし、日本ではフラッシュメモリ青色LEDの発明者は賞賛されず、むしろ罰せられた。フラッシュメモリ発明者・舛岡富士雄氏のこの記事を読むと胸が痛くなる。やはりインセンティブがおかしい。細かい検討が必要だが、ブログなので大雑把に行こう。

  • 日本企業の多くは文句を言わない労働者の上にあぐらを書いて、ビジネスモデルの刷新、技術革新などをサボってきたのではないか。新しいアイデアを生み出すよりも人件費を絞るほうがラクだから、ブラック企業的アプローチ」が半ば普通になっている
  • 従業員に与えられているインセンティブがおかしいため、組織が上手く機能せず、革新的な面白いものは日本から出てこなくなる

多くの人が感じていることだと思う。

格差に関する議論は、分配の最適化の話に向かう。ジョセフ・スティグリッツ氏は金融セクターがあまり価値を創出していないのに富の多くをさらってると指摘してきた。トマ・ピケティの『21世紀の資本』 は富自体は拡大を続けているが、キャピタリストの取り分の伸びが、生産の伸びを超えているという議論だった。

確かにこれはとてもストレートな議論だが、ソリューションが分配だけにあるのだろうか。

もちろん、集中された富がどれだけわれわれの世界に寄与しているかは調査が必要だ。スティーブ・ジョブスiPhoneを開発し、サプライチェーンを築くための人的資源とお金があったのは幸運だった(最近のAppleはただ単にお金をためているだけだし、割高なiPhoneを売るだけの「インフラ企業」になってしまった、気がする)。イーロン・マスクのようなクールな起業家がいるおかげで、電気自動車、宇宙開発のような分野が色めき立っている。しかし、彼らはほんの一部だ。アノニマスなスーパーリッチたちのマネーは世界中で何をしているんだろう?

不透明な世界で、いまある手段で分配を実現するのは難しい気がする。高校の先輩である佐藤優こう指摘していた。「ピケティは、国家や官僚を中立的な分配機能を果たすと見ている。この見方は甘い」「ピケティが想像するような資本税の徴収が行われる状況では、国家と官僚による国民の支配が急速に強化される」。佐藤氏が元外務官僚で、日本の官僚機構と一戦交えた後に、今の評論家の立場にいる部分が重要だ。彼は官僚機構の機能性に関して熟知しているはずだ。官僚機構の目的は必ずしも「最適化」ではない。

生産性を爆発させろ!

ぼくはこの難しい部分に手を出さず、生産を爆発的に増やす方がスピーディな解決策になると思う。つまり日本の各領域でAIに投資するのがいいと思う。生産性を爆発させれば、大雑把だが解決策になる。分配という最適化の部分は、数理的にアプローチすればそんな難しい問題じゃない気がする(ただ何をもって価値創出とするかという議論が残っている)。

ダニエル・カーネマンは2010年に発表した有名な論文で、世帯年収と精神状態には相関があるが、年収75,000ドル(約750万円)を超えると精神への影響は見られなくなると、記している。 精神面へのポジティブな影響(Possitive affect)、悲観的にならない効果(Not blue)、ストレスからの解放(Stress free)の3点とも75,000ドル(横軸が年収)付近で伸びが止まったり、伸び悩んだりしている。

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 カーネマンらはこう指摘している。

ポジティブとブルー(悲観的)なデータはわれわれの当初からの問いに対し、予期しないシャープな答えを提供した。必ずしも、お金があればあるほど、よりたくさんの幸せを買えるわけではないが、お金がなければないほど、精神的苦痛に結びつきやすい。75,000ドルは、収入の増加がもはや感情の健康さに関係する個人の能力を向上しないことを意味する。この能力とは好ましい人と時間を過ごしたり、苦痛や病気を避けたり、余暇を楽しんだりすることを可能にするものだ。

ACSによると、米国の世帯平均年収は2008年に71,500ドルであり、3分の1の世帯は75,000ドルのしきい値を超えている。収入が増加しこの水準を超えたとき、ポジティブな経験を買える能力の増加が、何らかのネガティブな影響のために吊り合いがとれた状態になる。最新のプライミングメソッドを活用した心理学による研究は、高い収入と小さな喜びを味合う能力を失うことの間に結びつきがありうることについて示唆に富んだ証拠を提示している。

全員年収75,000ドル以上にしてしまえ

AIとロボットで全世帯とも年収75,000ドル以上にしてしまえば、格差議論は終わるのではなかろうか。生産(下図のP)が指数関数的に増加し、コスト(下図のC)がマシーンのおかげで減っていくという逆相関になるという奇跡が起きることは想像に難くない。

生産性はわれわれの想像を超越したレベルに達し、誰でも欲しいものは何でも手に入れられ、良い体験をし続けることができて、嫌なことを回避できるならば、貧富という概念自体がなくなるんじゃないか。スコールのように大地に降り注げば、濡れない大地などないはずだ。

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日本は超少子高齢化社会で、なおかつ富裕国では飛び抜けた水準で、移民を受け入れていない。マニュアルレイバーをやる日本系の若者もいない。さまざまな分野で労働力の大幅な欠損が現れるだろう。ここにAI+ロボットを大量投入する(いま多くの起業家が進めている)。

考えられる懸念点は、仕組みがリアリティに追いつかないことだ。企業はこのAI・ロボットがもたらす生産性が渡された時、従業員をクビを切りまくって、少数の人間でできた高収益型企業をつくろうとするかもしれない。多くの人が前時代の固定観念にとらわれるせいで、パニックに陥るだろう。短期的には大失業の時代を迎えるかもしれない。f:id:taxi-yoshida:20160830195319j:plain

しかし、異次元の生産性向上に対して前時代的な対応をすることは得策じゃない。やがて状況に慣れれば、仕組みを変えていくことは自然になるはずだ。そもそもこうなると、個人で十分な生産を生み出せるので、誰もが企業に雇われる意味を見出せなくなり、AIとロボットの生産能力で「サイボーグ化」した個人たちがパートナーシップで結びついていく社会に変わっていくだろう。

社会構成者全員に75,000ドルのしきい値を超えてもらうためには、ユニバーサル・ベーシック・インカムのような分配が重要な時間帯があると思う。人間がお金を分配するとそこに権力が生じる。私が学部時代、政治学から学んだことだ。お金の分配、人事権を握った人物は、かつての自民党の幹事長的な力をもつ。そして無駄な権力闘争を始めることになる。こういう仕組みはあまりパフォーマンスが高くないことケースが多いことを歴史は証明している。

だから分配はスケーラビリティが担保され、完璧な状態になった(そうなってほしい)パブリックブロックチェーンでされたらいい。人間だけでなく、AIの力を借りて最適化していけばいい。もちろん、完璧な最適化はありえないわけだけど、75,000ドルラインを超えたとなれば、その人が抱える不満も大したものではないだろう。 

Smart Node:メディアを「賢い節」に再発明しよう

DeepMindのDemis Hassabisのプレゼンにはときどき「Sensorimotor」が出てくる。知覚とアクションを同じ場所で行うことだ。コンピューティングの新しい目的地である分散協調型においてひどく重要な部分だ(一度このポストで検討した)。

このアーキテクチャの変化は「メディア」も大きく変えるだろう。Mediaは「媒介」という意味だと思うが、何故か情報のサヤ取りをして、ブロードキャストをし、儲けるビジネスモデルを意味する言葉になっている。つまりアービトラージャー

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Image : Commons Wikimedia

情報が生成される場所にくっついて、その情報の一部を握ることで「我々は知的であり権威を帯びている」とエラそうにするグループのことがメディアだと思う。これがインターネットが浸透した現在、情報流通の状況とフィットしていないので、かなり変な感じだ。

こういう組織では人間をマシーンぽく教育している。上意下達で意思を失った機械が求められている。だったらマシーンにすればいい。記者会見でスクリプトマシーンになっている新聞記者をよく見かける。それらがデスクに集まって捌かれるのだろう。ならデスクだけが人間で、他はマシーンで良いだろう。ぼくは彼らに「音声認識が発達すれば、あなたはその最悪の単純作業から解放される」と話しかけたくなる。

その情報を分析してアクションする、のが人間らしい仕事だと思う。この機能の名前は思いつかないが、まあ「メディア」ではない。「媒介」としての本当の仕事だったらコンピュータのが得意だ。情報取得・分析・行動のワンセットになったものが、コンテンツディストリビューションの主流になるのではないか。

人々から一番近いところでは、アシスタントという形で現れる可能性がある。AIが集めてくれた情報に基づいて、個人が価値のある情報を生成するという世界すらありうる。ライター・記者・編集者の書く・撮影する定式化されたものより、すでに専門家やブロガーが執筆するブログの方が充実している。知識、経験のバックグラウンドが違うからだろう。

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Image: Wikipedia

だからコンテンツディストリビューションにとって重要なのは上のような「節」だ。「Smart Node」と呼んでみたい。賢い節々があることにより、コミュニケーションのエコシステムが有益になる。ドナルド・トランプや極右のようなポピュリズムを防ぎながら、情報のパーソナライゼーションを達成するにはSmart Nodeは不可欠な存在だろう。

 

 

 

スリ財務相復帰はインドネシア興隆の狼煙

スリ・ムルヤニ(写真=linked in)が先月末、世界銀行COO(世銀ナンバー2)からインドネシア財務相に帰り咲いた。インドネシア史上最高の財務相であるムリヤニ氏は早速仕事をしまくっている。

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スリはインドネシアの経済学のメインストリームであるインドネシア大学(東大みたいなもの)の教授から、2005〜2010年に財務相を務め、08〜10年は日本の経産相と同じ経済調整相も兼任してインドネシア経済の舵取りをしていた。(日本では起こり得ないことだ)。インドネシアは1998年にアジア通貨危機で死にかける最中に民主化し、98〜2004年は政治は混乱し、経済状況はかなり悪かった。

経済界や関係国が「望んだ」SBY(スシロ・バンバン・ユドヨノ)政権が2005年に発足し、彼女が辣腕を振るい始めた。もちろんすべてが彼女の功績というのは乱暴だが、新興国経済では政府の舵取りが大きな要因になりうることを考慮すれば、彼女の仕事は経済浮上に大きく寄与したと言えるかもしれない。インドネシアの税収はみるみる伸び、歳出の効率性が高まり、財政は健全化した。アジア通貨危機以降、かなりインドネシアを疑問視していたグローバルマーケットの態度が、彼女のせいでかなり変わってきた(この記事はそのムードを伝えている)。

 

汚職が当たり前のなかで、反汚職を実現した

スマトラ島の南のランプンという気性の強い民族グループの出である彼女は、幾多の政治的圧力に屈せず汚職に厳しかった。どんどん不品行を摘発していった。

これはインドネシア社会で超難解なことだった。

まず、財務省の高級官僚のなかには海外留学経験者が少なくない。彼らの親も官僚・学者などのケースが多いが、額面上の給与では留学なんて絶対無理だ。つまりインフォーマルな金で留学している。彼らの子息も大概留学する(留学は高位職へのゲートウェイだからだ)。その金もインフォーマルに得られたものだ。つまり彼女を囲む高級官僚の多くが汚職と無縁じゃなく、他の省庁、国家機関も同様の状況だ。

さらにインドネシアの三権は国会にかなり強い権限をもたせている。この国会議員の99%は汚職をしたことがあるとインドネシア人は考えている。この人達は国会の隣にある超バブリーなホテルに集まって、国家予算をどう分けるかで一晩飲み明かせる人たちなのだ。この人達と闘いながら予算規模を拡大し、効率を上げていった。

彼女がもっとも脚光を、浴びたのは08〜09年の世界金融危機のときだ。富裕国が世界金融のメルトダウンから回復しようと苦しむなか、インドネシアは前年とまったく変わらぬ6%オーバーの成長を遂げていた(上図)。

彼女の税収を拡大する力はすごかったが、資源ブームでめきめきと力をつけた、政界の巨人、アブリザル・バクリー氏が納税を不得意にしている部分にも徴税の手を伸ばしたところ、彼や彼のような国家と密接な関係をもってビジネスをしているグループを怒らせてしまい、彼女はインドネシアを去り、世銀ナンバー2に収まった。

 現地記者に聞いてみた

知り合いの現地記者に状況を説明してもらった。

6月に国会で削減方針で可決した中央省庁予算をまた削減するし、事業の選択と集中を徹底するし、タックスアムネスティ租税特赦)を訴えてシンガポール出張する。やることが大胆で行動が早い。国会で一切手をつけなかった地方交付金の削減に踏み切ったのが本気度を感じる。与党入りしたゴルカル党は反発する感じじゃない

これを「解読」してみよう。

――6月に国会で削減方針で可決した中央省庁予算をまた削減するし

インドネシアの法規では国会で可決した予算を政府が微修正を加えられるようになっている(国会が上手く機能しないことを見越した仕組みだ……)。スリ氏はそれを活用し要らない中央省庁予算(イ固有の呼び方:省庁が使いみちを決めれる予算)、地方交付金をカットした(Tempo)。32年のスハルト独裁の反動で、地方分権インドネシアの「建前」だが、この交付金は典型的なバラマキ。この利権でどろどろの交付金を普通は「怖くて怖くてカットできない」のだが、彼女はあっさりやる。

――事業の選択と集中を徹底する

インドネシアは「あれもやる、これもやる」が多くてさまざまなプロジェクトに複数年の予算をつけるが、一貫性がなく実現しないし、途中で事業が終わったあかつきには「あれ、あの予算どこ行ったの?」になるのだ。

ーータックスアムネスティ租税特赦)を訴えて

タックスアムネスティは秘匿資産などの情報を開示すれば、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度だ。

日本の国税庁はこう記している。

諸外国においては、タックス・アムネスティを利用し、納税者から自主的に秘匿資産等の情報について開示・申告をさせることで、海外に流出した所得等の回収に成功している例が見受けられるところである。
「タックス・アムネスティ」とは「租税特赦」とも訳され、資産や所得を正しく申告していなかった納税者が自主的に開示・申告を行った場合に、これに本来ならば課される加算税等を減免したり刑事告発を免除したりする制度のことである。なお、先進諸国においては、その表記として「ボランタリー・ディスクロージャー」等を用いており、「タックス・アムネスティ」の表記を避けている。
タックス・アムネスティは、加算税等の減免や刑事告発の免除等をすれば必ずしも成功するというものではなく、その国の情報報告制度や罰則制度等の在り方とのバランスに大きく関わっているものではないかと思慮され、我が国に導入するとすればその効果的な導入のために、現在の制度及び執行にどのような検討が必要かについて十分に考察を行うこととしたい。

キャノングローバル戦略研究所の主任研究員、柏木 恵ポストの一部を抜粋する。米国の例がわかる。

タックスアムネスティとは、滞納者や脱税者に対し、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度をいう。いつ行われるかは分からないため、タックスアムネスティを見越して滞納することはできない。(中略)
米国では各州で「タックスアムネスティ(Tax Amnesty)」と呼ばれる税徴収のキャンペーンを不定期に突然行い成果を挙げている。タックスアムネスティとは、滞納者や脱税者に対し、一定期間の間(通常2,3か月)、滞納している税金を納めれば、その滞納していた分の罰金や延滞利息については免除もしくは一部免除といった優遇措置を与える制度をいう。いつ行われるかは分からないため、タックスアムネスティを見越して滞納することはできない。

さらに日本の国税庁「各国におけるタックス・アムネスティの利用実態」 によると、「個人又は法人の納税者が 2006 年以前の所得税申告書を増額修正し 2008 年 12 月 31 日 までに提出した場合に、延滞税(本税に対して月 2%)を免除する」ということだ。この情報はおそらくインドネシア国税当局から直接取材しているので確度が高い。

タックスアムネスティは「自主性」という言葉で形容されるが、インドネシアの状況を勘案すると、典型的なアメとムチ(Reward and punishment )政策だ。ザルな徴税を引き締めるとともに「もし自主的に税申告しなければ摘発するぞ」というムチがちゃんと効いていないとうまくいかない。

このムチをしならせられるのがスリということだ。

――シンガポール出張する

このタックスアムネスティで極めて重要なのが、シンガポールだ。このマラッカ海峡にあるタックスヘイブンには税務当局が追跡できてない、インドネシア富裕層の資産が眠っている。スリが協力を得られたかは不明だ。この部分こそ、シンガポールの繁栄の大きな要因だからだ。

インドネシアは外国投資に依存している。投資の7割が外国直接投資(FDI)だ。そのなかで一番大きい経由地はシンガポール(34.76%)だ(出典:投資調整庁)

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外国直接投資の内訳は、1位シンガポール、3位香港、6位イギリス領ヴァージン諸島、10位モーリシャス共和国、12位スイス、13位ケイマン諸島、14位ルクセンブルク……。タックスヘイブンからの投資がコモディティなどに流れ込み、利益の部分が海外に抜けてしまうというのがインドネシアの悩みだ。2位の日本も、JVからの配当である程度日本などに利益が抜けていくが、製造業主体で雇用も生んでおり(イは製造業への投資がノドから手が出るほど欲しい)、比較的「お手柔らか」だと考えられる。しかも日本人は比較的、よくも悪くも「いい人」なのだ。いちいち細かくてリスク回避的でアジアでは横柄なのが少しイヤだが、タックスヘイブンから投資する手合いより、全然付き合いやすい。そうインドネシア政府は考えているはずだ(インドのモディと仲良くなったのもこういう理由だし、日本人男性との交際を好む外国人女性の動機もそうだろう笑)

法人税も下げてシンガポール対策

KOMPAS.comによると、法人税を25%から17%に落とすことを検討している。スリ財務相法人税を規定する法律の改正案を国会に提出する予定だ。

NNAは以下の通りだ。

大統領は法人所得税について「シンガポールの税率が17%で、インドネシアが25%のままであれば、競争に負けるのは明らかだ。投資家はすべて海外に逃げてしまう」と語った。政府は現在、17%まで一気に引き下げるのか、あるいは段階的にまずは20%、その後に17%まで下げるのかについて協議していることも明らかにした。

事業自体はインドネシアで行うのに、シンガポールにヘッドクォーターを置く大企業がある。理由はシンガポールとの法人税の差だ。こういう企業のトップは国籍こそインドネシアだが、シンガポールや香港などに住んでおり(ジャカルタの北の海岸沿いにマンションと船舶を所有していたりする)、各種の納税もそこでやる。

このほかタックス・ヘイブンを設置する可能性についても言及。「国内には数多くの島がある。うち1カ所をタックス・ヘイブンにしても問題はない」と発言。政府が現在、検討を進めていることを明らかにした。

どうやら国内にタックスヘイブンをつくる考えらしく、これは面白い。「海外のタックスヘイブンではなく、国内のタックスヘイブンを使えばいいか」を狙っているようだ。インドネシア政府は、国内に投資された資金が海外に引き上げられないで、国内産業に再投資される、コールドマネーがほしい、ということだ。

スリ体制でされること

ジョコ・ウィドド政権が誕生してから、彼らの方針はずっと明確だ。新興国としてベーシックなこと、確立した方程式通りのことをする。

  • 財政収入を増やす
  • 社会扶助、教育、健康保険で中間層を育てる
  • インフラへの公的投資を増やす

世銀のクォータリーレポートもこう評価している。

「慎重な金融政策、増加するインフラへの公的投資、さらに投資環境の向上させる政策上の改革はインドネシアが5.1%の成長を持続することを助けるだろう」――Rodrigo Chaves、世銀インドネシア担当カントリーダイレクター
インドネシアが製造業や、観光業に代表されるサービス業での競争力を高める改革を実施するための重要な機会になっている。現在実施されている改革に加えて、産業ごとの戦略が重要になるだろう。プロダクトデザイン、エンジニアリング、成長産業の優先的な開発などにおける、技術移転か技術力の向上が重要になる。各産業のアップグレード、技術的なはしごを上るためにもプライベートセクターと強固なパートナーシップが必要になる――Ndiame Diop, 世銀インドネシア担当リードエコノミスト

不安材料:政局リスク低いが、製造業はうまく育っていない

不安材料はゴルカル党だ。しかし、長年足を引っ張ったこの部分が意外にも視界良好だ。

ジョコ・ウィドド政権はスリを加える内閣改造で、ゴルカル党を与党に加えた。ゴルカル党はもともとスハルト独裁政権の翼賛機関を基にしており、魑魅魍魎のすみかである。2010年にスリをインドネシアを去らせた、アブリザル・バクリー氏の党内権力は、自身のビジネスのメルトダウンとともにかなり落ち込んでいるようだ。これが大きい。

スリは現政権の発足時にも財務相のオファーを受けたが、断ったとされる。「政治のバックボーンがつかない限り彼女はやらない」と言われていた。じゃあ今度はアブリザルが去ってバックボーンがしっかりしたということだろう。

アブリザルに代わり党首に就任したストヤ・ノファントは2019年のジョコの大統領選出馬の支持まで確約している。ストヤ氏ははたけばいくらでも埃が出てくるタイプの政治家だ。ジョコ政権下で捜査機関が彼を立件するのは、赤子の手をひねるくらい簡単だ。それが起きないのはストヤ氏がゴルカル党を大人しくしておくための傀儡として役立つからだろうか。「あえて立件されないでいる操り人形」、そう勘ぐるのが普通だ。

ジョコ政権はかなり政治家たちをぎゃふんと言わせている。政局リスクは比較的少ない。

もっとも大きな不安要因はコモディティ市況だ。インドネシアスハルト独裁政権時代から製造業を育てようとしてきた。2.5億人に雇用を渡すには製造業が重要だからだ。しかし、以下の図の通り、98年の通貨危機以降、開発計画と投資が寸断され、製造業の成長が停滞した。

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しかも、08年のリーマンショック以降のコモディティバブルで、この国でされる投資の多くが資源産業に振り向けられるようになってしまった。バブルが終わった後、GDP伸び率5%台という結果として出てしまっている。インドネシアでは毎年山程の若者が労働市場に参入してくる。彼らの働き口をつくらないといけないのだ。ただし、各種の法律、行政プロセデュアのレベルが低く、中小企業は楽しくないし、新しくビジネスをやろうという気概はあんまりそそられない部分がある。下図の通り、インドネシアの製造業のシェアは低いままだ。現政権は2020〜2024年の次期まで製造業の種を巻き続けないといけないだろう。

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最後の不安材料は、ホットマネーだ。ジョコ政権発足から株式市場は上昇を続けている。ただこれらのカネは瞬時に入っては出て行くことを繰り返すためリスクでもある。通貨危機スハルト政権崩壊の98年に大規模な資産逃避が起きており、率直に言えば、暴動の矛先になった華人がそれを行った。インドネシアの資本市場ではチャイニーズのマネーの存在感は強く、中央・地方経済でされるさまざまな投資の原資に華人は少なからず絡んでいる。

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またインドネシア華人以外の在外中華系、それ以外の投資家グループは世界のさまざまな場所と天秤をかけながらホットマネーを動かしている。インドなど競合投資先が躍進したり、アフリカが追いかけてきたりすると彼らはすぐにベット先を変えるのだ。

結論:経済政策に信頼、デジタルに投資してほしい

スリ氏が何をするかとても楽しみだ。ジョコ政権のベーシックな経済浮揚策はとても説得力があり、スリ氏の力は大きく寄与すると思う。ただし、マクロ経済政策ができることは限られてもいる(アベノミクスはその好例だ)。2.5億人に新しい社会を提示できる若い人材を生めるようにしなくてはいけない。

爆発的な速度で進歩するデジタルテクノロジーは、日本が経験したような20世紀的な経済開発とは異なる通り道を構築できると思う。確かに今人々が必要とするのはインフラだが、同時に豊かな情報を得たり、少ない人数でビジネス、行政手続をスケールするなどの実験もどんどんしてほしい。コンピュータサイエンスがあらゆることを変えたのはもう明らかだし、インドネシアのような開発途上の若い国でこそ、その進化を発揮できるはずだ。